滅びゆくロシア貴族への限りなきノスタルジーを、彷徨えるインテリ貴族の心象風景を通して、ツルゲーネフ文学の精神と香気を伝える 「貴族の巣」
このアンドレイ・ミハルコフ=コンチャロフスキー監督の「貴族の巣」は、これがソビエト映画かと疑ってしまうほど、清新な映像感覚にあふれた作品だ。1970年度の作品ということで、映画史的に言うと、いわばソ連のニューシネマと呼ぶべき作品なのかも知れない。
時代は19世紀のロシア。地方貴族のラブレツキー(レオニード・クラーギン)は、長く西ヨーロッパで暮らしていたが、華やかで空疎な社交生活のうちに妻の不貞にあい、傷ついて故郷に帰ってくる。
したたる緑、光と影の交錯、むせかえる大地の匂い。その安らぎの風景の中で、彼は美しく成長した遠縁の娘リーザ(イリーナ・クプチェンコ)に会い、少年のような恋をする。
リーザは心優しく、信仰心の厚い清純な乙女だ。だから、彼女は愛をおそれ、愛には罪が伴うものだと思ってしまう。その心が、深くラブレツキーに傾いた時、先に病死と伝えられた彼の妻バルバラ(ベアタ・トゥイシケヴィッチ)が姿を現わす。
そのため、リーザは修道院に入り、バルバラは再びパリへと去り、そして、ラブレツキーは、いまようやく"わがロシア"の大地に根をおろそうとするのだった-------。
当時、若干23歳の新進気鋭の若手監督だったアンドレイ・ミハルコフ=コンチャロフスキー監督は、彷徨えるインテリ貴族の挫折の心象風景を、見事になおかつ大胆なイメージでとらえて、滅びゆくロシア貴族への限りなきノスタルジーを甘美にうたい上げるのです。
主人公のラブレツキーが、亡き母の面影をしのぶ時、うす紫の花を抱えて、ひとり野をいく淋しげな幼女の、そのイメージに寄せる悲しいまでのいとしさは、リーザを恋うる思いから、さらに母なる大地へとつながるのです。
こうしたあたりにも、原作の精神と香気を見事に伝えようとする、アンドレイ・ミハルコフ=コンチャロフスキー監督のツルゲーネフ文学に対するオマージュ、祈りの精神にあふれた映画だと思います。
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