あまりにも退屈な男が見つけた最後の趣味
散歩者の憂鬱
多分それは一種の精神病ででもあったのでしょう。郷田三郎という男はどんな遊びも面白くないのでした。親からの仕送りで生活が出来ていた男は金に困らないものの自分を満たしてくれる趣味がなくただ日々を空虚に過ごしていた。人が面白いと思う一通りの遊びも快楽も試してみたけれどどうもその男は満たされない、そんな男がある変人で天才の男に出会い犯罪というものに興味を持つ。でもそれもすぐに飽きてしまっていた男が新しく引っ越した下宿屋の真新しい部屋である発見をする。それから彼を楽しませるのは人の秘密を覗ける屋根裏の散歩となった…。
主人公はどんなものも面白みを感じられず退屈すぎていっそ死のうかとさえ思ってしまうほどの変な男。江戸川乱歩の作品では変人が出て来ることが多いけれどこの郷田三郎という男も中々の変人。退屈すぎて死にたくなるとはどれだけ暇な男なのだとさえ思うこの男をのちに本当の犯罪者としてしまうきっかけの変人で天才の男とは紛れもなくあの明智小五郎。彼から沢山の推理小説の話を聞いているうちに人生があまりにも退屈だと感じていた郷田は一変して推理小説を読み漁る、でもそれさえ飽きたら今度は自分が小説の中の犯罪者になった気分で理由もなく尾行をしたり女装までしてみたりと一層奇行が目立ち始める。そんな彼が殺人を犯した動機もただやってみたかったから、ただそんな退屈を紛らわせるような遊びでしかなかった郷田。明智小五郎にさえ出会わなければ勝手に退屈で死んでいたかもしれない変人の話。
毒殺殺人の推理
主人公の郷田三郎は同じ下宿屋に住んでいる虫の好かない男・歯科医学校卒業生の遠藤の部屋を屋根裏の散歩をしている時に見つけ、毎回口を開けて寝ていることを発見する。しかもその寝顔を真上から見ることが出来ることに気づいた時彼がモルヒネを持っていることを思い出しあの大口に垂らせば完全犯罪になると考えた。そして遠藤の部屋からモルヒネを盗み屋根裏から大口へと垂らすと殺人は見事に成功。犯罪者になることを妄想はしても実際になることは御免だと思っていた郷田三郎という変人はついに本当に人殺しとなってしまう。その殺人事件を明智小五郎が解いていく訳だけれどモルヒネとは医療現場でも使われる麻薬。人を殺せるのか?
モルヒネとはアヘンから抽出される強力な鎮静・鎮痛作用のある薬物。今では医療現場でも重要な薬となっていますが依存性があり、更に依存性の高いヘロインがモルヒネから作られる。医療用麻薬として有名なモルヒネは麻薬という単語から「中毒になる」「死を早める」「廃人になる」などのイメージが定着してしまっていますが実際はがんの痛みを取り除く為にとても重要なものとなっている。勿論麻薬なので使い方を誤れば依存してしまうのは確かですが、現代の医療現場でも薬としても普通に処方されている。そんなモルヒネで殺人は可能か?今回この小説ではモルヒネによって毒殺が起こりますが遠い英国では過去に患者にモルヒネを投与し何百人と殺人を犯した医師による連続殺人事件がありました。その医者自身もモルヒネで薬物依存症となっており逮捕後、独房で自殺を図って死亡。昭和26年の日本では妻のいる外科医の愛人となった女医がその妻をモルヒネを投与し殺した事件があった。このことからモルヒネは上手く使えば辛い痛みを緩和出来る大事な薬だけれど大量投与すれば延髄の呼吸中枢を麻痺させ数分から二時間で死に至る恐ろしい薬物。遠藤は過去に女と情死しようと自ら用意していた薬で殺されてしまうのだから何とも可哀相だ。
そして今回も冴え渡る明智小五郎の推理力。最後には郷田の唯一の人生の楽しみである屋根裏の散歩も見つけてしまいそして郷田本人も覗き見されてしまう。明智小五郎は元々は「D坂の殺人事件」で初登場してそのまま一話だけのキャラで終わる筈が今では江戸川乱歩を代表するキャラクターとなっている。ここでは明智は犯人を見つけて逮捕することを目的とするのではなく真実を見つけるそのことにだけ興味があるだけで犯人を逮捕に追い込むことを優先している訳ではなく推理をしていると知ることが出来る。明智小五郎も事件がなければ人生をあまりにも退屈なものとしか思っていない変人かもしれない。だから郷田と気が合ったのか。
穴から覗く秘密の人間模様
天井の隙間から人の部屋を覗くという行為は確かに面白いだろうと思う。まさか誰かに覗かれているとは思わないプライベート空間である自分の部屋。そこで巻き起こっている郷田が見た秘密の人間模様が二、三例だけ書かれているだけで本当は一篇の小説が充分書けるほどの出来事を郷田は見たようだけれど確かに人の秘密を覗くのは何よりも楽しいものだろう。あまりに退屈な人生を送っていた郷田を満足させる禁断の趣味。穴があれば覗きたくなるのは人間の性なのかもしれない。この小説は2016年に映画化されていますが話に忠実に描かれてはおらず脚色がされている。そのせいかただの過激な濡れ場ばかりが目立ち肝心の殺人も明智小五郎も魅力があまり感じられずまるでピンク映画か、B級映画にしか観えないのがとても残念。ただエロいシーンを入れればいいと思っているのかとさえ感じる。小説の「屋根裏の散歩者」ではそんなエロいシーンはないのに何故盛り込んだのか最早疑問。その他「D坂の殺人事件」「失恋殺人(妻に失恋した男)」も同じ監督で映画化されていますがやはり同じ、「D坂の殺人事件」はSM行為の果ての殺人なのでそういうシーンがあっても何ら問題はないけれど「失恋殺人」もただのAVのようにも観える。無名に近い監督が作っただけに陳腐に感じてしまう三部作だったので原作ファンとしては受け入れられない映画だったけれど、それは置いておく。
小説のラストシーン、郷田は「死刑にされる気持は一体どんなものだろう」とぼんやり考え込んで終わる。人生をあまりにも退屈に感じていた男の最後はどんなものだったろうと私はぼんやり考え込んだ。
- あなたも感想を書いてみませんか?
- レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。 - 会員登録して感想を書く(無料)