気持ちの落としどころがわからない物語 - ウランバーナの森の感想

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ウランバーナの森

1.501.50
文章力
2.00
ストーリー
1.00
キャラクター
1.50
設定
2.00
演出
2.00
感想数
1
読んだ人
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気持ちの落としどころがわからない物語

1.51.5
文章力
2.0
ストーリー
1.0
キャラクター
1.5
設定
2.0
演出
2.0

目次

始まり方は悪くないのだけど

軽井沢で隠遁生活を送っているジョンが亡き母と面影がそっくりな女性を見つけ(彼女の息子がジョンだったこともその勘違いを加速させる)、思わず後を追うのだけどそれは全くの人違いだった。母親はもう死んでいるのだから当然そうなのだけど、突然のめまいに思わずしゃがみこむと自分が今いる橋が突然笑うというシュールな展開で、思わずその世界に没頭しそうになった。こういう始まり方は決して悪くないのにそこからの物語の展開は、感動させようとしているのか、泣かせようとしているのか、笑わせようとしているのか、悩ませようとしているのか、その気持ちの落としどころがさっぱり分からない。全体的にそんな気持ちになる物語だった。

ジョンが便秘である必要性

ストーリーの最初から最後まで彼はしつこい便秘に悩まされている。そもそもその設定が必要なのかどうかがわからない。病院にいって病院の周りの不思議な森で不思議な体験をする状況にもっていくのになにも便秘でないといけない必要性はないと思う。それは下品だとかそういった意味でなく、彼が踏ん張ろうとする時の気合の言葉(踏ん張ろうとしているときに、バとかマとかいった口をあけないと出来ない発音の言葉は出てこないと思う)とか腸の動きの描写とかが何か中途半端で、そんなに大変でつらいということがなかなか伝わってこないからだ。そこは軽く面白く読めばいいだけなのかもしれないけど、それも中途半端でよくわからない。面白く読むのか深刻でつらいという風に読むのか何かわからないまま物語は進んでいく。

ジョンとケイコのモデル

ここは疑いようもなくジョン・レノンとオノ・ヨーコだろう。この物語の中では少し見るだけでもいくつかの彼らとの共通点がある。ジョンが自分たちのバンドはキリストよりも有名といった発言をしたこと。実際にジョン・レノンがそのような発言をして物議をかもしたことがある。ジョンの故郷はリヴァプールだし、マネージャーの名前は実際にもブライアンだし、そして彼はユダヤ人だ。ヨーコとケイコの共通点としては、幼少期がかなり裕福な育ちであることとその奔放な性格かもしれない。調べたらもっとでてくるだろうけど、目的と違うのでやめた。
そもそもビートルズの音楽はこの本にでてくるように破滅的でもないし、また彼らのコンサートがそれほど壊滅的といったイメージもない(行ったことはないし、初期の頃の彼らのことはわからない)。とはいえ、ここまで明らかにジョン・レノンをモデルとしてしまってビートルズサイドから指摘がなかったのか少し心配になる。極めつけは表紙に描かれている絵である。メガネをかけた男性の横顔のシルエットなのだけど、それは完全にジョン・レノンである。もしかしたらこの本を出版するまでになにかひと悶着あったのかもしれない(ちょっと調べてみたら表紙のデザインが変わっているものもある。やはり何かあったのだろう。)。村上春樹の「女のいない男たち」で「イェスタディ」という短編がある。この中でビートルズの「イェスタディ」を大阪弁で歌う描写がある。もちろん歌の訳詞でなく、替え歌のようなものなのだけど、前書きによるとビートルズの「著作権代理人」たるものから「示唆的要望」があったとのことだった。確かにこれはビートルズって言ってしまっているからしょうがないことなのかもしれないが、この「ウランバーナの森」を読んで、ビートルズのジョン・レノンを想像しない人はいないと思う。でも残念なことに、彼らをモデルにした理由もその必要性も感じられない。だからこそ全体的に中途半端な感じが漂うのかもしれない。

