“おうちが一番”と思わせてくれる温かい作品 - 家日和の感想

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家日和

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ストーリー
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キャラクター
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“おうちが一番”と思わせてくれる温かい作品

3.53.5
文章力
3.5
ストーリー
3.5
キャラクター
3.5
設定
3.0
演出
3.0

目次

家が大事だと思わせてくれる6つの短編たち

この「家日和」には、全部で6つの短編が収められている。そのテーマは基本的には“なんだかんだいってもおうちが一番”と感じさせてくれる、ほんわかした物語たちである。とはいえ家の中の悩みなどは詳らかに描かれているわけで、そこはどこかしらカッコ悪さも同時に描写していると思う。そのいわゆる“カッコ悪さ”というのが、毎日必死に生きているからこそのカッコ悪さで、そこにはなんとなく誰しもそういうところがあるのだろうと思わせてくれるリアリティがある。この物語たちとまったく同じ設定でなくとも、一介の主婦なら「わかるわかる…」とため息をついてしまうものだと思う。正直「グレープフルーツ・モンスター」は、少し直接的すぎ、ましてやそのような希望通りの夢は見れないだろうとか思ったのだけれど(そしてあまりにも直接的すぎて主婦をバカにしてるのか?と思ったりもしたけれど)、いやいやもしかしたらこれは描写どおりでなく、何かを婉曲的に表しているのかもしれないと勘ぐったりしたぐらい、あまりにも他の作品たちはリアルで感情移入できるものだった。
主人公たちは主婦であったり、家庭を支えるサラリーマンだったり様々なのだけど、このコミカルでどこか情けなく、でもすこし笑顔になる話はいつも荻原浩の作品という印象が強かった。事実、荻原浩の最近の短編集「海の見える理髪店」では荻原浩真骨頂のような印象を受ける作品で、期待を裏切らないものだった。反面、奥田英朗の作品で短編でコミカルなものといえば、精神科医・伊良部シリーズの印象が強く、温かみや切なさといったものをテーマにしている印象が少なかったのだ。
そういう時に前回「我が家の問題」を読み、リストラされた夫やマラソン狂の妻を持つ作家の話や、問題があるのだけれど愛で乗り越えるといったベタながらも温かみを感じる短編を読み、奥田英朗もこういう物語を書くのだなと発見したところだった。そして次にこの「家日和」を手に取ったのはもしかしたら偶然ではなかったのかもしれない。

ネットオークションにはまってしまった主婦

日々のマンネリ化した生活に流されてつつ生きている主婦紀子は、ひょんな出来事でネットオークションに出会う。ある程度高価だったピクニックテーブルがどこにいっても値段がつかず、妹にオークションを教えられたのだ。確かに業者を介入させずに個人同士でやりとりするネットオークションなら、思っている以上の値段がつくこともある。そしてどこかしらスリリングだ。ささやかとはいえ、普段の生活ではあまり感じられない感情の揺さぶりに夢中になってしまうのもわかる気がする。そして家の中じゅうを、何か売れるものはないかと物色して回るところもとてもリアルで、思わずにやりとしてしまった。この展開は、オークション経験者なら誰もが感じる“あるある”ではないだろうか。もちろん誰かに感謝され、少し張り合いがでてきたからといってシワが消えることなどそうないとは思うけれど、その快感は十分理解できるものだった。
紀子が出品したものはある程度いい値段がつくものが多く、その上落札者からの評価もうれしく、それもオークション熱に拍車をかけた。しかしここから不吉な予感を感じ始めた。できるだけ良品を出品しようとして、夫の思い出の品までに手を出してしまったのだ。長年使われずに放っておかれたものだからそれほどの危機感はなかったのだろうけど、こういう勝手な行動にいい結果がついてくるわけがない。夫の思い出の品が思いがけず高値がつきだし、調べてみると意外にも名品だったことから(しかもこれが中途半端な名品というところがまたリアルだ)、紀子がどんどん焦ってくる。この焦り具合が手に取るようにわかり、こちらもだんだん息苦しくなるくらいだった。
最後最高落札価格で夫の品を取り戻すところは味のある愛が感じられて、展開としては一番よいラストではないだろうか。

