白い、閉ざされた風景の中で小さな狂気が膨れあがっていく陰惨さとユーモア、錯綜と悲哀を描いた秀作 「ファーゴ」 - ファーゴの感想

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白い、閉ざされた風景の中で小さな狂気が膨れあがっていく陰惨さとユーモア、錯綜と悲哀を描いた秀作 「ファーゴ」

4.54.5
映像
4.5
脚本
4.5
キャスト
5.0
音楽
4.5
演出
5.0

ジョエル・コーエン監督の「ファーゴ」のアメリカでのキャッチ・コピーは"homespun murder"ということだそうだ。つまり"田舎者の殺人者"というわけだ。なるほどこの映画の舞台になっている、ミネソタ州とその隣のノース・ダコタ州は、アメリカの中でも"田舎"なのだ。存在感が薄い。人口は少なく、ミネソタ州の州都ミネアポリスでも、人工はせいぜい40万人ほどだ。隣のノース・ダコタ州はさらに人口は少なく、この映画のタイトルになっている、州で一番大きな町ファーゴの人口は、わずか6万人ほどだという。

つまりは、アメリカの僻地といってもいい。おまけに、ここは冬は雪に閉ざされ、零下十何度の寒さの中で、人間は小さくなって暮らさなければならないのだ。そのために、広々とした平原の中に住んでいるのに、開放感が全くないのだ。

「ファーゴ」という映画は、このミネソタ州とノース・ダコタ州という土地や風景を抜きにしては語れない、まさに"homespun murder"である。人の姿の見えない、寂しい土地。しかも季節は冬。見捨てられたような風景の中で、異様な殺人事件がブラック・ユーモアの感覚で語られていく。

あたり一面すっかり雪に覆われた中を、車があえぐように向こうからやって来る冒頭のシーンから、この映画は「白」に浸されていく。アメリカの映画と言うと、カラフルな風景が当たり前になっている中で、この白い風景は異色である。全編、雪に覆われたアメリカ映画は、例えばロバート・アルトマン監督の「ギャンブラー」のような西部劇や、スタンリー・キューブリック監督の「シャイニング」のようなホラー映画を除いて、あまり記憶にない。

雪に閉ざされた白い風景、あるいは白い狂気。ミネアポリスを故郷とするコーエン兄弟は、まずそれを描きたかったに違いない。人の姿の少ない寒々とした町で、雪に閉ざされて暮らさざるを得ない時、人はどのように狂っていくのか。あるいは、どのように狂わずにいられるのか。

この映画には、白い雪原の中に人間がひとりぽつんと立っている寂しいイメージが多い。冒頭のシーンがそうだし、スティーヴ・ブシェーミが、雪の中に奪った金を隠すシーンもそうだ。あるいは、スティーヴ・ブシェーミとピーター・ストーメアが、パトロール・カーの警官を殺すところ。あるいはまた、最後にフランシス・マクドーマンドが雪の中を逃げていくピーター・ストーメアを撃つところ。

見渡す限り見えるのは白い雪ばかり。アメリカというより、まるでシベリアか北欧の雪原のようだ。その白い荒地の中で、人間は無力に、孤独に見える。周りの全てが白なので、空と雪の区別がつかない。まるで正常と狂気の区別がつかないように。

この映画について、かつてコーエン兄弟は「ミネアポリスはいわばアメリカのモスクワ、シベリアだ。つまり、とても寒いんだ。冬が長く、雪で真っ白になる。雪に閉じ込められるわけだ。私たちの映画がアメリカ映画らしい明るさ、開放感をもっていないのは、ミネアポリスという町のせいかもしれない。ミネソタの冬はとても孤独だ。特にテレビを見ている時にそう思う。テレビの中では賑やかで明るいドラマが語られている。ニューヨークやロサンゼルスには人間がたくさんいて楽しそうだ。それなのにそれを見ている私たちは、しいんと静まりかえった町にいる。自分たちが世界の中心から取り残されていくような気分になる」と語っていました。

白い雪に閉ざされていると、その中で、人間は徐々に正常と異常の区別がつかなくなっていくのかもしれない。この映画の最大の狂気は、無論、殺人事件そのものだが、その他にもよく観ていると、小さな狂気があちこちに散らばっている。車のセールスマンのウィリアム・H・メイシーは、いつもおどおどしていて自信なさげだ。車を買いに来た客に、約束が違うと怒鳴られる。妻の父親には嘲笑される。日常の歯車がひとつひとつ噛み合わなくなってきている。

そして、彼は何と自分の妻をプロの男たちに誘拐させるという前代未聞の犯罪を思いつくのです。あまりに奇抜なので、笑い出したくなるほどだ。空と雪が溶け合った白い雪の世界では、悲劇と喜劇の領域も定かではなくなってくる。

