思い描いていた自分ではないことに苦しむ6人の女性たち
今回初めて読んだ谷村志穂作品
時々見知った作家以外の作家の作品を読みたくなる。そういう時にはアンソロジーを読むと、いろいろな作家が短編を書いているので試食的に楽しめてよい。新しい作家との出会いを求めてアンソロジーを読むこともあれば、たまたまそうと知らずに手に取ったのがアンソロジーだったりする時もある。少し前にアンソロジーと知らずに読んだ本があったのだけど、その中に、なかなか好みで別の作品も読んでみたいと思った作家の一人が谷村志穂だった。
アンソロジーの出会いはよくても、別の作品を読んでみるとあまり口に合わないことも多い。なので比較的軽めの印象のタイトルであるこの作品を選んだ。結果、大正解。現代的でありながらも内面の奥深くには暗い心がうごめいている女性の心理描写がリアルで、一気に読みきってしまった。
この「みにくいあひる」は短編でありながらもその根底はよく似ている。主人公の女性の名前には皆「しず」なり「しづ」がつく。どうして皆そうなのか意味はわからないけれど、その語感には何か静かなもの、儚いものを感じる。そういう女性という印象を与えながらも、心の中の生々しいところを描写することでギャップのインパクトを狙っているのか、そこはわからなかった。
また彼女たちの母親の心や言葉も染みるものがある。娘を案じながらも一人の女性として突き放す強さがそこにはあった。
そして主人公の女性たちの不幸な恋愛に対する心理はとてもリアルで、生活環境も映像的に想像できて、すんなりとストーリーに入り込むことができた。
ふがいない愛人への怒りなのか、自分への怒りなのか
一番最初に収められている短編「カントリー・ガール」の主人公志津は、映画監督である竜司とつきあっている。といっても竜司は既婚者なので不倫だ。愛人ならおこづかいをもらったり、マンションをあてがわれたりといったいわゆる“見返り”があるものだけど、志津と竜司との間にはそのようなことは一切ない。逆に落ち目の映画監督の竜司のために生活費を用立てたりしている。
この「みにくいあひる」では、このようなかっこ悪い恋愛をこれでもかと見せ付けてくる。かっこ悪くて泥臭い男女。竜司も志津もそんな恋人同士だ。だからこそリアリティを感じてしまった。
また母親の言葉も印象的だ。恋人はいつも母親に紹介してきた志津は、不倫関係ではあるけれど竜司も紹介する。それは不倫だけれど妻よりも強い立場に立っているという自分への矜持なのかもしれないが、当然母親は難色を示す。でもそれが不倫だからというわけでない。母親が言った、「志津が好きになった人を私は毎回好きになろうと努力している。なのに他にまた好きな人ができたと軽々しく紹介するのは、その私の心を踏みにじるようなものだ」と言うセリフに含まれる重々しい感情が手に取るように理解できて、心に残った言葉だった。
そんな母親の気持ちを感じながらも何度か3人で会うにつれ、なんとなくわだかまりは溶けていった。その矢先に竜司に借金の申し込みをされる。その時の「何も向こう様の生活の心配まで…」と悔しそうに言葉を濁す母親の言葉で、気持ちが痛いほど分かった。説明なしに母親の心理を的確に描写してくれた好きな場面でもある。
ハッピーエンドではない上に、読後感の悪い作品だった。でもこの読後感の悪さは私の好きなものでもある。一番最初の短編が好みのものだったので、気をよくして次に進むことができた。
どうしようもない男に溺れる女
次の「泡立つ海」という短編にも、どうしようもないダメ男とそれを愛する女が出てくる。しかもこの女性、売れっ子の作詞家であるために金銭的にも成功している女性だ。それをダメ男にどんどん注ぎ込んでいて、読んでいて苛立ちが隠せなかった。このような成功者で、金銭的にも余裕があるのにどうしてこのような男を愛し続けるのかがわからなかったからだ。でもこんな話は世の中にたくさんある。私が理解できなくとも、それはリアリティを持って目の前に迫ってきた。それほどの文章力だったからこそ、苛立ちながらも抵抗なく読み進めていけたのかもしれない。
