いかにも荻原浩らしい短編集
温かさと切なさとかっこ悪さと
荻原浩の作品は色々あるけれど、特に短編にはこの「温かさ・かっこ悪さ・切なさ」がいつもあると思う。そして読み終わった後にすこし笑いが残るようなほのぼの感も忘れてはいけない。長編ではそういう話ばかりではないけれど(「千年樹」は本当に荻原浩が書いたのか疑いたくなるトラウマレベルの作品だったし)、短編では特にこの傾向が強い。そしてそれらをきっちりまとめてくる。その心地よさと面白さは、荻原浩の右に出るものはいないといっても過言ではないと思う。
この「家族写真」は全部で7つの短編が収められている。タイトルにもなっている「家族写真」も含め、全てが家族をテーマにした短編ばかりだ。中には笑えない暗さや哀しさを備えたものもあるし、かっこ悪いのだけどなぜか心温められたりする話もある。そしてこの物語全部が「温かさ・かっこ悪さ・切なさ」に満ち満ちている。きっとこの手の話は荻原浩得意技なのだろう。荻原浩を読みたくなったらこれが一番いいくらい荻原浩らしさがよく出ている作品だと思う。
「磯野波平を探して」
サザエさん一家が思っている以上に若いということは何かで読んで知っていた。だけど波平が54才とは知らなかった。あの服装、あの佇まい、あの会話のセンスから60以上はいっているだろうと漠然と思っていたけれど、そんなはずもない。会社に通って赤ちょうちんできちんと酔っ払い、千鳥足で帰ってくるではないか。と言うことは現役だったんだということに今更ながら気づかされた。
主人公の男性は波平と同じ年の54歳。よる年波に勝てず、でも抗いたく、ジョギングをしては腹をひっこませようと涙ぐましい努力をしているありがちな中年男性だ。年齢に抗い続けた彼が(毛髪が乏しくなってきたことも抗いたかった原因のひとつだろう)、波平の立ち居振る舞いから、54歳はこれでいいのだと思いたち、今まで若々しくあろうとしてきたことを捨て、年なりの言動を見につけようとする展開は、単純はアンチエイジングに頑張っている月並みな話よりも面白かった。
ソフト帽をかぶり、語尾に「ですな」をつけてしゃべるという彼の波平的54歳の言動は、新鮮でこちらもなるほどなと感じさせるリアルティがあった。それは何も年を取ることに怯え抵抗し続けるだけでなく、その年でないとできないことをやろうとするほうがよほど前向きに感じたからかもしれない。
この主人公と同様、私たちの年齢は実年齢よりも精神が幼いとつくづく感じる。戦争経験者たちの話を読んでいると、どう見ても17、18くらいの人々が今の40くらいではないかという精神をしているとよく思うことがある(荻原浩の「僕たちの戦争」もこのあたりがよく強調されており、現代人との違いを感じさせる場面があった)。だからといって盆栽がどうとか、股引がどうとか、そこまで極端な見た目をどうこうしようという意味ではなく、その発想がとても新鮮だったので印象的な話だった。
ダイエット一家のほのぼのな毎日
タイトルからしてコミカルな「肉村さん一家176Kg」は、家族全員ぽっちゃり体質の一家のほのぼのな毎日を書いている話だ。ほのぼのといってもそれは周りから見たら、というだけで本人たちは至って真剣だ。特に一家の大黒柱である内村さんは会社の上司もぽっちゃりであるが故の事態に悩まされている。デブまっしぐらの昼食チョイスにいつも抵抗できないのだ。このあたりの悔しいけど抵抗できないおいしそうなメニューの描写が秀逸で、わかるわかるとついつい頷いてしまう。この上司はすでにぽっちゃりを通り越してデブ路線を突っ走っている人物なのだけど、内村さん自身は自分はそこまでいっていないと思っている。この辺の「デブは自分に甘い」という定説を証明するかのような内村さんの言動なのだけど、不思議に腹が立たない。実際ならば「だから太るんだ!」といらだってしまいそうなものだけど(時々あるダイエット番組で登場する過剰に太った人が食餌制限に挫折するたびにそう思うものだが)、内村さんの魅力なのか、つい微笑ましく見てしまうのは荻原浩の文体に毒がないからだろう。
