説明されても理解できなかった読後感の悪さ
脚本から書き下ろされた異色の作品
この作品はテレビドラマの脚本を初めて執筆した港かなえが、そのドラマの脚本を元に新たに書き下ろしたという、小説がドラマで再現されるという一般的な流れとは逆に生まれたものである。またその脚本は、『高校入試 シナリオ』と題して別に発行されている。なので今回の作品はシナリオ的に書かれたものではなく、まったく通常の物語の形をとっている。ただ『高校入試 シナリオ』が先に誕生したということがかなり斬新に感じた。
物語は主人公である教師、春山杏子からの目線の話から始まる。そしてその他の登場人物の教師たちの話がその後に続く。ただその合間にネット掲示板での書き込みも入り、その書き込みの下に教師名が入るので、その名前が掲示板に書き込んだ人物の名前なのか、この語りの人物名なのか若干混乱し、慣れるまでは読みにくく感じた。またそれぞれの登場人物の性格や背景が掴みきれていないうちからたくさんの人物が登場するため、最初のページに書いてある人物相関図に頼らなくてはならなかった。個人的に思うのは、人物名紹介が書かれているくらいならまだしも、相関図まで丁寧に書かれている小説はアタリが少ないということだ。混み入りすぎてわかりにくいことが多い。今回もそれで少し嫌な予感はしたけれど、文章は読みやすいのでどんどん先に進んでいくことができた。
主人公春山杏子の葛藤、悩み
高校までアメリカで過ごした彼女はいわゆる帰国子女でその語学力を生かし、大手旅行会社で働いていた。しかしアメリカで過ごした彼女は日本の教育体制のことを何も知らないという理由と好奇心から一念発起して勉強し、高校教師として採用された。そこで働く教師たちは彼女が思っていた理想とはかけ離れていることに失望してしまう。
確かに彼女がやりたいと思うことはいかにもアメリカ個人主義といった感じなので、日本の学校には定着しないだろうなという感じがある。周りの教師(特に女性が)反発するのも無理はないだろう。このあたりの地味にリアルにドロドロした感じは湊かなえらしい描写だなと思った。
好きになった男性が教師でそして教師になろうと思ったのに、彼は入試の採点ミスがらみで追い詰められ(恐らく)自殺してしまった。その復讐ではないけれど、同じ高校に入ってその入試にどれだけの人々が神経を尖らせ真剣に当たっているかを試そうとした彼女の動機はわかりやすい。ただ、自分が考え自分で行動せず、誰かわからないリーダーの指令を受けてそのまま動いたというのは杏子らしくない。やるなら単独行動ではないかなあとちょっとそこは違和感を感じてしまったところだ。
今時の入試への純粋な驚き
私が高校を受験したのは20年以上も前になるけれど、その時は親の付き添いなど考えたこともなかった。しかしこの物語では全部の受験生ではないけれど、少なくない受験生の母親なり父親が受験場所まで付き添い、そしてその保護者たちへ待機室なる場所まで提供しているというのだ。それで気になって少し調べてみたら、本当についていくらしい。高校受験だけでなくなんと大学受験まで同伴する親が少なくないことに驚いた。
私の友人は中学生の息子の部活動にも母親同士で顔を出すらしい。それにもかなりの違和感を感じたけれど、受験は今こんなことになっているのかとかなりの衝撃を受けた。
正直この物語のラストよりもこちらのように衝撃を受けたといってもいいくらいだ。それくらい驚いてしまった。
一高伝説への疑問
ここに受かることが人生の到達点というのはちょっと乱暴な気がして想像できない。言っても高校だし、そこからどの大学に行くかとか、どこでどう働くかということが人生の目標であるはずが、その高校を出たからといって大きな顔ができるというのは明らかに井の中の蛙的勘違いというものではないだろうか。もちろん杏子もそれを一番に疑問に思っていてそれを口に出しもしているけれど、一高OBたちはそれをやっかみくらいに捉えている節がある。
こういう高校自慢というのは実際に存在するのだろうか。一歩その町から出てしまえば何の意味もないものに、そこまで真剣にしがみつけるものなのだろうか。そしてそうでない人を見下せるものなのだろうか。
想像はできるけれど、かなりおおげさに書いている気もしないでもない。私としてはちょっと信じられない感じもするけれど、そういう人も実際いるのだろう。だからこそその伝説に縛り付けられた人々がこの騒動を引き起こした。望みの高校は断念せざるを得なくても大学まで出て楽しくやっていたらもういいだろう、とか、別の名門私立に受かっていればもういいだろう、とか思えないその凝り固まった考えは、ある意味痛々しい。一高校伝説に取り付かれた人々の、次に目を向けることのできない苦しみがこれでもかと描かれていて、どうしてそうなのかとこちらも胸が少し苦しくなってしまった。
この作品でところどころ印象に残る描写があるけれど、その一つがその伝説に取り付かれて逃げ出せないまま騒動を引き起こした田辺兄弟の描写だ。
どんでんがえしを狙いすぎた?
