トホホネタ、動物ネタ、盗作疑惑?! 小川エッセイワールド全開!
エッセイ達人 小川洋子の46のお話
本書は2012年発行、2008年から4年間新聞連載、月一本ずつ書いたエッセイを纏めたものだ。
小川洋子は本書以前に11冊のエッセイを書いているが、全編が4、5ページという短さでまとまっているものは稀有である。
ひとつひとつは短いが、それだけに本数が多い。
現存のエッセイ集では最新でもある。そんな訳で、46本の比較的あたらしい作品が楽しめる、小川洋子ファンにとっては嬉しい内容だった。
傾向としては、作家として感じること、日々の生活のトホホな話、科学や生き物への興味、
多くの職業人へのリスペクト、そして今回で最後になるであろう、愛犬ラブの話、などいつものように多彩だ。
小川名物、まだまだ小説家として未熟ですネタ
彼女は自分自身が、執筆が遅い、文章力が無いという趣旨の発言をあちらこちらでしている。
しかし、88年デビューから約30年の間に33冊の小説本を出し、12冊のエッセイと3冊の対談集、7冊の共著を出しているので本人の名を冠した著作だけで50を超える。
つまり年平均1.5冊程度の出版物を出しているのだから、決して遅筆には当たらないと思う。
その上いくつかの文学賞の選考委員になったり、主婦業や母親業もこなしているのだから、十分に勤勉で仕事熱心で、多忙な作家であることは疑いない。
そうだ、彼女は謙遜家なのだ。
いくつもの賞を受賞し、もはやベテランの域に達して尚、過去作にすがらず新作を書き続けている。彼女自身が十分に尊敬の対象であるにも関わらず、いまだに以下のような謙遜を繰り返す。
英語が喋れないどころか、日本語でだってまともな小説もかけていない
いやいや、賞もたくさん取ってるし、前述したようにたくさんの著作があるじゃあないですか、と言いたくなるが、常に奢らないという姿勢こそが彼女の美徳なのであろう。
今回は動物ネタが凄い
博士の愛した数式を書いて以降、科学関連の対談などを数多くこなしている彼女だが、本作では動物関係の記事が特に目を引く。
虫とキャベツを『共有』するという感覚や、アメーバの殻がキュートと言い切るセンスは、デビュー以来、しばしばキモグロイ小説を書いてきた彼女ならではだろう。
前述のアメーバをwebで画像検索してみたが…キュート、これが…? と驚かざるを得ない姿だった。
以前彼女が断食蝸牛という短編を書いた時、カタツムリが伝染病にかかり七色に光る姿をyou tubeで見て感銘を受けてその小説に発展したという記事を見て、小川洋子ファンを自称する私はもちろんそれを検索した。
正直かなりキモイ映像だった。この文章を読んだ方で、もしトライしてみる、という奇特な方には食事の前にはやめた方がいい、と助言させてもらう。
さて、今回は、何と言ってもハダカデバネズミの記述が凄い。
彼女はこの動物にかなり愛着を持っているようである。
嫌な予感はするが、ファンとして見ない訳にはいくまい、と、検索してみると…やっぱり、かなり怖い。
この動物でエッセイを2回書く彼女、さすがである。
文章は再読してみると実に愛らしい。彼女は、彼らが執筆の疲れを癒すとか、本物のハダカデバネズミを飼いたいくらいとか、書いている。
更に、実物のハダカデバネズミを抱っこする幸運に恵まれた、と喜びさえしている。
小川洋子の動物好き、恐るべし、である。
子供ネタの消滅、続いてついに愛犬ネタも今回で見納め?
