結末を決定づける伏線があった!
なぜ、ご想像にお任せなのか?
伊坂幸太郎さんの残り全部バケーションは、短編を通してストーリーがうまく繋がっている。伊坂さんの作品でよくある構成だが、登場人物のリズミカルな会話が実に気持ちよく読みやすい。そして、世間的には決して立派とは言えない仕事をする人たち。この設定も伊坂さんの作品には多く、だけれどゆるい雰囲気の溝口や余計なお節介をしてしまう岡田は憎めないキャラ。
岡田を裏切ってしまった罪悪感、後悔から溝口には毒島への復讐を企てるがどんな結末を迎えたのかは読み手のご想像にお任せスタイル。そういうの、好きなほうだけれど深読みせずに最後まで読んだら、自然とハッピーエンドを想像してしまうだろう。
しかし、この作品の結末はバッドエンドと考えるほうがいい。最後の溝口と毒島のカケでは、食べ歩き日記の更新者が岡田かどうかだ。多くの人は岡田であってほしいと望み、受信したメールは岡田だと想像するでしょう。岡田からのメールであれば溝口は復讐をやめて、裏稼業から足を洗い、どこかでひっそりと暮らす、なんてラストになれば物語としていい終わり方。だが、私は受信したメールは岡田ではないと思う。そもそも、岡田は生きておらず、1章で始末されていると思うのだ。正直、簡単に裏稼業から足を洗えるわけない。生かすつもりなら、わざわざ追ってこないだろう。
つまり、1章で岡田が始末されたのか、生かされたのかハッキリしないのはストーリーを成り立たせるために過ぎないと私は考える
結末は溝口のセリフにヒントがある!
私がこの作品の結末がバッドエンドであると考えるには、理由がある。最終章、毒島の病室での溝口のセリフだ。
『人ってのは、それらしい情報を与えられると、勝手に想像して、納得しちまうってことだ。』
溝口は、高田にそれらしい情報を与えて、同じ病室の先生が毒島を狙っていると推理させた。その種明かしを毒島がいるところで披露している。そして、毒島は溝口と同じことをしたのだと思う。
実は岡田は生きている。岡田がメールを送ってきた。食べ歩き日記を更新しているのは岡田である。という『それらしい情報』を与えたのだ。そして、食べ歩き日記の更新者にメールで確かめさせる。返信がなければ毒島は大人しく銃で撃たれるというのだ。
しかし、本当に二度と姿を見せないという条件で岡田を生かしたのだとすれば、岡田がメールを送ってくるのはおかしい。普通に考えれば姿を見せないというのは、一切関わりを持たないということ。連絡してきちゃダメでしょ。だから、やっぱり岡田は始末されていて、食べ歩き日記の更新者は岡田ではない、という読み手の想像を裏切るバッドエンドだと思う。まぁ、その場合、毒島が大人しく溝口に撃たれればバッドエンドとも言いきれないのかもしれないけれど。読み手が望む結末ではないということに変わりはない。
食べ歩き日記の更新者は誰だ?
日記の更新者が岡田でなければ誰なのか。これは、単純に1章に出てきた早坂沙希=サキだと思う。両親が若い頃に食べ歩きをしていた、娘のサキも食べ歩きをするようになり日記として綴るようになった。と、時代の変化を表しているのではないかと考えることができる。
そして、クライマックスに高田のスマートフォンが受信したメールはサキからの返信。高田は岡田なら返信するようにとメールをしたが、溝口の指示で『友達になろうよ。ドライブとか食事とか』『子供作るより、友達作るほうがはるかに難しい』と付け足している。
岡田ではないが、サキは家族で過ごした最後の日、父親のPHSが受信したメールを思い出して返信してきたのだと思う。
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