アネモネ医院

この物語で私が唯一気に入ったのはこのアネモネ医院だ。細道を進み見つけるその医院は木造の洋風の館で、周りにツタがからみつきひっそりと立っている。ここにいるお医者と風変わりな看護婦や、医院の周りの風景の描写がこの物語の中では別格に抜きんでている。奥田英朗といえば精神科医・伊良部が活躍する「イン・ザ・プール」や「空中ブランコ」が印象的で、この伊良部の描写や物語の展開はかなりおもしろかった。伊良部の気持ち悪さや注射するときの表情などが手に取るように浮かび、好きな作品だ。アネモネ医院はそのような気持ち悪さなどからは無縁なのだけど、その靄につつまれた神秘的な佇まいや不思議な情景が緻密に描写されている。ここに治療にくるジョンが唯一異物のような、そのような印象を受ける。
この医院から次々に死んだ人と出会う森「ウランバーナの森」に入り込むのだけど、ここからはまた少し戻ったはずの物語の勢いは下降していく。

ウランバーナの森

次々に死んだ人と出会う不思議な森でジョンは過去にひどいことをした人との邂逅を果たす。そして泣き謝り赦されていくのだけど、ここがどうしても気に入らない。ジョン一人が赦されていくということがどうしても腑に落ちないのだ。例えば一番初めに出てきた船員。ジョンが若いときの勢いで殴り殺してしまったかもしれないと気に病んでいたまま年がすぎ今に至っているのだけど、その思い悩んでいる描写もなにか浅く、「昔は気に病んでいたけども時間もたったことだし大丈夫だろう、でもちょっと気になる」程度にしか感じられないのだ。その船員の彼は、当時は死んだかもしれないと相手に思わせるほどの重傷を負いそのまま放置されているわけで、なのにどうしてジョンだけが赦されていくのかが納得できなかった。
次にでてくるのが、昔の恋人の母親にひどい態度をとってしまったことも気に病んでいたらしく、その母親ともその「ウランバーナの森」で出会う。そして気にしてないわという言葉をもらってほっとするのだけど、正直それは忘れてたんじゃないかなと思ったりもした。それならライブが終わった後にひどいことをした女の子にも後悔の気持ちがないとだめだろうし、その罪悪感に一貫性が感じられないのだ。だからどうしても感動もできなければ、納得もできなかった。

ジョンの幻覚であって欲しかった「ウランバーナの森」

物語の最後あたりまでこの「ウランバーナの森」はジョンの妄想でしかないと思っていた。アネモネ医院で催眠術を受けた直後だし、なにかその影響で幻覚でも見たのだろうと思っていたのだけど、最後、ここにはケイコもジュニアもタオさんも(タオさんのあの告白も正直いらないと思う)アネモネ医院の先生も看護婦も入り込み、皆ジョンに会いにきた「既に亡くなった人たち」を見る。もうそこでかなり物語への熱が冷めていっていた。なぜならジョンが赦されるためにそれを見ているのなら他の人がそれを見る必要もないし、それはただジョンが見たことは本当なんだと伝えるためだけという風にしか感じられなかったからだ。だからこそタオさんのあの泣かせようとするような告白は余計なものだと思う。彼女はここから何も救いを得ることができないのに言うつもりのなかった過去を言わせたのはひどすぎるように思えた。
とどめが、そこから天国につながってジョンの母親の葛藤や過去のそのなんやかやを一瞬で悟り、ジョンが号泣するところはもう読むのを止めようかと思った。母親もつらかったんだと理解することで自分がされてきた色々なことを赦すことができるはそれほど簡単なことでないと思う。そういった機微をうやむやにしながら勢いで感動させようとするような意図を感じてしまい、最後はかなり残念な気持ちで読み終えた。
予測はしていたけど、ジョンが思い悩んでいた全ての人たちから赦しを得て彼の便秘は解消する。その終わり方もなんだかなという気持ちをぬぐえなかった(だからこそジョンが便秘である必要性が感じられなかったのだ)。
最後ジュニアに歌ってあげる子守唄はかわいらしく平和で綺麗なのだけど、それさえもなにかこう穿ってみてしまうような、ひねくれた気持ちになってしまう読後感だった。

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