彼女はデビューしたての頃に出産したため、初期のエッセイでは育児ネタが多い。
しかし、おそらく既に30歳前後になっていると思われる息子の話はさすがにほぼなくなった。
そして今回、小川洋子ファンがあれほど馴染んできた彼女の愛犬ラブが本作の連載終了後他界した、とあとがきに記されている。
本作収録の話の中でも既にラブがかなり年老いているのだ、と感じさせる文章がある。
私は、もちろん一度もリアルのラブを見たことは無いのだが、彼女のエッセイで何年も馴染んできただけに、ついに、という気持ちで胸がいっぱいになる。
エッセイだけでなく、偶然の祝福という小説作品にも、愛犬と幼い子供を連れて激しい雨に見舞われるシーンがあるのだが、この部分は何度読んでも私の心を打つ。
大雨で一歩も動けなくなっているのに、犬と子供とともにいた彼女は暖かい気持ちでいられたのだ。彼女がどれほどその両者を愛していたかがよくわかる。
そのもとになったのであろう、ラブがついに他界。
彼女の文章を経由して、我々を和ませてくれた彼に心から冥福を祈る。
トホホネタの女王
子供と犬のネタはもう見ることが無いかもしれないが、彼女が最初から書き続けている、トホホネタは今回も健在だ。
外国語が不得意で、方向音痴で機械音痴、これらは何度も見て来たネタなのに、全く飽きが来ないのはやはり、平易なのに隙が無い文章のうまさから来るのだろう。
今回は裁縫ネタで爆笑してしまった。
長編み、中長編み、長々編み、というタイトルからすでに楽しくなる。
彼女のエッセイの必殺パターンだが、○○にあこがれて▽▽を始めた、という種類の書き出しは、ほとんど大失敗の序曲である。
毎月手芸のキットが送って来るというコースを通信販売ではじめたものの、すぐに行き詰まる彼女。
手芸の説明分に対して、前衛小説のようにシュール、隠された真実を求め、私は一行の中をさ迷う、など面白おかしく表現しているが端的には意味が分からず上手く事が進まないのである。
苦戦のあげく、結局はゴールにたどり着けず途方に暮れる、といういつものオチなのだが、わかっていても笑ってしまうのはやはり流れるような彼女の文章力によるのだろう。
最近は流石に50代も半ばを過ぎたためか老眼などの話題も増えて来た。
自らの失敗や老いすらもネタにしてしまう彼女は死ぬまで作家であり続けるかもしれない。
同業他者へのリスペクト
彼女が村上春樹作品を敬愛していることは何度も文章化されているが、今回は梨木香歩の渡りの足跡という作品の一部を最敬礼を讃えた文章で紹介している。
小川洋子、村上春樹、梨木香歩、3人とも私が愛し憧れる作家だ。
小川洋子と趣味が合うなぁ、と思うことは私にとって、巨大な祝福となる。
前述した村上春樹の件だが、かの有名作ノルウェイの森のヒロイン直子を、小川洋子はしばしば直子さんと敬称を付けて記述する。
文中で登場人物の誰もが直子と呼ぶので私も常々直子と敬称抜きで呼んでいるのだが、小川洋子はこの架空のヒロインにも敬意を表しているのだ。
それほどに彼女は同業他者を尊敬し、その作品を尊敬している。
優れた作家、優れた作品に嫉妬するのではなく、リスペクトを持って当たる。
彼女はどこまでも愛する文章に対して謙虚であり、優れた作家に対して無限の敬意を表す。
この精神ある限り、彼女は文章職人として成長し続けるだろう。
盗作への恐怖もしばしば彼女は書いている。
物語を書かない人には理解しがたいかもしれないが、脳内に世界があって人が住んでいるという経験を私も何度か味わっている。
必要に応じて発生する人物、自然に湧き上がってくる人物、いろいろなパターンがあるが、何しろ物語を作っている一定期間、自分の脳内に他人が住んでいるという感覚は実在する。
物語の必要から自分自身が生み出したキャラはまだしも、無意識の中から自然発生したキャラの動きを追い、彼らの言動を文章化することは、確かに自分の意識的な創作とは言い難い気もする。
彼女はしばしば脳内に見える映像は完璧であるが自分の文章力が追い付かない、という趣旨のことを言う。それほど完全なるキャラクターが彼女の内に居住しているのだろう。
そのせいか、彼女の作品は安易なカタルシスに走らず、解決らしい幕引きもなかったりもする。
その盗作意識がある間は、彼女の中に美しい世界がある、という事であり、作家小川洋子は健在であると思う。
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