短い尺だが深く戦争の悲劇を語る作品
企画モノ感が強いガンダム!
監督の西澤晋は、本作の本伝であるガンダムSEED DESTINYの全50話中29本の絵コンテを書いているメインスタッフである。
DESTINY中盤の最も盛り上がる場面である「ステラ」「悪夢」の回も担当しており、
特に「悪夢」でのシンが搭乗するインパルスと、キラのフリーダムの対決シーンは屈指の名シーンだ。
最近では鉄血のオルフェンズにも参加していてガンダムシリーズにはそこそこ精通してもいる。
その西崎氏が監督で、脚本は日本のSFを支える企画制作会社スタジオぬえの重鎮、森田繁が担当。
森田氏は学生時代に月刊OUT増刊のガンダムセンチュリーという大変にコアでマニアックなムック編集に参加してそのまま業界入りしているので、ガンダムあっての彼である。
そのような意味で、SF性とドラマ性を目指した本格タッグと言ってもいい組み合わせだろう。
この作品のインタビューでは西澤氏は「幸せを強調して感じさせようと思えば不幸をどれだけ描けるか」と語っていて、まさにスウェンの存在はその話の通りだ。
本作は冒頭でユニウスセブン落下の際の大災害を描いており、それに先立つスウェンの過去も救いようが無いほど暗い。
普通の家庭で愛されて育ち、夢を持っていたはずの彼が、孤児となったことで、自意識を持たない戦闘マシンとして洗脳されていく姿は実にわかりやすく、そのわかりやすさ故に悲劇性が高い。
不幸ぶっているのに今一つ軽いSEEDワールドの中では最も戦争の悲惨さを書いている。
アナザーのアナザー
ガンダムシリーズの中でも宇宙世紀の基軸に乗らない作品群をアナザーと呼ぶが、本作はそのアナザーであるSEEDシリーズからの更に派生した作品なので、アナザーのアナザーと呼んでもいいだろう。
SEED本編ではハイティーンの少年少女たちが戦争に関わるさまを中心に描いているが、本作はセレーネは28歳、スウェンが20歳と年齢層が高く、二人とも基本的に落ち着いたキャラだったので世界観がかなり違う。
同一時空なので基本的時代背景は同じのはずだが、スウェンがまとっている暗さはキラやアスラン、シンらの悲しみとは違うものだ。
そもそもSEEDでは主要キャラのほとんどが権力者の子供たちであり、道具や消耗品として扱われる悲しさを持つものはいない。
シン・アスカは普通の家で育ち、家族とも死別しているが、その時点で一定の年齢であったために、自由意志でZ.A.F.Tに所属しているので、やはり彼とは境遇が大きく異なる。
キラは殺し合う事に悩み、傷つくが、不殺という一つの結論に至ってからは戦闘参加にさほど消極的では無くなったので、彼は自分の手で人を殺すことと仲間が死ぬことが嫌だった、と整理できる。
実際にDESTINYではデュランダル議長が提示するデスティニープランに対抗する手段として、話し合いの道よりも戦闘を選んでいる。
つまり仲間が死ななければ良いのであって、戦争そのものは否定していないのだ。
本作は戦闘について、主要人物が是非を問うシーンは目立たないが、望んでいなかった戦争に無理やり組み込まれ、多くの命を奪ってきたけれども、最終的には非戦闘用モビルスーツの中で本来望んでいた宇宙の夢を見る、という象徴的平和を描いている。
ちょっと余談の豆知識
スターゲイザーという名前は劇中でもあった通り「星を見るもの」だが、現実にオコゼの一種でこの名前の魚がいる。
どんな姿だろうと思って検索して見ると、本作の静かでしゃれたイメージとはかけ離れた画像が出てきて笑える。
目が上向きについているからこの名前なのだろう、と推測できるがかなりグロイ…
植物である百合の一種にもこの名を持つものがあり、こちらはそこそこ美しい。
花言葉も「ひたむき」というものなので、セレーネを表す花として劇中に出しても面白かったかもしれない。
セレーネを語ろう、と思ったが意外と語る部分が無い彼女
本作は暗いシーンが多いのでビジュアルの楽しみはセレーネしかない。
そんなわけで彼女を中心に語ろうかと思ったが、改めて動画や資料を見ると、意外と語る材料が無い女性である。
公式資料では、性格に言及しているものの、過去の経緯は無く、未来への展望は開発以外の事は全くわからない。
言ってしまえば単なる美人である。
この際、存在価値は美しさしかない、と考えてその美しさを語るかと思うが、冒頭では雨に濡れながらの移動シーンで雨ガッパ着用だったり、シャトル発進時は当然ヘルメット着用、宇宙に上がってからは髪を上げており、これがまた微妙。
ステージ3ではパイロットスーツ着用&画像の乱れで今一つ、その美しい髪をおろすのはステージ1のエドの回想シーンとステージ3の最後の数分である。
結局、本作はSF性と、反戦性については評価するが、ファンサービスという点においては十分とは言い難い作品に仕上がってしまった。
尺について語るなら、正直なところエドの戦闘シーンにあんなに尺を割く必要があるのだろうか?