マッチョな男との対比が心地よい「ここが青山」

ストーリーの端々に書かれる「人間いたるところに青山あり」という言葉の意味よりもむしろそれをちゃんと読めているかどうかで、博識ぶった老人やマッチョな上司の間抜けさ加減を表している皮肉ぶり(そして詳しい描写よりもこういう描き方の方がよく伝わる)がユニークなこの作品は、主人公である裕輔の会社がいきなり倒産してしまったことから始まる。倒産したという大事に対して36歳という年齢にしては比較的のんびりしているようにも感じる裕輔は、家に帰っても妻厚子に対してのんきな報告の仕方で、もともとの性格がこうなんだろうということを匂わせた。それに対して妻の行動の早さは裕輔の態度とは対照的で、次の日早速仕事を決めてくる。こういうあたり、もともと働き手である裕輔と家を守ってきた専業主婦である厚子のそもそもの立ち位置が逆だったのかもしれないと思えた。こういう裕輔の男性的なマッチョさがないところはいささか心地よいところでもある。裕輔の上司のような男性特有の暑苦しさは、見ていて時々痛ましいことがあるからだ。男性にも、プライドがどうとか男の沽券とかどうでもいいところを振りかざさずに素直に妻に甘えるところがあってもいいと思う。

つい思う、本当の男らしさとは

こういった展開が印象的なのは、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」で主人公である“僕”が仕事を辞めた時、妻のクミコが働き手となり“僕”はいわゆる専業主夫となる。妻の服をクリーニングに出し、晩御飯を用意し、そういう家事をなんの抵抗も世間体も気にせずにこういうことが出来るのが本当の男らしさかもしれないと思わせるものだった。
マンガ「きみはペット」でもスミレがいいことを言うところがある。吉田がモモに「男として情けない」などと詰め寄るところに「本当に自分に自信のある男は体裁なんて気にしない」という言葉だ。吉田がつまらない男のプライドやらに振り回されて実に格好悪い男性なだけに、この言葉は真に迫るものがあった。
この作品は男らしさとか女らしさとかそういう壁を越えて、本当の人間の良質といったところが見える作品だと思う。
またそこまで掘り下げずとも、裕輔が息子のために作るお弁当は愛に溢れており本当においしそうだった(チョコがけブロッコリーは遊びすぎだと思うが)。
ただ一つ、なにはともあれハローワークには行ったほうがいいのではないだろうかとは思いはしたがどうだろうか。

「我が家の問題」で登場した夫婦が登場

この「家日和」と「我が家の問題」を私が読んだのは「我が家の問題」が先だったのだけど、発行された順番から言うと「家日和」の方が先になる。この二つの作品に共通して登場する夫婦がいる。「家日和」ではロハスにはまり、「我が家の問題」ではマラソンにはまった妻を持つ作家康夫だ。この大塚の言葉や考え方は奥田英朗自身をモデルにしているのではないかという感じがする。エッセイで読んだ奥田英朗自身の考え方がそこかしこに見えるからだ。それをふまえたうえで語られるロハス批判などは実に面白く、あっという間に読みきってしまった。また個人的には伊良部シリーズのように本をまたいで同じ人物が登場してくるのが好きだ。なんとなくその物語の世界が広がる気がするからだ。
この「妻と玄米御飯」は、勢いで小説にしてしまったもののモデルがわかりやすすぎて、家庭の波乱が目に見えており泣く泣くボツにしてしまったのだが、そこにも愛が感じられるコミカルながらもほのぼのとしたものだった。
この「家日和」は問題がありながらもなんだかんだ言って、オズの魔法使いではないけれど「おうちが一番いちばん!」と思わせてくれる。そしてコミカルな中にも切なさと愛情が同居しているこの作品は、個人的にはペアにも感じられる「我が家の問題」よりも気に入っている。

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