最初から最後までたまらない。
読めば読むほど
中学生の時に初めて読んだときは衝撃しかなかった。兄妹で愛し合ってる。最愛の妹が死んで、生き還させる為に再び会う為に頑張る。沢山人が死んでも頑張る。位にしか感じなかった。絵が好きで読んでた。大人になってから再度読み直したら、すべての人物抱き締めたい衝動にかられた。刹那ほど沙羅ほど一人の人を愛することはできるのだろうか。愛されることができるのか。その二人だけではなく、全ての登場人物が、それぞれの愛情を正義を抱えていて兎に角切ない。歪んでたり届かなかったり、届いた時には遅かったり、見えなかったり、守ろうとしているのに守れない。清く正しくのままでは守れない己の正義。張り裂けそうだ。
愛するとはなんだ
読むたびに考えるのは、愛するとはなんなんだと。どの感情も全て主観でしかない。一方的なものだなと。与えられている方も、それが本当なのかわからない。行動から感じとるしかない。が、その感じ取ったものが真実か確かめる術がない。彼女の彼を愛しているからこそした拒絶も彼にとってはただの拒絶でしかなかった。よくある、私の事好き?という質問も言葉にした時点で意味がない、終わっている質問だというのも、この本から学んだ。自分は身を呈しても愛するものを守れる覚悟があるのかというのも。
正義とはなんだ
立ち位置によって正義が悪になる。一人一人の正義が異なってぶつかって互いが悪になる。それぞれの正義からみた利益が重なって同士になる。戦争だけではなく、日常も同じだと思う。己の正義を守りたい、正しいことではないのかもしれなくても。正しさなんて立ち位置で一瞬で変わってしまう脆いもの。自分の正義が他人の悪になるだなんて考えてもみなかった。それをこの本で知った。考えるようになった。それから他人をみる目が変わった。
正義も愛も
両方とも己の主観的な感情で他人には完璧には伝わらない。だからこそ伝える努力を怠ってはならない。立場が変われば真逆になったりするけれども、そんなことはどうでもいい、己の正義と愛を貫く意思の強さを持つ。あちらからみたら悪かもと感じて、どうしようと揺らぐようならば貫くような正義でも愛でもない。ただ、伝わらない愛もある。悪になる正義もある。知っているのと知らないのとでは伝え方がかわる。主観的でもいいじゃないか、伝われば。悪になっても仕方がない、立ち位置が違うのだから。私は私の正義を貫く。自己満足だろうけど、迷惑かもしれないけど、私は私の主観で人を愛する。そんな覚悟が持てた本を書いてくださった由貴先生に感謝。
最後に
ザフィケル様大好きだー!!
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