トルコ支配下のアラブ人の独立運動を支援したイギリス人のT・E・ロレンスの狂気と苦悩と挫折を、雄大なスケールで描いた映画史に残る不朽の名作「アラビアのロレンス」
この映画史に燦然と輝く不朽の名作「アラビアのロレンス」の監督デヴィッド・リーンは、「逢びき」「戦場にかける橋」「ドクトル・ジバゴ」「ライアンの娘」などで知られる名匠ですが、数ある彼の名作群の中でも、この「アラビアのロレンス」を私は最も愛しています。
この作品は、第一次世界大戦当時、イギリスにとって敵のドイツ側についたオスマントルコ帝国を牽制するために、トルコ支配下のアラブ人の独立運動を支援したイギリス人のトーマス・エドワード・ロレンスの波乱に満ちた半生を描いています。
初めてこの映画を劇場で観た時は、70ミリの大画面に果てしなく広がる砂漠と、ロレンスを演じたピーター・オトゥールの狂気をはらんだ青い目が、私の心に深く刻み込まれたものでした。以来、名画座やDVDなどで何度か観ましたが、そのたびに「こんな完璧な映画は、二度と作れないだろうな」という気持ちになったものです。「戦場にかける橋」など一連のデヴィッド・リーン監督の大作の中でも、ずば抜けた出来だし、CGなどなかった時代に、これだけ迫力のある凄い映像を生み出せたことに、今でも感動してしまいます。
地平線のかなた、蜃気楼の中から、ラクダに乗ったアラブ人の部族の王子が忽然と現われてくるシーン。「皆殺しだ、捕虜はいらん」というロレンスの叫びで、アラブの軍勢が敵を目がけて失踪するシーン。もうとうてい、ここには書き尽くせないほどの名場面がありました。そして、モーリス・ジャールの勇壮でダイナミックな音楽も、この映像とぴったり合っていて、いつまでも心に残ります。
ロレンスは、アラビア研究の考古学者であり軍人でもあった人物で、もともとアラブ人の独立運動に共鳴していました。ただ、独立運動といっても、アラビアの場合は遊牧の部族に別れて、それぞれの首長の思惑に左右されるので、容易にはまとまらないのです。ロレンスは、そこに入っていって、ある程度それをまとめていくのです。
それで、トルコに反対するゲリラ戦的な動きを作り出して英雄と讃えられます。イギリス政府としては、アラビアの部族の指導者たちには、うまくいったら独立させるようなことを言いますが、実際にはそんなことをする気はまったくないのです。結局、アラブ人たちをおだてて、騙す手先みたいな立場に立たされたことに気がついたロレンスは、激しく絶望して、身を隠すような生き方をして、その後まもなく交通事故でなくなってしまうのです-------。
この映画は、砂漠を駆けまわるゲリラ戦の描き方が、映像の扱い方として、我を忘れて見入ってしまうほど、実に素晴らしいですね。異様なまでの風景の美しさと太陽の光のギラギラするような強烈さ。そのうえで、ピーター・オトゥールの演じたロレンスの人間像には複雑な陰が与えられていて、なぜ彼はこんな危険な行動にのめり込んでいくのかを考えずにはいられません。
イギリス人としての愛国心のためだったら、イギリスは得をしたのですから悩むことはないようにも思います。アラブ人たちを裏切るような立場に追い込まれてしまったからなのか。しかし、それにしても、なぜ彼はそれほどまでにアラブ人たちの味方をするのか。
彼がアラブ人たちを指揮してトルコと戦うのは、イギリス人としての愛国心ではなく、もっと一般的な正義感からくるものなのか。貧しい人たちや少数民族の側に立って、強い支配者と闘いたいということなのかなとも考えてみますが、どうもそうではないらしい。
もっと何か、自分の可能性をとことん追求したいといった個人的な理由で行動しているといった印象なのです。少なくとも、ピーター・オトゥールが演じたロレンスは、狷介孤高と言いますか、あまり人と馴れ馴れしくはつき合わないで、ひたすら自分の心の内面を見つめているかのような、厳しい怖い目が印象的な男です。
