一つの物語が引き寄せる、夢に破れた人たちの物語
始まり方は平凡だった
最初は、小説家を目指す少女とその友達の甘酸っぱいような交流や、年頃の少女らしい恋などの話で、それほど心惹かれるわけでもなく平凡な始まり方だった。ハムさんとの恋愛も、本人になんの話しもせずにいきなりの婚約宣言など、昔はこれが当たり前だったのだろうかと思わせる展開だった。主人公である絵美もいつも受身で、ただの読書好きで空想好きの少女ではない、どこかしらめんどくささを醸し出している。だからこの主人公はあまり好きではなかった(この町から出られるわけがないと繰り返し言うその卑屈さも、嫌なところだった。いわばそれがリアルなのかもしれないけれど)。
絵美の恋人であるハムさんも、何も知らない少女を見たことのない世界に連れ出してやろうという、いささかマッチョな驕りが見え隠れするし、それほど魅力的にも思えなかった。だからこそ、夢を実現させるために絵美が唯一自分で動いた、松木流星の元へ弟子入りを反対したときも駅まで行って待ち伏せていたことも、松木流星が女たらしというのは表向きの理由で、未来の妻に勝手なことをされたくないというつまらない亭主関白的な感情のみで絵美の夢を潰したと思ったのだ。
実際はそうでなかったのに。それはこの物語を最後まで読まないとわからない。それまで十分振り回されたのに、最後の最後でまだ話は終わっていなかったんだ、タイトルの「物語のおわり」ってそういうことかと、実に心地よい読後感で満たされた作品だった。
過去から未来へ 新しい命を宿した女性の決心
主人公は妊娠3ヶ月でガンが発覚した。今すぐ治療するには子供をあきらめないといけない。このわかりやすい展開でわかりやすい文章がとても頭に残った。「子どもをあきらめて、自分が生きる。子どもを産んで、自分は死ぬ。」実際こうなのだろうけれど、こうきっぱりと頭が整理できるはずがない。ただでさえ妊娠初期なんてホルモンのせいで感情の浮き沈みが激しいときなのに、そこに自分の生のことまで考えるとなると悲観的にしかならないと思う。このあたりの文章は無理に冷静であることを見せようとする主人公智子の感情を示すように、文章も淡々としている。この場面と、生きたいと痛切に願う場面は読んでいてつい涙腺が緩みそうになった。
そんな智子がお腹の子どもと一緒に北海道旅行を計画する。そして北海道に向かうフェリーの中で、ある少女に出会い、絵美の書いた物語「空の彼方に」を託されるのだ。尻切れトンボのように唐突に終わるこの物語を智子は智子自身の解釈で捉え、ラストを想像する。それは智子でなければ引き出せないラストだったと思った。戻る場所があるということ―。それを伝えたいと思う気持ちは、すなわち自分が生きるという決心に他ならないと思う。死にたくないと思いながら生きてきた智子にとって、生まれてくる新しい命のために生きようという気持ちは、鮮烈だったと思う。死にたくないから、でなく、純粋に生きたい!と思えることは、これから待っていること(病気の進行や、術後の状況など)に、きっと良い影響を与えるだろう。この悲観的な条件の中では奇跡のようなハッピーエンドだったと思う。
花咲く丘で 夢をひきちぎられた男性の思い
この物語はとても腹立たしい思いで読んだ。子どもの頃からの夢であるプロ写真家の夢が叶おうとしたその目前で、体を壊した親の代わりに工場を継がなくてはならなくなった男、拓真の話だ。本来の後継者であるはずの兄は既にサラリーマンとして年収一千万を稼ぎ出し、高額な父親の治療費を払い続けている。姉は教師で、兼務できるほど簡単な職業でもないし、そもそも副業は禁止されている。そうなったら写真家を目指すとは言ってもさほど親に状況を説明してもおらず、親は親で拓真が仕事もせずフラフラしているように見えたのだろう。よりにもよって、母親の発した言葉が「あなたのために」だ。これには拓馬でなくとも、腸が煮えくり返る思いがした。そして自分が母親と言い争いしたときの感情が噴出してきて、じっと座っておれなくなり、うろうろしてしまった。
そもそも赤字と黒字を繰り返すような工場を継続させる意味があるのだろうか。拓馬も最後までだまってしまわずに、もっと自身の状況を説明をし、懇願なり説得なり、もっと見苦しく闘ったほうがよかったのではないか。イライラとそんな気持ちさえした。
そしてその夢をあきらめる最後の写真旅行として北海道を選んだ拓真は、ラベンダー畑で智子と出会う。そしてしばらく話したあと、智子から「空の彼方へ」を託されるのだ。そして拓真がそれに見出した解釈とラストもまた、皆と違ったものだった。