例に漏れず、この男も妻帯者だ。のらりくらりしながら、主人公の女性しずるの愛情を受け流している。にもかかわらず、金銭の享受は甘んじているのがプライドを感じさせないダメさ加減だ。そんな恋人のために新築マンションを購入し、ポルシェを2台も購入し、彼女は何を夢見ていたのか。離婚して自分のところに帰ってくることか、今まで以上に愛してくれることか。
愛の行為さえ無くなって日が経つのに、なにをどうしてそこまで夢見れるのか理解できないが、それが恋するゆえなのだろう。妻と娘のところに毎回帰っていく男に恨みの一つもぶつけてしまう気持ちは分からなくもないが、そうすることで自分のプライドもどんどん磨り減っていくことに彼女ほどの人が気づかないものだろうか。
年長の男性は彼女を少しでも実りある世界に導いてくれるのだろうか。いかにメリットがもたらされようと、心が満たされないと彼女の仕事自体がたちいかないことに彼女も気づいていないはずないのだ。
しずるの動向はこちらをハラハラさせる。もしかしたらこの年長の男性もそういうような、放っておけないような気持ちがあるからこそ彼女を誘ったのかもしれない。
全く関係ないけれど、女性の名前のしずるという響きがsizzleのシズル感という言葉を彷彿とさせ、あまり気に入らないところではあった。
最後に残った記憶は、相手のきれいに並んだ背骨の形
この作品もどうしようもない男が出てくる。でも他の根本からダメな男に比べ、いざと言うときに器の小ささを露呈させた男だ。主人公の真志津は、子供の頃こそ裕福な生活だったけれど、父親の会社がうまくいかなくなったことによる、小さな転落を味わった女性だ。ただ真志津の母親だけはどこか浮世離れした存在で、そのようになってもまだ裕福な生活のまま生活基準を下げようとはしなかった。物語はそんな母親への反感から始まる。
母親に恋人を紹介するたび、母親はまるでそれが模擬恋愛のように振舞う。それが母親にとって面白いのか面白くないのかわからないまま、いつものように恋人である高村を紹介した。3人は初対面とは思えないくらいにスムーズに打ち解ける。真志津の知らない高村の表情さえ母親は知っているのかもと思わせるくらいだった。
でも高村が夢であるサーフショップを立ち上げるのに、真志津のお金が必要だと遠巻きに打ち明けたとき、一番初めに収められていた「カントリー・ガール」の竜司のようだと思った。もちろん彼とは違い結婚するつもりだったにせよ、この短絡的な考えがどうしても好きになれない。好きになれないながらも、真志津も彼にお金を貸すのは目に見えていた。
結果、全てのお金を騙し取られた高村に同情はできない。精一杯、しょうがないでしょう、授業料だと平静を装おうとした真志津の気持ちは痛いほどわかった。それは高村を決して責めていないという感情表示だったと感じた。
その言葉に逆上した高村に顔をたたかれ、真志津は全ての彼に対する好意を失った。これは良かったと思う。暴力を振るわれてまで彼に寄り添おうとするなら、ちょっと物語の質が変わってしまうようにも思えたからだ。
ただ状況を認めることができず、どうしたらよいかわからない高村の狼狽具合はリアルだった。恐らくそんな彼にそんな言葉を投げてしまっては、殴られて当たり前だったかもしれない。
時々彼のことを思い出す真志津の記憶が、きれいに並んだ彼の背骨だけだったというのが詩的ながらもリアリティがあり、好きな話のひとつだ。
どうしようもない娘と懐の深い母親の対比
この作品は、そんなどうしようもない男に引かれる女性と、それを陰ながら案じる母親の姿が対照的に書かれている。気楽な母親と思っていたら実は見えないところで苦労をしていたり、お嬢様と思っていた母親から思いがけない深い言葉が発せられたりして、とても興味深い。
ただ母親と娘が仲がいいだけの話ならここまで感情移入しないと思う。その関係性が微妙で現実的だからこそ、自分の立場に置き換えたりしてしまうのだと思った。
この作品は初めて読んだ谷村志穂作品だけど、次また違う作品を読みたいと思わせてくれた作品だった。
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