デッドオアアライブ! - ポセイドン・アドベンチャーの感想

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デッドオアアライブ!

5.05.0
映像
5.0
脚本
5.0
キャスト
5.0
音楽
5.0
演出
5.0

目次

旅客船の転覆事故

本編で描かれている時代背景と、現代社会では、旅客船という言葉の意味や定義が違うのだと考えられます。

現代社会において、旅客船での船旅は、一般的感覚として浸透していないのではないでしょうか。海外に旅行する交通手段であれば、もっともポピュラーな乗り物は飛行機です。一般的な感覚として、わざわざ旅客船に乗って、海外旅行に行くことを考えないのではないでしょうか。富裕層が、旅行を楽しむためのレジャーの一環として、旅客船の存在があるのだと考えられます。

しかし、映画本編での時代背景では、旅客船の定義が違うと推測されるのです。

ジャンボジェットのような大型航空機がなかった時代でしょうから、海外や遠出の旅をするのであれば、旅客船が一般的な交通手段だったと考えられるのです。すなわち、現代社会より身近なものであり、恐怖の感覚としても観客が考えるより、登場人物たちの恐怖は大きかったのだと考えられます。

もし、当作品がジャンボジェットの事故を扱った内容だったのであれば、観客の抱く恐怖感は身近なものであり、恐怖も大きく感じさせるものだったと考えられるのです。

また、国内ではありませんが、韓国にて当作品を思わせる旅客船の転覆事故が発生しています。

295名の死者をだしたセウォル号事故の発生した要因には、当作品の転覆事故と同じような背景がありました。亡くなってしまった大半が、学生だったことも話題性を大きくした要因になりました。そして、真っ先に避難した船長にも、非難する声が集まりました。

セウォル号の転覆事故の発生時における船内の様子は、当作品に近いものがあったのだと考えると、悲しい気持ちになってくるのではないでしょうか。そういった意味でも、当作品の存在価値は高いものなのだと考えられます。

究極の選択

映画本編の魅力は、究極の選択によって制作されていることだと考えられます。

旅客船が転覆した時点で、甲板を目指して上層に上がっていくのか、転覆することで上下が入れ替わるのだから助かる為に最下層を目指すのか、冒頭から究極の選択を迫られます。そして、選択を誤ったことで、多くの亡くなってしまった方たちを映す場面がありました。究極の選択を外すことが意味するのは、「死」なのです。

そのことから、本編には恐ろしいほどの緊張感が漂っています。

現に、本編で助けられた数人以外においては、生存者は皆無だったのではないでしょうか。

船底に向かって辿り着けたから、結果的に、船が完全に沈没する前に、助け出されることができているのです。死んでいく方たちは、選択を誤ると死んでしまうという緊張感を与えるものだったと考えられるのです。死んでいく方たちを登場させることにより、主人公たちの選択や行動に緊張感を演出していると考えられます。

究極の選択とは、まさに「生か死か」、デッドオアアライブで本編が構成されており、観客が感じる緊張感を尋常じゃないレベルにしています。常にドキドキさせられる本編作りは、とても心臓に悪いのではないでしょうか。

しかし、そのドキドキ感が、本作の最大の魅力だと考えられるのです。

自己犠牲の考察

選択は間違えていなくても、誰かが犠牲にならなければ全員が死んでしまう場面も多かったです。

チームの中で、リーダーとして機能していたのが牧師の存在でした。牧師が、本作品の主人公だと考えられます。しかし、結果的に死人が出ることで、チームのメンバーから責められることも多く、切ない気持ちにさせます。

ただ、牧師が最後にとった行動や、展開に驚かされるのです。

まず、作品の主人公が、最後の最後に死んでしまうという結末です。

主人公が死んでしまう作品というのは、なかなか類を見ない作品であり、当作品の特徴といえるのではないでしょうか。しかし、牧師の気持ちを考えれば、自分の命をかけて皆を助けようとする気持ちも当然のことだと考えられます。これまで、リーダーシップを発揮して仲間を導いてきましたが、全員が無事だったわけではありません。

死人がでてしまったことで、他の仲間からも責められました。

また、自らの命を投げ出すような行動をとる仲間にも恵まれました。そのおかげで、船底間近まで到達することができたのです。きっと、牧師は誰よりも、亡くなってしまった方たちに申し訳ないという気持ちをもっていたのだと考えられます。特に、牧師という職業柄から、命に対して他者より重んじて考える人物だといえるのです。