それぞれの教師の目線で話が進む間々にネット掲示板での書き込みが入るのだが、その教師の話とは反面、ネットでの書き込み分はあまりにも幼くいかにもネットを使い慣れた若者の印象を受ける。この差がいささかわかりやすすぎて、早いうちから“入試をぶっつぶす”と言っているのは教師ではないかと思うようになった。もちろん受験生が書いたものもあるし撹乱させようとあえてそういう風を装ったのかもしれないが、ちょっとわざとらしく感じたのは確かだ。
もしかして、ドラマから入った分映像が先にできていることを文章にしなくてはならない弊害がここに出ているのかもしれない。サスペンスであろうとか、どんでん返しを狙おうとか、そういう思惑が先に出てしまったのだろうか。
書き下ろしとはいえ、頭の中にはそのドラマの映像が入っているはずだ。どうしてもそれを思い出しながら書いてしまうのではないか。そうすると余計な情報も頭に入り込んできて、それが自然な文章を作ることを邪魔したのかもしれない。そんな気がした。
簡単に言うと登場人物が多すぎた
相関図が必要なくらい登場人物たちは多く、そしてそれぞれの父兄も登場し、そして皆が皆なりの思惑を抱えている。それらが複雑に絡み合いもつれ合いサスペンスの醍醐味といった風合いを出しているのだけど、いかんせん私にとっては登場人物が多すぎた。それゆえに一人ひとりの心理に深く踏み込めていないから、行動の動機を理解できないところが多い。
最後杏子の告白から、それぞれ犯人が明らかになっていくのだけど、わかるけれどわからないような、なんだかすっきりしない読後感だった。
答案を盗んで出席番号を変えてどうこうといったあたりも複雑すぎて入り組みすぎてよくわからなかったし、最初に過呼吸起こして倒れた女子は普通に入学しているし、うーんと首を捻ることが多かった。
またあれほど逃げに徹していた校長が最後の最後あたりで急にいい人になるところも違和感があったし(逆に坂本先生は最初から最後までブレずにあの性格だったため、実はそんなに嫌いではない)、ややこしい同窓会長(この単語も初めて知った)の息子兄弟の存在は田辺兄弟の存在と若干かぶるし、登場人物が多すぎたということ以外に言えることはない。
もしかしてドラマを見た後で読めばもっと理解できるかもしれない。分からなかった伏線ももしかしたらあるのかもしれない。かといってこれをもう一度読み直すには長編すぎるので、この本はここまでにしたいと思う。
ひとつ、主人公の春山杏子はドラマでは長澤まさみらしい。これは私が読んだイメージにもぴったりだった。ドラマのキャストが最初からイメージどおりだったことは珍しいので、ちょっと“おっ”と思ったところだ。
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