ご存知、京極堂が事件を呪、謎を妖怪に見立て、"妖怪の憑き物落とし"として謎解きをするシリーズ第2作 「魍魎の匣」
京極夏彦の「魍魎の匣」は、古本屋兼拝み屋の京極堂が活躍する「姑獲鳥の夏」に続く、シリーズ第2作目の作品だ。
このシリーズは、昭和二十七年の東京を中心に展開する、博覧強記の古書店店主にして武蔵清明社の神主として、副業に陰陽師として働く京極堂こと中禅寺秋彦の周りには、鬱病傾向のある小説家の関口巽や、人の記憶が見える変人探偵の榎木津礼二郎、頑固一徹な刑事の木場修太郎など、一癖も二癖もある連中ばかりが集まって来ては、事件に巻き込まれていく。
シリーズ第1作目の「姑獲鳥の夏」では、二十か月もの間、妊娠し続けている女性の夫が失踪した事件を追い、「この世には不思議なことはなにもないのだよ------」と言う京極堂の決めゼリフが出て来るのもこの作品からだった。
この「魍魎の匣」では、「姑獲鳥の夏」で多少気になった情報の見せ方と謎解きのアンバランスさが取れた、我々ミステリ好きの常識を見事に逆手に取った驚愕のラストで、人気作家としての地歩を固めたのだと思います。
昭和二十七年の東京。警視庁捜査一課の刑事、木場修太郎は苛立っていた。早朝の人身事故に被害者の少女・加奈子は重体、被害者と一緒にいたという同級生の少女・頼子の話は、突然の友人の不運に気が動転しているせいか、一向に要領を得ないのだ。単なる事故か、あるいは自殺か、殺人なのか?------。
悩める木場は、加奈子が誰かに似ていることに気づく。それは、不器用な木場が密かに想いを寄せる映画女優の美波絹子だった。そして、加奈子が運び込まれた病院で対面した彼女の母親は、なんと憧れの美波絹子本人だった。娘の危機に心を痛める絹子の姿に打たれ、木場はなんとしても事件を解決する決心をするのだった。
一方、相模湖付近で、箱詰めにされた少女の四肢が発見される事件が相次いでいた。小説家の傍ら、雑誌「月刊實録犯罪」でライターをすることもある関口巽は、「實録犯罪」の記者・鳥口に誘われて取材のため相模湖を訪れるのだった。
関口一行は、そこで箱のような奇妙な建物を目にする。しかも思いがけず、友人の木場と再会することになった。その箱は、美馬坂近代醫学研究所という加奈子が移った病院だったので、木場は遠征してきていたのだ。ところがまもなく、誰も出入り出来ないはずの密室状況で、加奈子が忽然と消えてしまうのだった。
相模湖から帰って関口と鳥口は、古本屋兼拝み屋の京極堂に相談に行くが、このバラバラ事件から手を引くよう注意されるのだった。その代わりとばかりに、鳥口は近頃、三鷹で流行っている「御筥様」なる箱を祭る霊能者の話を持ち出した。その霊能者は、「御筥様」に信者の心や家屋に吹き溜まった悪いもの「魍魎」を詰め込む事で、信者の不幸を回避しているというのだ。そして、そこでは信者の娘が何人か失踪していたのだ。
果たして、これらの「箱」で繋がれた三つの事件は、互いに関わり合いがあるのだろうか? 京極堂は、人々に取り憑いた箱に棲む「魍魎」を払うべく立ち上がるのだった。
この作品に代表される、京極堂シリーズの特徴は、古本屋兼拝み屋の京極堂が、事件を呪、謎を妖怪に見立て、事件の一連の解決を「妖怪の憑き物落とし」として行なうという新解釈の謎解きにあると思います。そして、その際、京極堂はただ真相の指摘をするにとどまらない。事件に関わったというか、囚われた全ての人にかけられた呪を解くのだ。
この作品でも、事件に深入りしていく、木場しかり、関口しかり、その他の脇役もしかりだ。さらに言えば、我々読者だって例外ではないのだ。この本を読み始めた瞬間から、言葉の罠によって絡め取られ、呪をかけられているのだ。そして、京極堂の憑き物落としとともに、その呪は解かれて、妖怪は払われるのだ。
京極堂が、こうして一人一人にかけられた呪を払っていく事で、真相を光で照らし、物語に多層的な深みを持たせているのだと思います。さらに、このシリーズがミステリ界に衝撃を与えたひとつの要素として、その京極夏彦の圧倒的な筆力にあると思います。
もちろん先人にだって筆力を持った作家はいたとは思うが、それでも京極夏彦の登場以来、一時期、特に新本格ミステリ系の作品がどんどん分厚くなる傾向にあったと思います。京極夏彦自身の作品も、製本技術に挑戦するかのように、限りなく立方体に近い本になっていったと思います。
さらに、彼の筆力を支える膨大な情報量と、それらを全部、伏線として使いこなす構成力も実に見事だ。あの長い京極堂の茶飲み話が、全て伏線だなんて、誰が想像出来るだろうか-------。
また、もともとグラフィック・デザイナーでもある京極夏彦は、昭和二十七年という舞台設定を生かして、この作品のタイトルにもあるように、例えば「箱」ではなく「匣」を使うなど字面にも凝り、加えて見開きニページに文章が収まるように、つまり偶数ページは必ず文頭から始まり、奇数ページは必ず文末で終わるといった事にまで気を配っているのだ。因みに文庫化にあたっては、文字組が変わって、そのまま文章ではこの見開きの法則が崩れるため、わざわざ調節するほどの念の入れようなのだ。
京極夏彦の小説は、従来の「本格ミステリ」や「サスペンス」や「ハードボイルド」といったジャンルの枠にあてはまらない、ボーダレスな、まさしく京極夏彦独自の世界観を持つ小説なのだ。
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