全員心に思う「無理」の二文字のストーリー
「最悪」「邪魔」に続いて
タイトル「無理」は、その前に出版されているこれら2文字のタイトルを思い出させる。そしてそれら2冊のタイトル同様かなりの長編でもある。だけど、奥田英朗らしい無駄のない文章とテンポのよい展開であっという間に読んでしまった。読んでしまって思ったのだけど、このタイトルセンスは抜群だと思う。「最悪」も「邪魔」も思ったけれど、そのまま無理!なのである。それがとても面白く、シリアスなんだけれどどこかニヤリとしてしまうような、そんな感じの作品だった。
ストーリーとしてはいくつかの話が同時進行していく話だ。議員の様々なしがらみに苦しめられる生活、老人相手に詐欺を働いている若者、宗教に精を出す女性。その中でも主人公のような役割を持つのは、生活保護を承認する部署に勤務する友則だ。不正をしては生活保護を掠めようとする不精なシングルマザーや、召使のようにこきつかおうとする老人の相手など、人に悪意にさらされ続けてつくづく人が嫌いになった友則がはまった援助交際という罠。そういったいくつかのストーリーが見事に展開し、絡み、最後は収束する展開は最後まで目が離せないものだった。
詳しく取材したことを感じさせる緻密な描写
社会福祉事務所の事情、生活保護の事情、受給者の態度やその不正など、それぞれはとても詳しく書かれている。生活保護を受給しようとあの手この手でだまそうとしている人がいるからこそ、本当に困っている人間も疑われて受給されないのは本末転倒だと思うけれど、それは社会福祉事務所の職務怠慢ではないかと思って読んでいたら、本当にそのようなことが書かれていて驚いた。直接的ではないけれど、本当にこのように職員のサークル費用が税金だとしたら、怠慢も甚だしいところだ。
確か奥田英朗の「精神科医・伊良部シリーズ」の「町長選挙」でも公務員のひどい無駄遣いが描かれていたと思う。そしてそういうことは恐らく色々なことを取材して分かったことなのだろうと思うほど具体的で、だからこそリアリティがあった。
あとは宗教にはまっている女性の生活。あの万引きGメンといった仕事内容も具体的で、他方向から話を聞いたのだろうなと思ったところだ。架空であろうけれど、その宗教活動のリアルさ。「捌き」などいった言葉のチョイスもセンスがあり、なんとなくどこかしらバカにしたような文章ではあるけれど、全体的にしっかりと想像ができる。そういう表現も詳しい取材の上に成り立っているのだろうなと思った場面がたくさんあった。
援助交際にはまった友則の歪んだ感情
仕事内容もありすっかり人嫌いになった感のある友則だけれど、唯一心を安らげるのが援助交際で出会う女性とのひと時だった。だけどそれは恋人ではなく、金銭がつないだ独りよがりの域を超えていないと気づいてはいるものの、そこから抜けきれていなかった。この感情もとてもリアルで、日々そのような人の悪意をまともに受け続けて友則の心が弱っているのをそうといわずに感じさせるよい表現だと思う。逆恨みした西田からトラックの襲撃を受けるのも理解できず、優しくしようとしても撥ね付けられ、彼自身の感情にも「無理」の二言が浮かんでくる。
また援助交際している人々を遠巻きに見ながら友則の好みだったレイとの待ちかねたひと時がまったく想像とは違っていたのもリアルでいい。ああいう小さいところにもリアリティを出してくるのが奥田英朗の魅力の一つでもあると思う。
引きこもりにさらわれた高校生の悲劇
