小市民シリーズ
小市民になりたい
そんなアホな。誰かに向かってそう言ったわけではなく、読んでいたらついそういう声が出てしまったのだ。
こんなセリフを聞かされて「なるほどそれは立派なことだな」と同意を示す人などはまずおるまい。本来この言葉には「侮蔑」のニュアンスがあるのだ。自分をわざわざ貶めるような目標を持つ人間などあるはずはないと、誰もが考える。
しかしそれこそが作者・米澤穂信の作戦であったことに、やがて気づかされる。
小市民って?
目薬をさすとき無意識に口を開けてしまう、おまわりさんとすれ違うと意味もなく緊張する、靴を履いたまま膝で歩いて忘れ物取りに行く。それが小市民だと言った(歌った)のは嘉門達夫である。もちろんこれはネタである。
もう少しリアルな定義をすると、小市民とは平凡であることを信条とし、皆と同じことをちょっとだけ早くできると得意がる。世間体が大切で自分は中流だと信じて疑わない。出るほどに打たれるという杭を横目で睨んで、ひたすら頭を垂れることに汲々とする。こんなところだろうか。そういうものに主人公の小鳩常悟朗はなりたいと言う。
だから。そんなアホな、というつぶやきが漏れてしまうのだ。
どーしてそーなった
「自分は小賢しかった」と小鳩は言う。ほにゃららダンスで有名になった2016冬ドラマの美人女優が言ったセリフと同じだが、内容はずいぶん違う。
小鳩には、誰かが一所懸命考えても解らなかった問題を、横から口出しして解いてしまうという悪癖があった。足が速いのなら自慢になる。テストの点が良くても同じだ。それは数字という絶対基準があるために誤魔化しようのない特技となる。だから人は認めざるを得ないのだ。その人が優れているということを。
だが、推理ができるという特技には当然点数はつかない。答えを訳知り顔で指摘され、しかもそれがいつも正しいとなると、人の心に芽生えるのは嫉妬によく似た嫌悪感である。
幼少の頃から人に先んじて問題を見抜いてしまう人生を歩んできた小鳩は、その特技によって人の憎悪対象になっていたことを自覚していた。
だから小市民なんてものになろうと決心したのだ。退屈だけど平穏で、称賛も浴びないが罵声を浴びせられることもない小市民。小鳩にはそれが、輝く未来に見えたのであろう。そして高校に入ったらそうなろうと心に決めていた(って、その時点で中学生かよ! ってつい突っ込んだことも付け加えておこう)。
登場キャラを氷菓と比べてみる
主人公
米澤穂信には『氷菓』という作品がある。アニメ化もされたのでこちらのほうが有名であろう。その主人公・折木奉太郎もまた、小鳩と同じように推理には絶大な力を持つキャラだ。
小鳩との大きな違いは、折木にはもともと他人との関わりを避ける資質があり、さらに自分のその才覚を自覚していない(作中で周りから自覚させられてゆくのだが)ことにある。そのために、特に悩んでいる様子はないが、周りがやきもきしている描写が多い。
どちらもある種のゆがみを持ったキャラであり、それが作品の中に奇妙な緊張感をもたらしている。ただ謎を解いて行くだけの探偵に飽き足らなくなった現代の読者は、こういう読んでいて不安定なキャラにドキドキしてしまうのだ。ある意味恋をしてしまうのだ。
補佐役
そしてそれを補佐するキャラが登場する。氷菓なら福部里志という歩くデータベースだが、小市民シリーズでは堂島健吾がその役を務めている。健吾のキャラを説明するのには、作中の小鳩にこんな言葉がある。
「健吾は野暮だが馬鹿ではない。お人好しだが阿呆ではない」
福部里志を色に例えるとショッキングピンク(本人談)だそうだが、健吾はどんな色になるのだろう。私の脳裏には宮本武蔵のような薄汚れた袴をはいたモノクロの武士が浮かぶ。剣豪だけに。なんちゃって?
マドンナ
そして青春ものには少なくとももうひとり、欠くべからざるキャラがいる。いわゆるマドンナ役である。物語に彩りを加える女性キャラである。
だがこちらは氷菓と大きく違う。といういよりも、小市民シリーズの小佐内ゆきはどんな作品にもない、極めて異質なキャラである。
背が小さく引っ込み思案で人見知りで部類の甘い物好き。まあ、ここまでは普通だ。普通ではないのはこれだ。
自分に危害を加える人間を、完膚なきまでにたたきのめすことがなにより好き。
ちょっ、まてコラ。と私はまたも叫んでしまった。ルックスはともかく、その性格においてはかわいらしさの欠片もないどSキャラである。普段は気弱で温厚そうに見せているだけに、そのギャップが激しい。
よくこんなキャラを出すことを出版社がOKしたものだと、妙なところで感心してしまった。小市民シリーズがアニメ化されないのもそれが一因かもしれない。萌える要素がないのだ。
いや、そんなことはない! という人は一度脳外科を受診してみるべきである。きっとあり得ないものが視床下部あたりに見つかることであろう。
さて、マドンナにあるまじきこの少女もまた、自分のこの性癖? を直したいと思っていた。そして小鳩と利害が一致する。
そしてふたりは付き合うことに
小鳩は小賢しさを、小佐内はその執念深さを捨てるために小市民になろうとしていた。だがいずれも周りがそれを許さない。小鳩はその態度にさえ我慢できるならいろいろな意味で便利な奴だ。小佐内も自分に危害を加えられることすべてから逃れることは難しい。学校という場所は集団生活なのだから。
だからふたりは言い訳が欲しかった。誰かに何かを頼まれたとき「あ、今日は彼女と用事が……」、誰かに誘われたとき「今日は彼氏と約束が……」。という言い訳だ。それがあるだけでふたりの生活は一気に平穏になる。そう、それが利害の一致だ。
いつ、どのような場所でふたりがそのような契約を結ぶことになったのか、この巻ではまだ説明されていない。だがふたりは付き合うことにした。いや、正確に言っておこう。付き合っているふりをすることにしたのだ。お互いを言い訳に使うために。
物語の本質
そうやって自らを小市民という枠にはめようと画策するふたりであったが、罰則規定のないルールと同じである。守られることはあまり……いやまったくない。小鳩は謎解きに精を出し、小佐内は復讐に精を出す。それはもうさわやかないほどに。それでも小鳩はこう言うのだ。
「諦念と儀礼的無関心を育んで、いつか掴むんだ、あの小市民の星を」
遠い先にあるという特定のプロ野球球団のものと違って、聞くほどに力の抜けて行く斜め上の星である。小鳩の謎解きも小佐内の復讐劇も、この星に向かうための装飾に過ぎない。それがこの物語の本質であり作者の作戦だったのだ。
ふたりが自分の間違いに気づくまで、きっとこの話は続くのだろう。
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