ふとニヤけてしまうエッセイ集 - 延長戦に入りましたの感想

理解が深まる小説レビューサイト

小説レビュー数 3,368件

延長戦に入りました

3.503.50
文章力
3.50
ストーリー
3.50
キャラクター
3.00
設定
3.00
演出
3.00
感想数
1
読んだ人
1

ふとニヤけてしまうエッセイ集

3.53.5
文章力
3.5
ストーリー
3.5
キャラクター
3.0
設定
3.0
演出
3.0

目次

電車の中では読まないほうがいいかもしれない

奥田英朗のエッセイは他の作品も読んだことがある。確かに所々ふっと笑ってしまう描写はあったけれども、これほどではなかった。笑いをこらえようとしても唇の端がふとあがってしまうような、変な顔についついなってしまう。奥田英朗自身は多分読み手を笑わせてやろうとは思っていないと思う。至って真面目に思っていることを書き、どうしてそうなるのか奥田英朗なりに分析しているのだけど、そこに興味持つんだ!という驚きとその着眼点のセンスのよさに、ついつい引き込まれてしまうのだ。
このエッセイの種類としては、なんということもないことでも話の面白い人が話すと面白くなるといった技術的なものではなく、分かる人には分かりすぎるほど分かってにやついてしまうという種類になるかと思う。かといっていわゆる“あるある”的な話ではないため(あくまで奥田英朗自身の経験と感覚から生まれた話なので)、分からないところももちろんある。でもそれが退屈な話ではないところがまた良い。思わず読みいってしまう表現力とテンポのよさは相変わらずだ。
個人的にはもともとエッセイという分野にあまり興味がなかったのだけれど、奥田英朗のエッセイを読んでその意見を考え直した経験がある。このエッセイもその気持ちを裏切らずにいてくれた。

分かりすぎるほど分かる「ひそかなる故障の楽しみ」

この「延長戦に入りました」の一番最初に書かれているエッセイがこれだ。最初の最初から実に飛ばしてくれる。この“ケガをひそかに誇りに思う”気持ちをもったことのない少年少女はいないだろうと思う。実力がある上に必死で練習し、その結果体の様々なところから文句が出てくる。ヒジ、ヒザ、手首…。それをいかにも悲運めいた仕草で憂いてみせる快感は誰しも経験していると思う。しかしそれはいま思うと恥ずかしすぎる過去として封印している人が多いと思うのだけど、奥田英朗は堂々とそれを書いているところがまたすごい。
またそのひそかな誇りを日本人の好みまで話を発展させるところがまたすごい。確かに日本人はそもそも柔道選手は骨折をしながら優勝、とかこの関取は靭帯が切れたまま優勝したという話が好きだ。だからこそ、野球選手年鑑に故障数を載せたらいいという提案は実によくわかる。キャンプももしかしたらしない方がいいのかも…なんて私も同じこと思ったけれど、実は本当にそうかもしれない。

わかるわかる!「私の目の行き所」

野球を見ていても、相撲を見ていても、プロレスを見ていても、マラソンを見ていても私がついつい見てしまうのは、それらを観戦している人々の表情やその様である。もちろんスポーツ観戦自体それほど熱心に見る人間ではないので、そういうの見ているのはたまたまついていたテレビなどの映像などだ。それは基本的に自分がスポーツに興味がないからだと思っていたけれど、奥田英朗もまさにそのような目線の持ち主で、なにかしら同志を得たようなそんな気持ちになった(ただ彼のようなスポーツ好きの目線と一緒にするのも気がひけるのだけれど)。
スポーツをずっと継続して見ていたら、奥田英朗が言うような人にも出会えたのかもしれない。いつも同じ席に座っている観客に気づけたら、どれほど想像が広がってしまうことだろう。目に入る映像をなんとなく見ている私とは違い、スポーツが好きで見ているからこその発見なのかもしれないけれど、とてもうらやましく思った話だった。
奥田英朗のエッセイを読んでよく感じることなのだけど、文章に自慢のような雰囲気が全く出ない。時にそのような人とは違う感覚を持っている自分すごいでしょといったような、自慢をその下に感じる文章が時にある。さすがにあからさまに自慢はせずとも、へりくだりながらも言っていることは自慢のような、鼻につく文章もよくある。奥田英朗の文章では、ストレートに自慢気に語っているときでさえ、そのような嫌味を感じることがない。
今回の話もそのような嫌味を感じることなく、本当に目の前で話しているような軽快な文章に、つい口元が緩みそうになった話だった。

