間違いなく吉田修一の代表作 - 東京湾景の感想

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東京湾景

4.004.00
文章力
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ストーリー
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キャラクター
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設定
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演出
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間違いなく吉田修一の代表作

4.04.0
文章力
4.0
ストーリー
4.0
キャラクター
4.0
設定
5.0
演出
4.0

目次

現代の若者が生き生きと描かれた作品

この「東京湾景」は主人公である亮介と涼子(美緒)のそれぞれの目線で話が展開していく。亮介の目線から見た二人の関係や仕事、涼子(美緒)の目線から見た二人の関係や仕事、それぞれが吉田修一の特有の丁寧な風景描写で表されて、そしてその二つの話がリンクするところには彼の手腕が感じられた。
亮介は仕事はきちんとやるもののそれほど熱心なものを感じてはおらず、ただ毎日過ごしていっている生活だった。そこで暇つぶしに登録した出会い系サイトで、涼子という女性と出会う。この出会った場面の描写は、この2人のぎこちない様が目に浮かび、なにやらこちらまで気恥ずかしい気分になったくらいだった。
出会い系サイトを利用したことはないのだけれど、個人的には怪しいイメージしか持っていない。でもこの2人の出会い方を見るとなんとなく初々しげで、そういう出会いも一つの手なのかなと思ったりした。

亮介と涼子の恋

出会い系サイトで知り合った出会いからか、涼子とつい偽名を教えてしまった美緒だったけれど、その上仕事先も嘘をついていた。このあたりの美緒の対応は警戒心からガードを固めたというよりは、なぜか誠実さのかけらもない様に感じられてしまった。反面亮介は出会ったときから正直に思った通りに行動し、美緒よりは好感がもてる。亮介でなくとも、約束した日に次の日朝が早いからといってすぐ帰るというのはあまりといえばあまりだと思うし、当初の彼女のしゃべり方もどこか相手を小馬鹿にしたような印象があったからだ。
しかしその理由は物語を読み進めていくにつれわかってくる。そのあたりの展開が実に切なくリアルで、最後のほうになると美緒の印象も変わってきていた。
もしかしたらこのように変わることができたのも亮介との出会いによってからかもしれないし、もともと彼女の中にあったものが亮介と恋を深めていくにつれ開花したのかもしれない。どちらにせよ彼女の変化はとてもリアリティがあり、だからこそこの物語に感情移入してしまったところでもある。

亮介の感情の持てあまし方の描写の見事さ

亮介は世間に対して不満を抱いていたり、いらだちを顕にしたりといったそういう短絡的な若者のイメージではない。しかし彼なりにこのままでいいのかといった漠然とした焦燥感を感じているように思う。そして彼自身その焦燥感がどこからきているのかわかっていない様子がこれまた彼の性格のよさを表していて、亮介には物語の初めから好感をもてた。乱暴で粗雑な言葉使いとは裏腹に、純粋な気持ちや子供のような無邪気さが見え隠れしており、だからこそ出会いのときの涼子の態度が対照的だった。
亮介が働く港の倉庫で彼が見つけた、スクーターを走らせながら岸壁ぎりぎりに止まるようにブレーキをかけるという遊びは彼の寄るべない気持ちを代弁するような行動に思えて、とても記憶に残っているシーンだ。それに慣れてくると今度は目をつぶってそれをやるといういわば刹那的な何かを感じさせるその行動は、亮介の寂しさと焦燥感を同時に感じるような切ない遊びだと思った。
その時の描写は吉田修一特有の風景描写の素晴らしさを感じさせ、とても映像的な文章だ。亮介が一人でバイクを走らせては岸壁ぎりぎりで止まるという繰り返しをどこか詩的にさえ感じさせる。個人的には、この「東京湾景」のもっとも印象的な場面がここ場面だ。彼のこの行動がこの作品のイメージを表しているような感じさえさせる。
そしてこの場面はこの作品で最も好きな場面だ。

