肉子ちゃんは世界中に。混沌とした世界を照らす希望の物語 - 漁港の肉子ちゃんの感想

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漁港の肉子ちゃん

4.674.67
文章力
4.50
ストーリー
4.17
キャラクター
5.00
設定
4.00
演出
3.83
感想数
3
読んだ人
3

肉子ちゃんは世界中に。混沌とした世界を照らす希望の物語

5.05.0
文章力
5.0
ストーリー
4.5
キャラクター
5.0
設定
4.5
演出
4.0

目次

「肉子て!」タイトルからすでに先制パンチ、西加奈子の凄さ

この小説の著者は言わずと知れたベストセラー作家だが、著者の数ある作品の中でもタイトルのインパクトは本作がピカ一だろう。漁港なのに魚じゃなくて肉!?たぶん太った女の人が主人公なんだろうけど、あだ名だよな。あだ名じゃなかったらやだな…などと、読む前から想像力をガンガン働かせてしまう。タイトルからもうやられた感満載である。そして読み始めてやっぱり、やられた…である。もう話にどんどん引き込まれてしまう。肉子ちゃんのその枠外のキャラクター。明るいふとっちょのブスで、常に大阪弁で変な語呂合わせが好きで、そして、何よりも情に厚く涙もろい。このキャラクターにやられて、読んでいる間に何度鼻の奥がツンとしたことか…。

シビアな世界と肉子ちゃんという浄化装置

このすごいキャラが暴走するだけではなんだか疲れてしまう話になりそうだが、そこをクールダウンさせてくれるのが、本作の語り部、肉子ちゃんの娘のキクりんだ。彼女は肉子ちゃんの破天荒な言動につっこみを入れ、周囲の人々を冷静に見つめるが、小学五年生という難しいお年頃の女子のいざこざからは逃げることができない。女性ならば誰しも、小学校、もしくは中学、高校においても、このような女子のドロドロを経験したことがあるのではないだろうか。作者はテヘランに生まれ、小一から小五まではエジプトで暮らしたという経歴の持ち主なので、日本の学校に通うようになってからも少々特別視されていたのではないかと思うが、本人はキクりんのように冷静にクラス内の人間関係などを観察していたようだ。グループを作りたがる女子のことや、見栄えのよい女子はグループ全体のレベルを上げるためクラスの中心グループが欲しがること、それまでクラスの中心的存在だった子がクラス中の女子から無視されるようになるきっかけなど、実際に見てきた、もしくはあったことがベースになっているのかなと思わせられる。子どもの世界というと著者の別の作品「円卓」も小三の女の子が主人公の、子どもの視点から書かれたものだが、「円卓」と比べると「肉子ちゃん」のほうが、より大人の汚い部分、子どもの残酷さがさらけ出されている感がある。だがそこを必要以上に深刻にしないのが、本作の主人公肉子ちゃんの存在である。不倫相手の奥さんにぼこぼこにされても、不倫相手が自分を騙していたことを言わない肉子ちゃん。疑うことを知らない純粋な肉子ちゃんの心は、キクりんたちが住む街に降る雪のように真っ白だ。どんな不幸も、諍いも、肉子ちゃんが浄化してくれるから、読者は安心して話を読み進めていくことができる。