塾から帰る途中にいきなりトランクに押し込まれてしまった史恵は、なすすべもないままノブヒコという男の家に連れてこられる。恐るべきはこの家は一人暮らしのアパートでもなんでもなく、親も同居している実家だということだ。確かこういう事件がいくつか実際にあったはずだ。同居する親も誰かが来ていることに気づいていながらも、息子かわいさと恐ろしさに見て見ないふりをする罪の深さが信じられないけれど、どこか痛々しい。このノブヒコの親も同じだ。息子の暴力を振るわれながらも、どうしようもできない母親の弱さがよくにじみ出ている。しかし一番の被害者は史恵であろう。幸い性的被害は受けずにすんだけれど、それをどう証明できるのか。これから無事に助けられたとしても、どこに行っても一生、1週間以上拉致された女の子といわれる。なにもされなかったといっても誰も信用してくれないだろうし、週刊誌もそれこそ面白おかしく書くだろう。実際同時進行している他の話でも彼女が拉致されたことはニュースになっていて、それぞれが勝手な見解を話している。これがリアルだと思う。助かってもその人生は元の場所に戻れない恐ろしさは、死ぬよりも恐ろしいことだっただろう。それでも必死にノブヒコと調子を合わせ生きようとしている姿は、引きこもりであるノブヒコにこそ理解してもらいたいところだ。
ノブヒコも元は悪い男性ではないと思う。どこでどう間違ったのかその背景も知りたいところだった。
余談だけど、引きこもりのノブヒコというネーミングは「勇者ヨシヒコシリーズ」から来たのかなと思ったりした。
万引きGメンとして働く妙子
この女性の孤独感の描写は寒々しくなるほどだった。子供が2人もいながらも頼れず、必死に万引き防止Gメンとして働いているが、寂しさや心の隙間を宗教で埋めるようになってしまい、現世にご利益を求めないとは言いながらも、心にはいつも鬱屈が知らず知らずたまっている女性だ。万引きで捕まえた男性や女性を威嚇し偉そうな態度をとり反省を促すその快感は、決して健康なものではないと思う。そして彼女を見て映画「ES」を思い出す人は多いと思う。看守と囚人の役回りを一般人にさせる実験映画だ。妙子は相手に土下座されたり許してくれと懇願されるうちに、自分の位置を勘違いしたのかもしれない。金持ちそうなマダムに対する憎悪もここから来ているような気がする。とはいえ気の毒なのは変わりない。対立する宗教の罠にはまりバイトも首になってしまい、所持金はあと80万という設定は誰にでも起こりうるもので、背筋がぞくぞくした。この立っているところが崩れてしまいそうな恐怖は「東京難民」でも感じたけれど、今回もそれに近い怖さを感じてしまった。しかも妙子は売り言葉に買い言葉か、寝たきりの母親も引き取ってしまう。所属する宗教では幹部を目指すために働くことをやめろといわれたり、不幸と名のつくものは全て妙子に向かってきているような錯覚さえ覚えてしまう気の毒さだ。しかもふらふらと魔がさしたのか母のための車椅子まで万引きしてしまい、あっさり捕まってしまったところなどはこれからどうなってしまうのかという気持ちで直視できないくらいだった。このせいでせっかく決まった弁当工場のバイトがなくなってしまわないか、そんな心配もしてしまった。
史恵もかわいそうだけど、同じくらいこの妙子も気の毒としかいえない女性だった。
いささか乱暴にも思えるラストだけれど
西田に再度襲撃された友則の車がスピンしたことで、それぞれの思惑を乗せた車が追突事故を起こす。史恵を乗せた車、証拠隠滅のための焼却炉を載せた車、自首しようとためらう若者2人の車、全てが大破する。この展開はいささか乱暴にも思えるのだけど、全く悪くない。まず、全ての悪が明るみに一気にでるという爽快さがある。すっきりしないストーリーの終わり方よりもこちらのほうがよっぽどいいと思わせるくらいの爽快さだ。そしてここでタイトルの「無理」というのも生きてくる。
それぞれの話が音声豊かにカラフルに進んできて、最後派手にどーんとぶつかり物語が終わるというのは小説では初めて読んだように思う。乱暴にも思えるけれど、個人的には好みな終わり方だった。
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