美緒の切ないまでの頑なさ

真っ直ぐ一辺倒の亮介とは違い、美緒は誰にも自分をさらけださないところがある。出会い系サイトで出会う相手に本名をさらさないというのは当たり前の防衛策かもしれないが、彼女はそれ以上の防衛作を周りに張り巡らせているように感じる。それは持って生まれたものかもしれないし、後天的に身についたものかもしれない。それはこの物語でははかり知ることができないけれど、その一因となるような過去があった方がより物語がリアルに感じたかもしれない。過去上司と一夜の過ちをしてしまったこととかは書かれているけれど、そんな月並みなものでなく、もっと何かしらのトラウマレベルのものでもないと、ああはならないのではないかと感じたのだ。愛だの恋だの騒いでいる人を冷めた目で見てしまうという気持ちはわからないでもない。でもそれはなんでも過剰に感じてしまう思春期にこそ強く感じるものだろうし(だからこそ美緒が失恋して泣いている同級生を怒鳴り飛ばしたという設定はリアルだった)、それを今の年まで持ち越している何かを理解してこその、物語のリアリティではないかと思った。
しかし亮介から真っ直ぐな愛を受け、真っ直ぐ愛されることで、自分のそのような気持ちが氷解していく様は自然だった。要は愛だの恋だのと馬鹿にする以前に、本当に好きな人に出会っていなかっただけなのかもしれない。
美緒の頑なさは急速に氷解していくが、氷解しながらもそれほど柔軟な感情は見られない。自分が思い通りの感情を亮介が持っていないのではと思った瞬間、かなりのパニックと怒りにかられている。その自分勝手さ加減にあふれるほどのリアリティを感じた。

亮介の周りの仲間たち

亮介と同じアパートに住む同僚、大杉やその彼女ゆうこ、その友達で亮介の彼女だった真理とで合わせて4人、実にうまくやっていたと思う。友達とその彼女、その彼女の友人である自分の彼女と自分で、完璧な輪の中で平和に生きていたのだと思う。その均衡が美緒の出現によって乱されてしまった。真理は自分が思っている以上に亮介のことを好きだったことが別れてから気づくのも、残酷ながらも良くあることだと思う。別れてから真理がやつれる一方で、亮介と付き合っているときに彼女がそれほど亮介のことを好きなような所作を示していたかどうかも少し謎だった。どこかしらさっぱりとした、恋人というよりは遊びの関係といった印象が強かったからだ。もしかしたら真理自身も別れてからはっきりわかったのかもしれない。別れてから美緒を尾行したりといった執着心を感じさせる女性だとは思わなかった分、かなり衝撃的ではあった。こういう意外な行動力に驚いているのは、なにより真理自身かもしれない。
亮介も真理も、平和につきあいながらもモラトリアム的なニセモノの平和だったということに気づいていたのだろうか。あのままでは2人ともどこにもいけないということを。
嫉妬に駆られてか尾行した真理が叫んだ“本当の名前も知らないで!”という言葉に、意外にも亮介は動揺しなかった。うすうすわかっていたとはいえ、そこまで真実を突きつけられた哀しさ以前に、真理に対しての情があったのではないだろうか。内心は衝撃を受けていても真理のために冷静を装ったのではないだろうか。そんな気がしてならない。

ストーリーの印象に則した最高のラスト

様々な修羅場がありながらも、その関係を深いものにしていく亮介と美緒だったが、最後あたりでなにか不穏な空気が流れ出した。お互い好きということは確信しながらもどこかしらそのベクトルが違う方向に向いているというか、勘違いが生む悪循環というか、このあたりはドラマを見るような(相手が降りてきたエレベーターに乗っていて降りた瞬間、自分が到着した別のエレベーターに乗るような)もどかしさを感じた。
また亮介の荒っぽい言葉では自分の思っている実は繊細な部分を何一つ相手に説明ができていないのだ。そして美緒は彼が言う言葉のそれ以上の意味を図りながらも、はっきりと自分の願っている言葉をいつまでもいってくれないいらだたしさから、売り言葉に買い言葉のようになってしまっている。
そのような不器用な2人をくっつけた亮介の言葉、「東京湾を泳いで美緒のところに言ったらずっと好きでいてくれる?」という正直な言葉、ここに個人的にはかなりぐっときたところだ。
品川埠頭を泳ぎきり美緒のいるお台場までくるのはどれくらいの距離があるのかわからないけれど、きっと実際泳ごうが泳ぐまいか、亮介がこのような言葉をはっきり伝えることができたことがすべてなのだ。
これは、これまでの物語の展開にぴったりはまる最高のラストだったと思う。

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