イーディス・ネズビット『砂の妖精』レビュー
毛むくじゃらの妖精
この物語を紹介するのに、まず避けて通れないのは「砂の妖精」の姿、外見について語ることである。語るというよりツッコミを入れるというべきか。主人公の子供たちの前に現れるのは、「いや、え? 妖精? そんなので?」と言いたくなるような姿の生き物である。砂利とり場の砂のなかに眠っていた、サミアッドと名乗るその「妖精」は、毛むくじゃらでクモのような体型、カタツムリのような目、こうもりのような耳、猿のような手足を持ち、気難しい老人のようなしゃべり方をする――実際、何千年も生きてきたらしい――何とも奇妙な存在である。妖精という言葉からついつい、ティンカー・ベルのような可愛らしい姿を思い浮かべている読者は、初っ端からこの意外性にがっしり心を掴まれる。
砂の妖精サミアッドは、一日に一つ(とはいっても何だかんだ融通が利くのだが)願いごとを叶えてくれる。しかしその願いごとの効果は、後述する「ルール変更」にあたる願いごと以外は、その日の日没と共に消えてしまう。子供向けの物語ではあるが、願いごとによって巻き起こる数々の騒動の面白さ、そのストーリー展開の妙は、大人が読んでも十分に満足できるものだ。
子供たちの願いごと
まずはこの物語で、主人公であるきょうだいたち(シリル、アンシア、ロバート、ジェイン)がサミアッドに願ったこと、およびその言い出しっぺを簡単にまとめてみる。
1章 四人が絵のように美しくなること【アンシア】
2章 今後サミアッドの魔法にマーサ(使用人)たちが気づかないこと【四人】、砂利とり場いっぱいの金貨【四人】
3章 誰もが末っ子の赤ちゃん(ひつじちゃん)を欲しがるようになること【ロバート★】
4・5章 つばさ【アンシア提案、残り三人賛成】
6・7章 砂利とり場に来なくても口に出した願いごとを叶えてもらえること【ロバート★】、お城に住むこと【ロバート以外★】、きょうだいたちと一緒にいること(家がお城に変わってしまい入れなかったため)【ロバート】
8章 ロバートが大きくなること【ロバート★】
9章 末っ子の赤ちゃんが今すぐ大人になること【シリル★】
10章 イギリス(物語の舞台)にアメリカ原住民がいること【シリル★】
11章 母親が部屋で宝石を見つけること【ジェイン★】、近所であった宝石盗難事件をなかったことにすること・母親が警察に行けないようにすること・母親が宝石のことを全て忘れること【アンシア】、サミアッドのことを他人にしゃべれないようになること【サミアッドがアンシアに願うよう要求】、またサミアッドに会えること【アンシア】
言い出しっぺの名前のあとの★マークは、願いごとを叶えてもらえる物語にはつきものの「うっかり言ってしまった」パターンに付けている。こうして見てみると(最初の「絵のように美しくなる」という願いはどうかとも思うが)失言のないアンシアは思慮深いたちだということが分かるし、反対にロバートはついつい自分の願望を口走ってしまうタイプだということが一目瞭然だ。また、末っ子の赤ちゃんについての願いごと(3章・9章)はどちらも、赤ちゃんの世話にうんざりしてしまったロバートとシリルによってなされている。基本的には末っ子思いの兄たち・姉たちである四人だが、自分自身まだまだ幼いジェインやしっかり者で小さな母親のような長女アンシアと違い、活発に動き回りたい盛りの男の子二人には、自分たちの遊びについてこれない赤ちゃんが少々もどかしいのかもしれない。
願いごとのルール変更
注目したいのは、ロバートが6章でサミアッドに会いに来なくても願いを叶えてもらえるような「ルール変更」を頼んだことだ。このために、その後の子供たちの願いごとはほぼ全て、うっかり口に出してしまった不本意なものになっている。
「妖精が魔法で願いを叶えてくれる」、そんな非現実的な状況においても、常識的な願いごとと非常識な願いごとがある。誰でも思いつきそうなありふれた願いごとと、せっかくのチャンスを何でそんなことに使ってしまうのと言いたくなるような願いごと。6章の「ルール変更」以前に、子供たちがよく考えて口に出す容姿やお金、つばさなどの願いごとは前者だ。これは5章までがつまらないという意味ではない。願いごとが招く結果は子供たちにとっても読者にとっても思いもよらないものである。ただ、願いごと自体は平凡なのだ。しかし6章以降、子供たちの願いごとはぐっと独創的になる。日々の何気ない会話や行動のなかで、すっかり気を抜いた状態でぽろりと口から出てしまう、ちょっとした妄想や願望。損得勘定抜きのそんな「うっかり願いごと」が、この物語の後半を盛り上げている。