ふつうに見れば彼は、それまでヨーロッパの先進諸国が、ただ支配する対象として見るだけで、対等の相手にはしなかったアラブの人たちの中に入っていって、彼らを励まし、奮い立たせた人物です。そして、アラブ人たちに支配者のトルコ人に抵抗するきっかけを作ってやったのですから、もっと堂々として自信にあふれた態度や表情であっていいと思うし、アメリカ映画だったら、当然ここには、いかにも強そうで楽天的なマッチョタイプのスターが配役されるところだと思います。
ところが、ここにもこの映画がピーター・オトゥールという、やせてひょろひょろして、何か内気そうな俳優を起用した意味があるのだと思います。アメリカ映画だったら、もっと痛快な表情でもしそうなところで、彼はむしろ、俺はいったい何をやっているんだろう、これでいいのかなあというような気分を漂わせるのです。
それがまあ、彼の最後の死の謎につながるわけですね。まるで半ば自殺かと思うような死に方をする。英雄になり損ねて口惜しいというのではなくて、目標を見失った空しさといった気分で映画は終わるのですが、そこには、世界中に植民地を作って世界最大の帝国となったイギリスの、結局、それは何だったのかという反省が漂っているんですね。
今になって考えてみますと、この映画が扱っている第一次世界大戦当時のイギリスの、自分の勢力範囲だった中近東諸国やアラブ諸国の利用の仕方が、自分勝手すぎたことが、今の中近東の混乱の原因になっている面が多々あるんですね。この映画が描いているのは、実はその一例で、こういう自国に不利な物語を堂々と落ち着きはらった大作にするところに、イギリスの成熟した文化があり、ピーター・オトゥールのような内省的な演技力を持った俳優が、ある意味、アクションものと言っていい作品の主役をやれるという文化の高さがあるのだと思います。
ただし、アラブ諸国の立場が当時より格段に高くなっている今から見直すと、この映画は、ロレンスひとりがヒーローで、アラブ人たちは全体に何か、イギリスのロレンスの指揮がないと、どうしていいか分からない頼りない人々に見えてしまうことなど、やっぱり西洋人優位の雰囲気があると言わざるを得ないと思います。
いや、アメリカやイギリスの人々が今でもまだ、この映画のようにアラブの人々を烏合の衆のように見ていたことが、今の中近東のにっちもさっちもゆかない、どうしようもない未曾有の混乱した状態を生んだ大きな原因のひとつだったとさえ言えると思います。
もちろん、その分、アラブ人にも凄く魅力的な人間がいると、この映画で大評判になったのが、当時、エジプト映画界の大スターだったオマー・シャリフなんですね。出演場面はそれほど多くはありませんが、デリケートで内面的な演技をする俳優のピーター・オトゥールを圧倒するような豪快さを見せるんですね。
オマー・シャリフが演じたのは、アラビアのひとつの部族の王子です。ロレンスが砂漠を旅していて、やっと井戸を見つけてホッとすると、砂漠の向こうの地平線のあたりに小さな黒い点が現われて、それが次第に大きくなってこちらに近づいてくる。それこそが、馬に乗って駆けてくる王子なんですね。
とにかく、インパクトのある凄い登場の仕方で、映画史上の語り草になっている名場面なんですね。当時はまだ、世界的にアラブ人の存在は軽んじられていましたが、政治に先だって、映画がアラブの存在を世界に示した場面だと言ってもいいかも知れません。
年齢を重ね、歴史的な背景を知るようになると、英雄に祭り上げられて政治に利用された行動者の悲劇が、この映画のテーマだったことも見えてきます。「最大の願望は?」という伝記者の問いに対し、「友人たちから忘れられること」と答えたロレンスの孤独と絶望が、ラストシーンに凝縮されていたと思います。
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