大阪への愛着と「どぶ猫時代」を過ごした東京への思い

著者の作品では大阪弁をしゃべる人物がよく出てくる。先に挙げた「円卓」や「通天閣」「地下の鳩」は大阪が舞台になっていて、全編大阪弁で繰り広げられ、著者の大阪に対する愛情が伝わってくる。大阪は著者が海外から帰国してから少女時代を過ごした場所であり、そして東京は作家になるために大阪を離れ、実際に夢を叶えた場所だ。著者自身は見事コネもツテもない東京で大成したわけだが、実際にデビューするまでの過程で、夢に破れ東京を去って行った人も数多く見てきたと思われる。本作の中でその「夢破れた人」として描かれるのが鍵師のマキさんだ。作品の中で彼女は離婚して東京から出戻ってきたと書かれているだけで、東京で何をしていたのか、どういう経緯で離婚したのかということは想像するしかない。実際に夢を追いそれに破れたのかどうかはわからないが、理想を追い求め東京で家庭を作り、結局はうまく行かず生まれた地に戻ってきたというのは、本人からすると夢が破れた、挫折したということに他ならないだろう。著者は彼女が東京に対して持つ鬱屈とした感情、自分を受け入れてくれなかった東京を肯定できない気持ちをみごとに描いている。東京という街は誰でも受け入れる懐の深さがあるようで、その実何をも成し遂げられなかった人間をどんどん追い詰めていく。東京で下積み生活を送り、その時代を「どぶ猫時代」と表現する著者は、夢を叶えられず東京を去る人の気持ちが想像しやすかったのだろう。あるいは、自身が東京を去り、大阪に戻る、あるいは別の土地で暮らすことも何度も想像したのかもしれない。

ちゃんとした大人なんていないという安心感

大人になると、いろいろとちゃんとしていないといけないことが増える。社会に出て働き、あるいは家庭に入り子どもを産み育て、ルールを守り、空気を読み…。だが、そういう「ちゃんとする」ことに疲れ果ててしまうこともある。そういう疲れた気持ちを、肉子ちゃんというキャラクターは豪快に吹き飛ばしてくれる。嘘がつけずだまされやすく、人前で号泣し、ファッションセンスは最悪で、ちゃんとした大人とはとても言い難い。それなのに、である。キクりんをはじめとする肉子ちゃんの周囲にいる人々は、彼女の底抜けの明るさ、天真爛漫さを愛さずにはいられない。肉子ちゃんはどうしようもなく肉子ちゃんであり、自分も、他の誰をも否定することなくありのままに受け入れる。そんな肉子ちゃんに読者は癒され、自身をも肯定されているような安心感を得ることができる。

東日本大震災と世界中の肉子ちゃん

この物語の舞台となった漁港の町は宮城県石巻市がモデルであるが、作品が書かれたのは東日本大震災が起こる直前のことである。なので著者はこの物語を復興支援の気持ちを込めて書いたわけではないが、不思議と被災地の人々を勇気づけるパワーを持っている気がする。普通の生活の尊さ、そして人間の持つ弱さと強さがキクりんの目から見た肉子ちゃんを通じて語られる。文庫版のあとがきで、著者は小説を書くこと、それは世界中の肉子ちゃんを書くことだと語っている。どんな不条理にも、暴力にも負けないキラキラしたもの。それこそがまさに未来であり希望であり、ラストで初潮を迎え大人へと一歩近づくキクりんと、いつまでも変わらない肉子ちゃんが象徴するものなのだろう。

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他のレビュアーの感想・評価

肉子ちゃんになりたい

肉子ちゃんに圧倒されます。母親である肉子ちゃんのキャラというのはなんだろか、豪快でいて、純粋、そして懐が深い。ガハハハ!と大口を開けて腹の底から笑い、ちょっと空気の読めないような冗談や、笑ってはいけない場面でも笑ってしまうような不謹慎さを持ち合わせているにも関わらず、あー肉子ちゃんなら仕方ないね、て思わせてしまうような存在です。近くにこんな人いる気がする、なんとなく知ってる気がする、とも思わせるんですが、実際はいないような。肉子ちゃんのように本当にわかりやすく、自身をさらけ出しても愛される人っていうのはなかなかいないと思います。肉子ちゃん自身は愛されている実感などあまりないのかも知れませんが。自身の周りの人間を全て善人としか考えておらず、受け入れる強さ、温かさ、そしてそれに甘えた人間に例え酷い仕打ちを受けたとしても、またガハハハと笑って許し、前に進む。そんな肉子ちゃんのそばにずっといる...この感想を読む

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