何が言いたいのかよくわからない名場面ガンダム
時々現れるコンセプト中心ガンダム
「ガンダム」とはガンプラとゲームを中心とする商品を売るためのコンテンツである。35年を超えて続いているシリーズ、作品数ももはやどう数えたらいいかわからないので上げないが、とにかく「ガンダム」の名がつく作品は大量に生産されている。
「宇宙世紀」を扱うものを本伝としよう。この本伝の流れはニュータイプ、戦争という要素が必須と言えるのでなかなかに扱いにくいが、アナザーと呼ばれるいわゆるNo宇宙世紀、Noニュータイプの作品はかなり自由だ。そのため「今度のガンダムはこれ!」というコンセプトが重要になる。
G、W、X、ダブルオー、SEED、AGE、ビルドファイターといったアナザーシリーズがあるが、宇宙世紀ではないが戦争や平和を描くW、X、ダブルオー、SEEDはある意味本伝に近い。一方その他は従来ガンダム色が薄いため、なおさらにコンセプト色が強くなるのだ。
本作のキーワードを私なりに上げるとすれば、「搾取される少年たち」「鈍器で殴りあうガンダム」「目的の為に人を殺す主人公」といったところだろう。このキーワードから連想される世界はかなりハードだ。実際に劇中でも「ヒューマンデブリ」と呼ばれる奴隷階級的な人々が存在し、労働させる目的の為「アラヤシキ」という生体改造を受けた少年たちが中心でハードな要素が多数盛り込まれている。SEEDのキラのように人を殺したくなくて泣く、などという人間的甘さはこの世界では許されない。
しかし、だ。甘くない世界なのに異様な甘さが目立ち、見る側にあれれ、甘くないんじゃなかったっけ?という疑問を抱かせるシーンが多数ある。重箱の隅をつつくような行為はしたくないが、作品世界構築の上で看過しがたいシーンをいくつか挙げたい。
悪魔キャラなのに詰めが甘いぞ、三日月!
再三悪魔キャラ的を売りにしている三日月だが、以下の2点を私は疑問点として上げたい。
何と言ってもビスケットの死の後のカルタへの対応がとんでもなく残念だ。ビスケット搭乗のモビルワーカーが致命傷を負った気配を見て「何をしている?」といきり立つ三日月。まさに仲間を害されると見境なくキレる、という前振りが今発揮されるのか、というシーン。
しかしここでこの回は終了し、次回の冒頭ではカルタは何事もなく生き延びている。
「はあぁぁぁ?」である。悪魔キャラ三日月であれば、カルタを肉片になるまで踏み潰すとか内臓を引きずり出すとか手足を奪いつつ命は残しておいて、実弾を50発見舞うとかあたりが似つかわしいのではないか?
当然子供も見る番組で過度な残酷シーンは不可能なのはわかる。しかし、さんざん実弾で射殺というシーンを見せているのだから、ここもそうするべきだろう。ところが、殺すどころかあっさり逃がしてしまっているのだ。全くこのシーンには失望した。主人公のあるべきキャラクター性を捨てて、あろうことかカルタという脇役の見せ場を重視した、という本末転倒さ。この時点で本作は名作となる可能性を自分から放棄した。主人公が何かに悩み、ぶれる要素や伏線が先にあってのミスではない。単なる甘ちゃんなのだ。
違う作品を例えに持ち出すことを許していただきたい。「ジョジョの奇妙な冒険第5部」の敵役、プロシュート兄貴とその弟分ペッシの会話だ。
「オレたちチームはな!そこら辺のナンパ道路や仲よしクラブで「ブッ殺す」「ブッ殺す」って大口叩いて(中略)るような負け犬どもとはわけが違う」「「ブッ殺す」と心の中で思ったならッ!その時スデに行動はおわっているんだッ!」というセリフだ。ちなみにこのプロシュートはギャングであり任務遂行の為なら命もいとわないプロフェッショナルだ。
この理論(?)に当てはめれば三日月&鉄華団は「仲よしクラブで「ブッ殺す」と叫んでいる負け犬ども」という事になる。鉄華団は負け犬ではないとは思うので、この三日月のキャラクター性の不一致&不徹底はできることなら修正していただきたい。
もう一点三日月の言動に疑問が残るのは、マカナイの施した魚の扱いだ。鉄華団に在籍しているものに富裕層はいない。むしろ食うや食わずやという地獄を味わってきたものばかりだろう。その彼らが「ご馳走」として振る舞われたものを食べない、という事があるだろうか?例えば現代のわれわれなら、どこか未開の地に行ってイモムシをご馳走です、と差し出されても食べないかもしれない。しかしそれはある程度の生活水準を維持しているからであって、我々が本当に飢えたことはないからだ。
まして、アトラが作っている。私が思う三日月であれば、ビスケットなどの比較的まともな家の出身者が食べるかどうか迷っている時に、三日月だけは食べ方はわからないけど食らいつく。「なんだかわかんないけどアトラが作ったのにまずい訳ないじゃん」と言わせると彼らしくしかも視聴者の記憶に残る名シーンになるのではないだろうか?
死ぬ死ぬ詐欺の第一期ラスト
ビスケットの死で主要人物も死ぬ話なのだ、と植え込まれた視聴者。ラスト1回前の戦いで昭弘、シノ、ラフタ、アジーは死んだかのような演出がある。2期があることは明確にされていたので三日月、オルガ、クーデリア、アトラは生き残るとしても、鉄華団は壊滅状態という方向に行くのかと思える演出が続く。しかし結果的に主要キャラはほぼ死なず、なんじゃそりゃ感が非常に強かった。無意味に死を演出に使うのはどうかと思うが、あれほど「死亡フラグ」を立ててのこの展開は少々あざとく思えてならない。
結局冒頭に書いた「搾取される少年たち」「鈍器で殴りあうガンダム」「目的の為に人を殺す主人公」は「鈍器で殴りあうガンダム」以外は徹底されず、物語のテーマにはなりえなった。根本的にテーマが無いので、こんなシーンがあったら面白いよね、ぐっとくるよね、の寄せ集め作品と言っても過言ではないだろう。
第2期がどうなるのか、この時点で私にはまだわからないが、このような無意味な過剰演出を排して物語をじっくり語ってくれることを望む
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