きっと、これだけの犠牲を払ってまで、ここまで辿り着けたのに、自分が命を賭さないわけにはいかないと考えていたのではないでしょうか。また、自らの命を投げ出さないわけにいかないと考えていたに違いないのです。もちろん、一人でも多くの命を救うことを最優先した結果だとも考えられます。

最後の場面で、牧師が、神さまに祈りを叫びながらバルブを閉めているのが、目に焼き付いて離れません。

紛れもなく牧師の本心・本音を曝け出している場面であり、牧師という職業が、神さまに祈りを捧げるものとして穏やかなものではありません。しかし、自分の命を捧げますので仲間の命を助けて下さい、という叫びには、これまでの本編の負担や苦労が集約されたセリフだと考えられます。

牧師というより、人間としての心の叫びだったのではないでしょうか。

だからこそ、観客の目に場面が焼き付き、セリフが記憶に残るのだと考えられるのです。

全力で生き抜こうとする魅力

映画全編を通して描かれていたのは、全力で生き抜こうとする人間の輝きだったのではないでしょうか。

状況判断のミスや、軽率な状況で「死」が身近なものになったとき、本気の全力で生き抜こうとする姿に魅力を感じさせるとだと考えられます。世の中には、自ら命を絶ってしまう例も多いです。日本人の死因、トップ10には自殺がランクインされています。自ら生きることを放棄して、死を選んでしまう人が多いことを物語っているのです。

また、私たちが普通に生活をしていて、「死」を意識することは少ないのではないでしょうか。

ニュースを見ていれば、一日に一件以上の死亡事故を伝える内容があります。しかし、私たちの身近なものとして認識することはないでしょう。よほど住んでいる近くで起こった殺人事件で、犯人が逮捕されていないのであれば、話は別なのかもしれません。ただ、生活する場面において、死を意識する場面は少ないのは確かです。

常に死と隣り合わせという状況は望まれる社会像ではないでしょうから、安全・平和な社会を勝ち取ってきたという人間の凄さだといえます。

しかし、本作では死に直面したときの状況を背景に描かれており、生き抜こうとする人間の姿が描かれていました。また、生き抜こうとする人間の必死さは、生命の尊さを表現していたのだと考えられます。

簡単に諦め、死を迎え入れることが描かれていたら、生命の尊さは感じられなかったのでしょう。

当作品は、必至に生き抜こうとする姿に、生命の尊さを重ねていると考えられるのです。

ポセンドンVSキリスト

前述したように、牧師は自己犠牲をすることで、生き残った人物を助けます。

ここで、ひとつの着眼点を置いてみたいと思います。牧師とは、本来は神様に仕える立場の人物を指す言葉です。そして、偶然にも、作品タイトルにも「ポセンドン」という神様の名前が入っています。知っている方も多いのでしょうが、ポセイドンとは、ギリシャ神話に登場する海を支配する神様を指します。

牧師が己の命を懸けて叫んだとき、語りかけた対象はポセイドンだったのでしょうか。

でも、やはり、それは違うと考えるべきでしょう。時代や場所・人物像を考えるなら、牧師はキリスト教徒の牧師と考えるのが必然です。

そして、ポセイドンとは、舞台となっている旅客船の名称であって、当作品の牧師の仕える神様ではないと考えるのが自然といえます。

しかし、自然による大きな力に翻弄され、ポセンドン号は転覆してしまっているのです。

すなわち、これまで牧師や他の登場人物が戦ってきた相手は、海の神様「ポセイドン」だと考えることができるのではないでしょうか。旅客船に名付けられた名前が、そのことを表していると考えられないでしょうか。

すなわち、牧師の仕える神様であるキリストと、ギリシャ神話のポセンドンとの対決という見方ができるのです。

そして、牧師が迎えた最後は、キリストの最後と印象が重ならないでしょうか。バルブを締めながら、神様に叫んでいる姿は、十字架に張り付けられたキリストの姿と重なるように思えます。

キリストは、自己犠牲を払った牧師に応え、牧師自身は助けなかったものの、残りの者たちは助けたのだと考えられます。ポセイドンの荒れ狂う魔の手から、生き残った僅かな者たちを助けたのだと考えられるのです。

これは勝手な解釈なのかもしれませんが、間違った解釈だとは思えません。

牧師が最後に助けを求め叫んだ対象が、ポセイドンだった、という考え方も完全に否定はできないのですから。

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