またこの内村さん家族全員で176kgなだけあって、皆ぽっちゃりだ。特に妻英子は生半可にダイエットが知識がある分、やっかいだ。そして彼女の気持ちはほぼ全ての女性がわかるのではないだろうか。荻原浩の面白さは、主婦の描写がリアルなことだ(時に妙に女女しているというか、メルヘンチックというか、それはないだろうというような女性が出てくるときはあるが、それは置いておいて)。スローライフを謳う主婦も子供向けのヒーローに夢中になってしまう主婦も、どこかしらおかしみがあり尚且つリアルだ。そのリアルさが物語にコミカルさだけでなく深みも与えているように思う。
最後、楽しては痩せないという明確な事実を実感し、にもかかわらずまたデブに優しいBMI計算式を発見し、安心して焼肉屋に行ってしまうというデブ王道の行動に、自身の体験を上乗せしてしまい苦笑いしてしまう作品だった。
ただ英子の体重159cmで64Kgは若干厳しいのではないかと思った。それくらいならぽっちゃりで大銀杏には見えないだろう。ここは70くらいは欲しかったなと思ったりした。
そして世の中のぽっちゃりな内村さんに与えられるであろうアダナに心から同情した。
彼の荒れた生活を変えたもの
自分では満足しているつもりでいた生活に足りないのかと感じつつあったものは、手に入らないからこそ不必要と決め付けたものばかりだった。それを感じることで思い出す過去の後悔。このあたりの描写が実に真に迫っており、読み手もなにか狭いところに閉じ込めらたような閉塞感を感じるくらいだった。彼の住むマンションが恐らく実際以上に狭く感じたのもそのせいだと思う。そんな彼の荒れた生活を変えたのは、廃棄物置き場に捨ててあったマネキンだった。彼女は昔の恋人に背格好も顔立ちもよく似ており、ある日ひどく酔っ払った彼は彼女を家に持ち帰ってしまい、奇妙な同居生活が始まった。タイトルの「プラスティックファミリー」はこれに由来する。マネキンに服を着せ、共にテーブルに座り、その日あったことを話すことを楽しみに職場からまっすぐ帰るようになった彼の生活には、不思議と狂気が感じられなかった。普通ならアブノーマルな何かを感じてもいいものなのに(「探偵ナイトスクープ」でマネキンと結婚したいという人がいた。その女性には間違いなくそれを感じたのだけれど)、そこにあるのは静かさと穏やかさと平和だけだった。彼自身そのような安らぎを得ながらも、これは人形だということがずっとわかっていたからかもしれない。ドライブへ連れ出し(その頃には子供もいた。マネキンだけれど)、2人を海岸に残し家に帰るところは彼の相当な決意が感じられ、つい涙腺が緩みそうになった。
コメディタッチの作品が多い中、これはシリアスで切なく、笑うところのない、哀しい話だった。
家族それぞれの立ち位置から見えてくるもの
タイトルにもなっている「家族写真」。母親は早くに亡くなり、父親、姉、弟、妹の家族構成だ。弟は将来のことで写真店を営む頑固一徹の父親と対立し家を出ている。今父親の店を手伝っているのは中学からひきこもりだった妹で、ある日撮影中に父親は急な心筋梗塞で半身が不随になってしまう。これからどうしていくかをバラバラだった家族が集まり考えざるを得ない状況に追い込まれ…という、荻原浩得意の展開となっている。荻原浩の家族の話は決して皆が「一気団結で頑張ろう!」といった暑苦しさはなく、皆いろんな方向をそれぞれ向いているのだけど、なんとなく集まってなんとなく同じことを話すといったほんわか感を感じさせるのがとてもうまい。今回の作品もそのような感じで(同じ本に収められている「しりとりの、り」もこの範疇に入るテーマだ)、家族それぞれの見方で家族を語り、それらがどれだけ違っているか、どれほどの行き違いを抱えたまま生きてきたのかがよくわかる。周りくどい説明でなく、家族それぞれの見方でそれぞれ感じている家族への思いの違いが、自分の環境に置き換えて考えてしまい、コメディタッチながらも少し考えさせられた作品だ。最後はもちろんハッピーエンドで終わり、温かい気持ちで読み終えることができた。
今回のこの「家族写真」は荻原浩の荻原浩らしい物語をたくさん味わえる、甘く温かいがよく味わうとスパイスの効いた作品のように感じた。荻原浩を読みたいと思うならこれを読むのが一番かもしれない。
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