失われた人生を快復する旅の物語
いつも救われてきた
気がつけばもう20年以上、村上作品と共に生きてきたのだなあと思います。若い時代の混乱した日々を経て、現在の浮き足立ったお金と効率を追究する世の中にあって、村上さんの深い物語の世界に触れ続けたことで、どれだけ救われてきたか分からないほどです。村上春樹の本と出会えたということは、私の人生において感謝すべき恵みのひとつだったと思っています。
村上作品が好きすぎて、個人的な思い入れが強すぎて、批評や評論を読んでもピンと来ないばかりか、腹が立つようなことも多く、実際に作家の手で書かれたもの以外はほとんど手に取らずに来ました。なので、自分が小さな場所であれ、ああだこうだ書く事にも抵抗があるのですが、純粋に個人的な感想として、備忘録として思うところを書いてみようと思います。
当たり前のことですが、物語というものは、あくまでフィクションであってそのまま何かを証明することにはなりません。ハウツー本と違って具体的にああせいこうせいと分かりやすく指示指南してくれる訳でもない。
そして、村上さんの本はいつも、作品を読んでいる間まったく白々しく感じないくらいに、「本当のこと」と感じさせてくれる確かなリアリティーを感じさせてくれますが、現実的な整合性みたいなものは時に重要視されないし、謎が謎のまま回収されないエピソードも出て来たりします。
そうやって物語の世界に身を浸して、本を閉じて現実世界に戻って来た時にはちょっとぼうっとしてしまうというか、「これがこうだから良かった」とかいうような、分かりやすい感想がにわかに浮かんでくることはありません。
私にとって村上春樹の紡ぐ物語は、「わからない」という気持ちをそのまま抱えながら、折りに触れて何回も読み返し、毎回分からないまま、分かろうとしないままに心の深いところを静かに癒してもらえる感覚を得られる数少ないもののひとつです。
全部リセットして、これまでのものをきれいさっぱり捨て去ってしまいたい、そんなある種投げやりな気分にたびたびなるのだけど、彼の物語を読むと、「逃げ出さず、これまで積み上げて来た手持ちの資産を大事に、なんとか踏ん張ってやっていかなくてはなあ」という気持ちになれる気がします。地に足をつける感覚に。
より俯瞰の感覚を持った物語
この、2013年に発表された村上春樹にとって13作目の長編小説もまた、そういう気持ちにさせられた作品でした。でも今回感じたのは、昔の作品のような、作品と作家が当事者性のある、「共に孤独に苦しみ、血を流している」という感覚から、村上さん自身が年を取って成熟しているということで当然の流れなのだと思いますけれど、私はこの作品では「そこを既に越えて来た人間の温かいまなざし、より俯瞰した感覚」を感じながら読みました。
だからこの作品を読むのは、「ねじまき鳥クロニクル」のような、混沌とした、深く危険なゾーンに行って帰って来る、書く側には全然及ばないまでも、読む方にとっても大変な冒険に思えるような体験ではなくて、もうひとつ上の層でもって、自らの心の痛みを感じながら、それに静かに向き合いながら読む。そんな作業だったように思います。
多崎つくるの失われた人生が快復することによって、自分がこれまでの人生でおかしてきた数々の過ちも、赦されないまでも静かに受け止められるような気持ちになり、ラストのフィンランドでのエリとの再会の場面は泣きながら読みました。
この社会においていかに納得性のある人生を生きるか
他の村上作品と異なる、この物語の特徴に思えるのはこの作品が群像劇であるところではないかと思います。他にそういう作りの村上作品はないように思います。同年代のつくるにシロ、クロ、アオ、アカの4人の級友、そして大学での唯一の友だち「灰」田がいる。彼らの人生はそれぞれにとても違っており、それぞれがある種の「雛形」のように感じられます。この現代における人の生き方の選択肢としての代表的ないくつかとしての雛形。沙羅はこの作品においてはメンターの役割であり、他の登場人物とは位置づけが異なります。
そして、彼らそれぞれの生き方が、今のこの日本の社会においてはどのように折り合いをつけ、納得性のあるものになりうるのかということを、物語を読んでいると考えさせられます。自分は彼らのうち、どれに近いんだろう。そういう中で自分もこの社会においてどう生きればいいかということも考えさせられました。
作品で最も村上作品らしいミステリアスな魅力をはなつシーンは、灰田の語る、彼の父親と彼が温泉宿で出会った緑川のエピソードでしょう。そこで緑川はいくつかの彼にとっての真理を示唆します。「才能」と「真実」の価値について、それらを得るために要求される死について。そしてそれらを得ず、「平板で薄っぺら」な人生を生きて行くことの価値について。
答えは示されないままに緑川は去り、灰田自身もまたつくるの前から去る。何のことづけもなく、唐突に。残された者はその不条理な不在を抱えて生きて行くことになる。読者である私自身も、同様に緑川の投げかけた言葉について考え続けています。
つくるがひとりひとりの友人を訪ねる中でも、彼は何かをジャッジし、彼なりに解釈して納得するということをしません。ただ、事実を事実として受け止めていく。
ただひとつ、ラストでつくるは今ある現実に切り込むように沙羅に「あなたと生きて行きたい」と告げるのです。
やはり答えは示されないままに物語は終わってゆくけれど、私はそこに希望の感覚を持ちました。それでも生き続けなくてはという強いメッセージに励まされました。
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