さて、物語のなかでなされる願いごとの「ルール変更」は、実はこれだけではない。2章で願われる「魔法にマーサが気づかないこと」もまた、重要なルール変更だ。1章で別人のように美しくなったせいでマーサに家に入れてもらえず、日没までひもじい思いをした四人がこのように願うのは当然である。この取り決めは一見、子供が主人公のファンタジーによくある、身近な大人の存在を排除するためのご都合主義的設定であるようにも思える。しかし、決してそうではない。魔法に気づかないマーサは物語から姿を消すのではなく、かえって存在感を増すからだ。2章で金貨泥棒の疑いをかけられた子供たちは、金貨が見えないマーサの力強い弁護によって助けられるし、6・7章ではお城に変わってしまった家の中で普段通りの家事をこなす(子供たちからは奇妙なパントマイムにしか見えない)マーサの姿にクスッとさせられる。9章でちょっと嫌味なほどスマートな青年に変わってしまった末っ子の赤ちゃんが、マーサに「赤ちゃん扱い」されるのも痛快だ。つまりマーサは、魔法から締め出されるというまさにそのことによって、魔法の物語に深く関わるという離れ業をやってのけているのであり、そのことがこの物語の大きな魅力の一つになっている。
石にならないのは
さらにもう一つ、目立たない「ルール変更」がある。当初、サミアッドの話では、願いごとによって得られたものは日没と共に石に変わるはずだった。だから1章で子供たちは、美しくなった自分たち自身が石像になってしまうのではないかと怯えるのだが、実際にはそんなことはなく、元の姿に戻っただけである。物語を通して、子供たちの願ったものは一つも石に変わることはなく、ただ日が沈めば消えるだけだ。その理由をアンシアに尋ねられたサミアッドは、「むかしは人々は、ちゃんとした堅実な日常的なおくりものをねがっていた」が、「今日では、人々はまことにとんでもない、おかしなことをねがう」からだと答える。サミアッドの言う「堅実な日常的なおくりもの」というのは、食料となる大きな獣や魚のことだ。そういったものについては、食べきれずに余ってしまったものが石に変わるだけだが、近頃の願いごとは石に変えようがないというわけである。
皆が素朴で地に足のついた暮らしをしていた昔と、価値観が複雑化し若者がおかしなことをする今。どこかで聞いたような構図である。『砂の妖精』は一九〇二年に書かれた作品だが、年長者(サミアッドほどの年長者は人間にはいないにせよ)による時代の変化の語られ方は、今とそう変わらないのかもしれない。
願いごとをやめること、大人になること
他の物語と同じように、サミアッドと子供たちの物語にも終わりがやってくる。最終章である11章は、近所に住む奥様が宝石を盗まれたらしいという話から始まる。この奥様、あまり感じのいい人ではないらしく、噂をするマーサも子供たちも大して同情的ではない。子供たちが思い浮かべるのは、盗まれるほどの宝石何て持っていない自分たちの母親の姿。大好きな母親に喜んでほしい、そんな純粋な子供心が思いもよらない失言を生む。「ねえ、すてきじゃない?」と夢見るように話し出すジェイン。家に帰ってきたお母さんが、部屋で華やかな宝石に彩られたアクセサリーの数々を見つけたら……。
そう、幼いジェインは悪気なく「やらかして」しまったのである。ふつうの大人なら、自分の部屋にいきなり大量の宝石が現れて、手放しでは喜べないだろう。出どころが気になる。ましてや近所で盗難があったタイミングだ。さらにまずかったのは、マーサの婚約者がたまたま窓拭きを手伝ってくれていたこと。この婚約者は全く悪くないのだが、この家の人間ではない以上、疑いの目は免れない。
ここで動くのが長女アンシアだ。サミアッドのもとへ駆けつけたアンシアは、次々とこの事態を収拾する願いごとを叶えてもらう。本来なら一日一回しか願いごとを叶えてくれないはずのサミアッドが協力するのは、アンシアが今後一切願いごとをしないと約束したからだ。
これまでも厄介ごとはたくさんあった。つばさが消えて教会の塔の上に取り残されたり、ロバートが巨大化したり、アメリカ原住民と戦ったり。そういったことと比べれば、突然現れた宝石について母親が警察に届け出るなんていうのは、トラブルとしては地味なくらいである。宝石は日没と共に消えるわけだし。
でも、駄目なのだ。宝石が消えても、宝石がもたらした疑いや戸惑いは消えないことが、このときの子供たちにはよく分かっていた。ただお腹を空かせたり怖い思いをしたりというだけでは済まない、もっと静かで込み入った厄介ごとの予感に気づけるようになっていた。そのくらい、他人の気持ちを推し量れるようになっていた。つまりは、大人になり始めていたのだ。
だからアンシアは、この先できたかもしれない願いごと全てと引きかえに、宝石騒動の解決を願う。他のきょうだいもそれを受け入れる。
魔法や奇妙な存在の登場するファンタジーはそれだけでも十分面白い。しかし、子供が主人公のものであれば、やはり「成長」が描かれるのが王道だろう。その意味で、魔法に翻弄された子供たちが喜劇的なドタバタを演じつつ、最後にはしっかり成長した姿を見せてくれる『砂の妖精』は、色褪せることのない最高の児童文学である。
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