デビュー10周年に書き下ろされた伊坂幸太郎のゲットバック。
周到に用意された伏線と鮮やかな回収。伊坂印のエンターテイメントな傑作!
小説に「技巧」があるならば、ある意味これは技巧をこらした小説の極致なのではなかろうか。
計算されつくした舞台装置。
次々と替わる物語の視点、交差する思惑。
周到に用意された伏線と鮮やかな回収。
そう、まるで、「伊坂印の」と判を押したくなるほど、全力でファンの期待に応えたかのようなエンターテイメント作品となのである。
本書は2010年、著者デビュー10週年に書き下ろされた作品。
この作品の前後に刊行された作品は、下記のとおり。
「あるキング」(2009年)
「SOSの猿」(2009年)
「オー!ファーザー」(2010年)
「バイバイ、ブラックバード」(2010年)
本書を挟んで、「PK」(2011年)。
「オー!ファーザー」と本書を除いた他の作品はどれも、鮮やかな伏線回収というよりも、あえて謎は謎として打っちゃったような作品群。
一部では(作品の面白さとは別に)、伊坂幸太郎ならではの鮮やかな伏線回収を期待した向きからは、「肩透かしもの」などとも呼ばれている。
「オー!ファーザー」にしても、コメディタッチもありエンターテイメントとして楽しい作品だが、もっとも謎の人物「主人公の母」についてはほぼ描写がなく、読者の想像に任せたままとなっている。
伊坂作品の大きな特徴である「周到に用意された伏線と鮮やかな回収」は、「現実世界はもっとシンプルでもやもやしたもの」という作者の意図によりこの時期封印されていたと言っていい。
しかるに本書、「マリアビートル」はまさに鮮やかな伏線回収の連続であり、その鮮やかさが、多くの血が流れ、人の命が軽々と奪われる本来凄惨な物語に大きな、カタルシスを与え、さわやかとさえ感じる読後感をもたらすしている。
個人的には勧善懲悪的なストーリー(善を勧めるほうも殺し屋だが)も相まって、この時期に書かれた他作品よりも、初期の「ラッシュライフ」を思い起こさせる原点回帰な傑作となっているのだ。
もちろん単に自身の過去の作風をなぞっているだけではない、むしろ「肩透かしもの」で一層進化した「悪」のありようは、本作ではいよいよヌメヌメとした理不尽さを際立たせており、作家としてこれまでの道のりがあったからこその作品となっている。
パワーアップした原点回帰なのだ。
限定された空間で繰り返される、個性的な登場人物たちの魅力的な会話劇。
原点回帰問題を考える前に、本書の魅力についてもう一つ考えてみたい。
それは登場人物の活き活きとした描写だ。
それぞれの人物像が本当によいのだ。
読まれた方の多くは「檸檬」と「蜜柑」のファンになってしまったのではなかろうか。
アル中の木村をバカなやつと思いつつも、憎めなさを感じてハラハラしたのではないか。
主人公である七尾の運の悪さと、強さのアンバランスさに苦笑しながらも幸運を祈らずにいられなかったのではないか。
そして、本を閉じたくなるほど心底王子を嫌悪したのではないか。
もともと少し間の抜けたテンポの良い会話で物語を進めるのが得意な伊坂幸太郎作品にあっても、これらの登場人物が交わす会話の面白さは出色の出来。
新幹線車内という時速300キロで走る、半ば密室と化した特異な舞台設定は物語の転換に疾走感を与えるだけでなく、限られたギミック(といっても仕掛け満載なのだが)が使えないことから人物描写をより濃密にする方向に作用したのだろう。
檸檬が繰り返し話す「機関車トーマス」がらみの科白が読みたいがために、何度もよんでしまっているのだった。
「王子」を除いた登場人物がほぼ殺し屋か元殺し屋。殺し屋なのに、王子に比べるとみんないいやつにみえてしまうのは、困ったものだ。
タイトルから考える原点回帰
伊坂幸太郎がビートルズ好きなのは有名な話だ。
で、2009年から2010年にかけての作品のタイトルを見てみよう。
→後は、ビートルズのタイトルだ。
オー!ファーザー → オー!ダーリン
バイバイ、ブラックバード → ブラックバード
でこれに続くのが、マリアビートルなのである。
もちろん、マリアビートルは天道虫のこと。
羽の黒斑に悲しみを載せて飛び立つことで、悲しみを取り去っていく。
主人公七尾は、ナナホシテントウムシのメタファーであり、殺し屋稼業ながらも悲しみを取り去る役目を果たしてる。これも読後感がさわやかなになる秘密かもしれない。
ここでのビートルはbeetleであり、Beatlesではない。
しかし、マリアビートルとなると、どうしても聖母マリアが歌詞にでてくるLet it be を思い出してしまうのである。Mother Maryはマリア様と同時にポールマッカートニーの母、マリーのことでもある。
そして、Let it beが収録されるアルバムはもともと「GetBack」というタイトルで、空中分解の危機に瀕していたビートルズが原点のロックンロールをやろうとしてスタートしたアルバムだったのだ。
10周年の書き下ろしを、原点回帰の作風として、タイトルを「マリアビートル」としたことにはおそらく意味がある。
初期の作風に回帰することで、より進化した現在の姿を読者に提示すること、そして、作者自身も己の進化を確認すること、それをあえて行ったということを暗示しているのではないか。
ビートルズはLet it beを出した後解散した。しかし、本作はあくまでマリアビートルである。
原点回帰をし、自分の立ち位置を確認してから、あらたな小説の旅へと飛翔する意思表明。
それが「マリアビートル」なのではないだろうか。
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