いや、そもそも彼が戦う必要があるのか?
上を向いて云々の話だけが大事なキャラなのだから、彼女をボートに載せた時点で流れ弾に当たって死ぬ、という演出で十分なはずだ。
その分の時間をもう少しセレーネをクローズアップすることに回していれば、より深いカタルシスがあったのではないかと悔やまれる。
こんなエンディングはどうだろう?
ステージ3のエンディングでは、彼女が言った生存可能時間27日(648時間)に対してソルの救出は20時間以上過ぎており、わざわざ最後にその数字を提示したと言うことは彼女たちは死んでいる、ということになる。
結局、本作の骨子は、夢を持っていたのに、戦争のためにそれとはまったく遠い場所で生きねばならなくなったスウェンが、最後の瞬間に救われる、というものだったのだろうか。
作り手側もその意味を込めて、セレーネについては多くを語らなかったのかもしれない。
あるいはエンディングを、帰還が精いっぱいという消極的なものにせず、外宇宙への希望を持たせるなどの方法があったのではないか、と思う。
例えばこんなエンディングはどうだろう。
ストライクノワールとの一騎打ちの末、二人が目を覚ました時、プロパルションビームでエネルギーを得てヴォワチュ-ル・リミュエールシステム(以下VLと略)は加速を続けており、既に光速に限りなく近づいていた。
光速であれば地球圏から冥王星までの48億kmの距離でも数時間でたどり着ける。
セレーネ「今、冥王星が見えたわ」
スウェン「じゃあ、これから外宇宙へ出るのか?」
VLの閉鎖空間内であれば光速移動中でもノワールのコクピットからスタゲのコクピットへの移動も通常宇宙空間と同じ感覚で移動可能とセレーネが説明したうえで、スタゲに移動するスウェン。
還る方法を模索する二人だが、どう考えても見つからない。
一方通行で地球から離れていくしかなく、このままでは27日後には機内の酸素が無くなって死んでしまう。
死を覚悟した二人は、わずかな可能性を求めて、スタゲにあらかじめ搭載されていた外宇宙探索用の簡易コールドスリープに入り、オート探査状態にしたシステムが地球型惑星を発見した時解除するようセットする。
セレーネ「地球圏にいた時にモビルスーツごと殺しておいた方が幸せだったかしら」
スウェン「いや、子供のころのあこがれが叶いそうだ。君とこのシステムのおかげでね」
こんなに遠くに来てしまえば、ナチュラルもコーディネイターも無い、10数年ぶりにくつろいだ。
そして夢だった宇宙探査に出ている、こんな幸せは無い、と語るスウェン。
人類はこんな技術を手に入れたのに、何故子供にもできる、仲良くするという簡単なことができないんでしょうね、そうつぶやくセレーネ。
やがて麻酔が効き始めたことを知り、眠りにつく前にキスを交わす二人。
うつくしい星にたどり付けたらいいわね。
行けるさ、もちろん。
ここでエンドロール、終了後テロップが流れる。
100年後、ナチュラルやコーディネイターなどという区別が無くなって単一国家が常識となった時代、初の外宇宙探査機が○○星系からの信号をキャッチした。
信号発信源は100年前に行方不明になったモビルスーツスターゲイザー、AIがオート発進を続けていると知り、探査機はその星への着陸を試みる。
上空から見えるその星は草花が咲き誇る美しい星だった。
カメラがアップになっていき、ある地点で停止する。
そこには大破したスターゲイザーとそのコクピットから零れ落ちたカプセルが二つあり、そのガラスは割れているが、そこを中心に美しい花が咲き乱れている。
AIは信号を送り続けていることがわかる演出でend
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