一人歩きする伝説について彼が思うこと

野球界のレジェンド沢村の話はここで初めて知った。野球に興味のない私でも名前を知っているくらいだから相当な実力の持ち主な上、当時の野球を日本に知らしめたパイオニア的存在だと思っていた(そのようなマンガを読んだようにも思う)。それが、推測の域を超えないとしながらも奥田英朗が出してきた資料は、実際はそういうことだったのかと思わせる信憑性のあるものだった。元々沢村に思い入れがあるわけでないのでがっかりはしないけれど、なんとなくレジェンドとしてそのまま受け入れるのではなく、なにか斜めから見るような奥田英朗の視線に感心してしまった話だった。
特にマスコミに煽られて、渡米した選手などが美談として勝手に祭り上げられている現象が時にある。それはマスコミが煽れば煽るほど一人歩きし、本人とは関係のないところまで進んでしまっている話をよく聞く。
沢村の話も本人が語れば全く違うことを言うのかもしれない。そんなことを思ってしまった。

奥田英朗の平民意識がすごい

図書館のスポーツ新聞争奪戦の話が実にリアルだ。この人、本も映画化されて相当お金持っているだろうに、図書館でスポーツ新聞を学生と取り合っているのかと、かなり面白かった。そしてこの話絶対想像ではないだろうと思う。新聞を置いた瞬間にすぐ立ち上がるのは品がないなどと逡巡する様は、リアルすぎるほどリアルだ。そして何もスポーツ新聞でなくとも、そのような静かな争奪戦は誰しも経験があるのではないだろうか。例えばスーパーの見切り品シールを貼ってくれる瞬間とか、電車の空いた席とか(これは静かではないか)。欲しいのだけど、その気持ちをむき出しにするには抵抗があるけれど、でも欲しいという葛藤がうまく表現されており、この話は好きな話の一つだ。
しかし新聞くらい買いなさいよ、と思ってしまうのだけど、それをしないのが奥田英朗のよさなのだと思う。

出席番号について考えさせられたこと

名字のあいうえお順でつけられる出席番号のことをここまで掘り下げて考えたことはなかった。だけど読んでみたら、そりゃそうだと膝を打つ話ばかりだ。自己紹介ではトップになることが必然的に多かったであろう安藤くんよりも、村上くんの方がプレッシャーに弱いだろうとか、そういうことを考えるとそうだとしか思えなくなってしまった。
考えたら生まれたときから元々ついている名字で様々なイベントを1番か2番にはしなくてはいけなかったア行の人は、プレッシャーと忍耐力がワ行の人よりも強くなくてはやっていけなかっただろう。それは後天的に身についた技だと思う。この“出席番号占い”は少なくとも血液型占いよりも信憑性があるのではないか。
こういった意外な着眼点を気づかせてくれるのがこの作品の面白さの一つだと思う。

各種スポーツへの素朴な疑問と愛に溢れた作品

ボブスレーの2番目に座っている人を何をするのかとか、レスリングのタイツの中途半端さ加減とか、素朴ながらも誰しもが抱いた疑問を解決せずに自分なりの解釈で話を終わらせているのがこの作品の魅力の一つだ。全体的にユルイのである。それが実に心地よく、にやけながら一気に読み終えてしまった。
失礼ながら、奥田英朗自身はスポーツは好きだろうけれど、自身もスポーツをするとは思っていなかった。なんとなくスポーツとは遠いところにいる人間と思っていたのだけど、なかなかのスポーツマンだったことが判明し、またそれも楽しいところだった。
ただこの作品、不意打ちでニヤリとさせられるので、電車など公共手段で移動中に読むのはやめておいたほうがいいと思う。

あなたも感想を書いてみませんか?
レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。
会員登録して感想を書く(無料)

関連するタグ

延長戦に入りましたを読んだ人はこんな小説も読んでいます

延長戦に入りましたが好きな人におすすめの小説

ページの先頭へ