おかしな奴はまだいる。女警察署長のフランシス・マクドーマンドが、ミネアポリスで再会する日系人らしい技術者。一見、紳士的なビジネスマンに見えるが、突然、「妻に死なれた」と言って泣き出すのだ。フランシス・マクドーマンドは同情するが、後でそれが嘘だったとわかるのだ。かなり頭がおかしい男なのだ。また、無口なピーター・ストーメアが、やっと口を開くと「パンケーキが食いたい」と執拗に言うところも変だ。相棒のスティーウ・ブシェーミは、顔が変わっていて、目撃者に「変な顔をした男」と描写される。

後では好人物とわかるのだが、フランシス・マクドーマンドの夫、売れない画家のジョン・キャロル・リンチも初めは変わって見える。妊娠中の妻にしつこく「ちゃんと食事をしろ」と言い、妻のために料理を作ってやり、警察署までわざわざランチを届けに来る。くどいというか度が過ぎるというのか、はじめ、この男も何かしでかすのではないかと疑ったほどだ。

白い、閉ざされた風景の中で、こうした小さな狂気が雪だるまのように膨れあがっていき、それがついに連続殺人へと拡大していく。この畳みかけが実にうまいと思う。サイコ・ホラーものによくある唐突な狂気とは違う。じわじわと日常生活の中で、大きく育っていく狂気なのだ。その狂気に取り憑かれてしまうと、誰もそこから逃げられないのだ。

近年のサイコ・ホラーの快楽殺人者は、冷静で知的な狂人が多いが、この映画の、事件を引き起こす三人の男たち、自動車セールスマンのウィリアム・H・メイシー、無口なピーター・ストーメア、変な顔のスティーヴ・ブシェーミはそれとは違う。三人ともデカダンスの匂いはしない。自分が狂気を支配するのではなく、逆に、狂気に支配されてしまっている。狂気の空間の中に閉じ込められてしまっている。

コーエン兄弟の映画に共通するのは「密室」だと思う。「ブラッドシンプル」のハイウェイ沿いの小さなバー、「ミラーズ・クロッシング」の"処刑"が行なわれる深い森、「バートン・フィンク」のホテル、「未来は今」の高層ビル。いたるところに「密室」のイメージがある。おそらくこれは、長く寒い冬に閉ざされるミネソタ州という風土から生まれた独特の感覚なのだろう。コーエン兄弟が描くと、陽光のロサンゼルスさえ、人の姿の見えない、がらんとした倉庫街のように見えてくる。そして、閉所恐怖症に取り憑かれたように、男たちは、閉ざされた「密室」の中で静かに狂っていくのだ。

そして、この「ファーゴ」の「密室」は、白い雪の世界だ。誰もこの世界から逃れることは出来ないのだ。コーエン兄弟は、黒澤明監督の「天国と地獄」を見てから、いつか「誘拐」の映画を作りたいと思っていたという。「誘拐」はまさに「密室」の極致である。そして「ファーゴ」がとてつもなく面白いのは、誘拐する男たちもまた、白い雪の中に閉じ込められ、行き場を失っていくことである。自動車セールスマンのウィリアム・H・メイシーは、モーテルという「密室」に逃げ込み、逮捕される。二人のプロは、林の中の隠れ家に逃げ込む。そして、ひとりは殺され、ひとりは逮捕される。

息苦しくなるような密室のドラマの中で、救いは、言うまでもなく、刑事コロンボの女性版のようなフランシス・マクドーマンドである。妊娠中でお腹の大きい警察署長という設定が、実に人を食っているが、事件らしい事件などまず起こりそうもない小さな田舎町には、こんな刑事がいても不思議ではない気がする。

彼女は徹頭徹尾、普通である。平凡そのものである。結婚していて、これから子供を産んで夫と共に育てていこうとしている。平凡な小市民だから、周囲のおかしな連中、おかしな出来事にいちいちびっくりするのだ。妻に死なれたと言って泣き出す日系人らしいビジネスマンが、突然、自分を口説こうとするので目を丸くする。事情を聞きに来ただけなのに、エキセントリックになる自動車セールスマンの応対ぶりにびっくりして目を丸くする。このフランシス・マクドーマンドの驚いてばかりいる様子が面白い。彼女がこの映画の演技で、アカデミー賞の最優秀主演女優賞を受賞したのも、まさに納得出来る。

雪に閉ざされた白い、白い世界の中で正気を保とうとしたら、彼女のように思い切り平凡に、どこまでも普通にしていることが一番の方法なのだろう。

冒頭に「この事件は事実である」というクレジットが出る。それが本当なのか否か。議論のあるところだろうが、そういう詮索はあまり興味がない。それよりもむしろ、寒々とした白い風景をいつまでも見つめていたい。考えてみれば、映画のスクリーンもまた、ひとつの「密室」なのだから-------。

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