私も思ったけれど、絵美の夢である小説家も拓真の夢の写真家も、どこでもできる仕事の最たるものだと思う。絵美のときもなにも弟子入りなんてする必要ないだろうと思ったし、拓真の場合も思った。比較的写真の方が師匠がいるかもと思ったけれど、それでも、である。
その気持ちをもともともっていたのか、拓真はそう決意し、夢を忘れない気持ちを固める。そう思いながらも、苦しみ悶えながら、少しずつ硬く身につけてきた実力と、それをし続けることへに嫌気がさしていなかったか。自分の夢をあきらめられるきっかけとなると、一瞬でも喜ばなかったか、そう思って自分をいさめるのだ。この辺の描写はわかりすぎるほどわかるものだった。そして自分の中にあった、気づいてはいなかった気持ちと、撮るべきものたちに気づいた拓真の写真の腕は、きっと急激にあがるだろう。そんな気がした。
ワインディング・ロード
最近ぴったりとしたカラフルなスエットスーツのようなものを着て、街を疾走するサイクリスト(と呼ぶのか?)をよくみる。男性だけでなく女性も多いし、シルバーの方々もとても多く見受けられるが、この物語も女性サイクリストが主人公の話だ。
こういう話を読むにつけ、独身時代にもっと一人旅をするべきだったと軽い後悔に襲われる。自転車は無理でも、気まぐれに電車を乗り継いで好きなところで降りるとか、船で遠くに行くとか、なんでしなかったんだろう。そうして見た世界はきっと家族で訪れるものとまた違った見え方がするはずだ。私もそんな風景が見たかったと思わせてくれた作品だった。
ただ、主人公は一人で自転車を担いで日本どこにでもいく格好のいい女性だ。そんな独立心旺盛な(感覚で。一人で旅する女性が恋愛依存症のような寂しがり屋はとも思えないので)女性が、剛生のような意味のない男を好きになるだろうかという疑問が終始ついてきた。この女性綾子と言うが、彼女も剛生も小説を書く。しかし綾子の書いた小説に対する剛生の評価はいつも辛く、しかもそれが的を得ているとは到底思えない。それだけでなく、就職活動に成功した綾子の足をひっぱるようなことも言うし、この男のどこに魅力を感じるのかさっぱりとわからなかった。また自分の書いた小説を誰かに読んでもらって、その誰かが強く否定したとする。だとしてそれをそれほどに思い悩むものだろうか。自分の小説はこれなのだから趣味があわなかったんだねで終わらないだろうか。剛生の厳しい声を聞きながら涙で顔をぐしゃぐしゃにしている綾子は、妙に自信を喪失しすぎるように思った。自転車をこいでいるときのあの生き生きとした力強さはどうした!と思ってしまうのだ。
結果剛生の方が他に恋人を作り別れるのだけど、そこもこっちからきっぱり別れたらいいのに!と恋人関連ではかなりの消化不良を思わせた。
綾子もまた拓真から「空の彼方へ」を託される。それを読んで自分なりに色々感じて、自分の夢を新たに決心する。だがしかしそこでなぜ別れたはずの剛生にそれを報告するのか。そこは本当にいらないと思った。
それぞれの立ち位置から見た「空の彼方へ」。そしてその結末。
この“読むもの自身の境遇によって様々な捉え方をし、それぞれの違うラストを想像する”というのは全てのここに出てくる短編に共通する設定で、それを読むと実に様々な捉え方があるものだと感動する。私と同じように想像したものもいた。
そしてガン宣告された妊婦に最初に物語を託した少女は、絵美の孫だということもわかる。そしてその孫の質問によって、ないと思われていた「空の彼方へ」のラストが語られるのだ。
ハムさんは決して絵美の夢を潰そうとしたのではなく、松木流星でない別の作家への弟子入りを段取りしていたのだ。結果絵美は夢が叶い、本を一冊出すことができた。そしてそれは全く売れなかった。それ以来絵美はパン職人として幸せに生活してきた。このラストは最高によい。一冊本を出すことができてそれが売れなかったというのもいい。厳しいように思えたハムさんの言葉は、真実をついていたのだとここでわかる。そうなると理不尽に思えた絵美への態度も一気にハムさんよりで理解できてくる。理不尽に思えたのは絵美の文章だったからだ。
この「物語のおわり」はいくつかの物語を組合わせてひとつの作品となっている。湊かなえは時折そのような表現方法を取るけれど(たくさんの手紙で構成された作品とか)、この本はその中でも抜群に読み応えがあった。
もし自分が譲れない夢を抱え生きていたらこの本のラストはどう感じるのか。それを思った作品だった。
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