流転の人生の中での、多くの関わり、そして乗り越えるべきもの - 花の回廊の感想

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花の回廊

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流転の人生の中での、多くの関わり、そして乗り越えるべきもの

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目次

呆れるほど他人の人生に関わる熊吾

流転の海シリーズ第五部の花の回廊では、松坂熊吾が今まで人を使う立場だったのがモータープールの管理人として雇用される側になる話が大筋である。

流転の海では松坂一家に多くの人が関わっているが、松坂熊吾をはじめ、妻の房江や息子の伸仁にとって、この「花の回廊」ほど人の関わりが忙しかった巻はないだろう。

これには、蘭月ビルという個性のるつぼで伸仁が過ごした日々や、家計を支えるために外に働きに出た房江の生活、関わった人間のそのまたツテで知り合った人の人生にまで関わる熊吾の、相も変わらずのお節介な性分が起因している。

熊吾の相棒千代麿は、自分の愛人と熊吾にゆかりの女性たちが同居している家族形態と、そうなったことを運命でなければ何なのだと言うが、本当にそう感じる。

松坂熊吾という存在自体が、周囲の運命を握っているのか、それとも、自分の運命を預けて見たくなるような包容力や魅力がある男性なのか。いずれにしても、多くの人間の人生に関わるところで、熊吾はこの巻でも大きな役割を果たす。

一見シェアハウス?新しいようでなかなかない家族形態

流転の海シリーズでも異色な家族形態が、城崎の千代麿の亡き愛人である喜代と同居している人々である。つながりと言えば松坂熊吾の知り合いの家族やその縁者という事であり、元々横での面識は全くない。喜代の祖母のムメばあちゃん、亡き喜代、喜代と千代麿の子供である美恵、熊吾の故郷のライバル、わうどうの伊佐男の子供を身ごもった浦部ヨネとその子正澄、熊吾の恩人周栄文の娘麻衣子という、一般的に家族として同居できるのだろうか?という面々だ。

しかも、喜代が急死してからは、喜代の祖母の面倒はヨネと麻衣子が請け負っており、そのヨネもこの巻でガンが発覚する。今でいうところのシェアハウスの様な、古くて新しい住まい方のように思える一方で、ヨネは我が子正澄だけではなく、喜代が亡きあとは美恵も自分の子として育てており、単なる便宜上の同居の域を超えている。

これも、松坂熊吾という人の人生に大きく立ち入ることを生きがいとしている人物だからこそ可能なことなのか。今後超高齢化社会を迎える中、この新しい住まい方は、気が合う仲間同士なら、社会問題を解決する一つの手段かもしれない。

今現在にも通じる社会問題への松坂夫妻の見解が見事

この巻では、とにかく色々な人との接触が大きく、舞台は昭和30年代だが平成の今の社会問題を考えるうえで非常に重要な内容が盛り込まれている。

まず印象的なのが、朝鮮半島の歴史である。国際情勢の中、和平を保ちつつ様々な問題を解決していくかが現在でも問題となっているが、今の若い人はそもそもなぜ、一つの半島が二つの国に分かれてしまったのかや、当時日本に住んでいた朝鮮半島の出身者の人たちが、どうやって祖国に帰国して行ったのかなど、あまり深く考えたことがないのではないだろうか。

花の回廊では、蘭月ビルに朝鮮半島の出身者が多い事から、当時の朝鮮半島問題や国内でも半島出身者が差別を受け就業にも困っていたことなどが記されており、同時に松坂夫妻が全く差別なく分け隔てない視点で人と接する姿がすがすがしい。熊吾はどこか、朝鮮半島の出身者をよく分からない部分もあるとしながらも、その価値観の色眼鏡のみで個々の人柄をはかることは一切していない。生活こそ松坂一家にとっては一番厳しい時期であったはずだが、熊吾の困った人への包容力は全く底が知れない。

また、最近問題になっている、教師による生徒へのハラスメントにも触れられている。

息子の伸仁を、教師が野良犬と言ったため、非常に伸仁が傷ついて帰ってくるエピソードがあるが、これなど今なら全国ニュース並みの大騒ぎになるだろう。たとえ学校でハラスメントを受けようと、お前のいい所は沢山ありすぎてすぐには出てこないと、大きな愛情で包み込み、伸仁に自分を理解し、帰るべき居場所を作るという房江の対応が見事である。家族とはこうあるべき、という姿を垣間見ることができる。

熊吾のうるさい説教の筋が通りすぎている

流転の海シリーズでは、松坂熊吾のセリフに名言が多く、非常に心を動かされる。ただ、名言と言っても、一言で済むようなものではなく、とにかく聞く側がうんざりするような長い説教なのだ。

印象的なのが、子供の教育について、そもそもなぜ勉強をするのか?一見無意味そうな校則をなぜ守らなければならないのかという点について、熊吾は話に乗り気でない磯部にくどくど数ページにもわたって語りつくす。その間は大半が、磯部と熊吾の会話のみという構成である。

勉強は、学ぶ内容ではなく学ぶ行為自体に意味がある。校則も、校則自体が問題なのではなく、その決まりを守ることに意味がある。簡単に言うとそういう内容なのだが、60年も前の価値観が今も変わらず説教として通用するところに、教育の不変なる部分への気づきがある。

その他にもあわただしい事件ばかり

伸仁が人の死に関わってしまい警察に事情聴取を受けたり、房江の勤め先での女の確執、行方不明だった熊吾の母の発見、ヨネの発病による城崎の一家の行方、蘭月ビルの人々との関わりなど、並みの神経の人でも参ってしまいそうな事件が立て続けに起こる。それでも前に進み続ける松坂一家の強さは、自分の大事な人間を守ろうとする熊吾の圧倒的な包容力が原動力になっているのかもしれない。

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