小川洋子スタイル炸裂!表現力maxへの挑戦と一生文学活動の決意 - いつも彼らはどこかにの感想

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小川洋子スタイル炸裂!表現力maxへの挑戦と一生文学活動の決意

4.04.0
文章力
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演出
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目次

作品の経緯、再読して楽しむための予備知識

本作は2012年6月から2013年1月まで「新潮」に毎月1本ずつ連載された。掲載順は発表順のままだ。新潮社の本紙刊行記念インタビューによると長編「ことり」を書き下ろした後なので「短編が書きたくなった」らしい。「動物が毎回出てくる話にしようということだけ書く前に決めて」いた、ということなので一つのコンセプトありきの連載と言えるかもしれない。小川洋子本人は実際に犬を飼っており、動物に対する愛情の深さは多数のエッセイに記されている。とは言え動物を愛情の対象や癒しを与えるものとしてのみで書いていないところが小川洋子らしい、と私は思った。

ハードカバーは装丁が動物のイラストが可愛らしく価値ありだが、文庫本では江國香織の解説があり、どちらも価値があるように思う。作風はかぶるところは無い二人だが同世代の女流作家であることを踏まえて読んでも面白いと思う(江國は1964年、小川は1962年生まれ。作家デビューは前者が1987年、後者が1988年)

以下に、個人的に印象が深かった「ビーバーの小枝」と「断食蝸牛」について感想を書きたい

「断食蝸牛」 ― 独特のシュール感、表現力が秀逸

お話は昔話や童話のような骨組みだと思う。教訓的な短編に見えなくもないが、私は本作を小川洋子の表現力の挑戦ととらえている。前述の新潮社のインタビューで、「寄生虫にやられたカタツムリの触角がレインボーに輝いてうねる映像をYou Tubeで発見したところから始まって」いるとコメントしている。彼女はそのインパクトのある映像を文章でどのように表現できるか、と試みたのだろう。1匹だと美しく見えた虹色の蝸牛が群生してうねるシュールな映像。彼女はしばしば小説を書く際に「まず映像が浮かぶ」と記述している。その脳裏に浮かぶヴィジョンになかなか自分の表現力が及ばない事を悔やむようなコメントもあり、まさにそれこそが彼女自身のライフワークなのかもしれない。

試しに私もその画像を検索してみたが、正直なところ生理的に受け付けられるぎりぎり、というくらい気色悪いものだった。これを集団で出して更に狭い風車の中でそこかしこに這いまわっている、というアイデアも凄いが、その描写力がやはり凄い。1匹なら「神々しい」と思い「プレゼント」になる、と感じた「私」が大群になったとたん恐怖を感じる姿が目に浮かぶ。靴を這っていた1匹を弾き飛ばしたり、踏みつぶしてしまったり、触覚に訴えかけるような展開と、対照的にいつまでも蝸牛を拾い集める「女」にも恐怖を感じてしまう。

彼女の作品である「心と響き合う読書案内」でカフカの「変身」の毒虫の無数の足がうごめく表現の凄さに感嘆しているので、もしかしたら往年の名作へのオマージュも含んでいるのかもしれない。

小説の感想で漫画の話もいかがなものか、と思われる方もあるかもしれないが、荒木飛呂彦の「ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン」のヘビーウェザーの話を思い出した方も多いのではないだろうか。小川洋子がジョジョを読んでいるとは聞いたこともないが、ホラー感さえ漂う表現力には通じるものがあるかもしれない。

「ビーバーの小枝」 ― 翻訳家へのリスペクトと文筆家としての決意

小川洋子の作品は何点かフランス語訳されており、その翻訳家へのリスペクトを「博士の本棚」というエッセイ集で目にしたことがある。本作はまさにその敬意と、国や使う言葉は違えども、ともに執筆を糧に生きていく者同士の共感と更なる高みを目指す決意を表していると思われる。

彼女は常に、先人、恩師、同業者への賛辞を惜しまない。言うまでもなくビーバーはそのような人々を表している。ビーバーの体は小さく、歯は更に小さい。圧倒的な力を持つ熊や高い殺傷能力を持つ豹のような存在ではない。しかし、勤勉な労働を続けていくことで自分の何倍もの大きさの木を倒し、緻密な作業を積み重ねてすみかを作り上げる。小説を書く、という事はまさにそういう事だと私も思う。一つ一つの語彙に注意し、丁寧に言葉を選ぶ。書き始める時点ではどんな作品も1つの小さな言葉から始まる。それを無限に繋ぎ合わせ、ただ一人、自分が目指すゴールに向かって行く。時に雨や風に襲われながらも。

「私は小枝を置き、再び小説を書き始める」という最後の一文にその思いが全て凝縮されている事を感じて、ああ、私も自分自身の執筆活動に励もう、と心から思う。

既に若手作家ではない小川洋子、たくさんの受賞作もある。しかしいつまで大物ぶらず、自分が良いと思う作品、尊敬する先人たちにまだまだ自分が及ばない、という姿勢を崩さない。そんな彼女を私は尊敬し、道しるべにしていきたいと思う。私も今、心の中にビーバーの小枝を持っている。

最後に、かなり余談だが、小川洋子は村上春樹にも大きく影響を受けている事もしばしば表記している。本作のビーバー自体は彼女自身のアイデアなのだろうが、頭骨をプレゼントされることについては村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」へのリスペクトを表しているのではないか、と私は思っている。 

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