不幸キャラっぽいが結構いいぞ!時任謙作の暮らし
主人公時任謙作は結構不幸を気にしているキャラとして描かれている。
祖父と亡き母の子として生まれ、それが影響して望む女性との結婚もかなわない、という点では辛いと思う事はあるだろう。
しかし、本当に彼が感じているほど不幸なのだろうか?それほどに「暗夜行路」だろうか?
現代の若者目線で見ると、実は彼はかなり恵まれているとも言える。
ちょっとネタミ目線でその状況を上げてみよう。
そこそこ金持ち、時任謙作
前半で芸者登喜子の事を兄弟で話す場面があるが「金がかかるぞ」と兄から笑いながら言われる。キャバクラに1回行ってみる、というレベルではなく「深入りする」前提の話だけにちょっと現代の若者には考えられない感覚だ。
また、謙作は父との不仲を考慮し、断絶しようかと考えるが金をもらっていることが気にはなっていた。嫌いな父だが金だけは受け取る、という状況を彼のモラルが許さないのだろうが、実は母の実家から出たものと知って安心するシーンがある。
母方の実家からすれば娘の不義故に生まれた子、という申し訳ない背景があるのだろうが謙作はこれに感謝する素振りは少しもない。
割と「金はあって当然」、という様子である。
そして驚くべきことに彼はこの前編の間におそらくほとんど収入は無い。
生業としている執筆活動に集中するためわざわざ東京から尾道に引っ越す。どの程度滞在するか不明のその地でわざわざ畳や障子を変え、「隣の婆さん」に食事や洗濯の世話を頼んでいる。旧来の友達もいない状況を作って執筆するためだけの状況を整え、そこで自伝的小説を書くことを試みるも、作品は出来上がらず、なんだかんだで東京に戻ってくる。その後も栄花という芸者を題材に作品を書こうとするが仕上がった気配はない。
言ってしまえば「自称作家」状態である。
夜は芸者遊び、友達とゲーム三昧、昼まで寝ていることしばしば、古本を売って50円を得るシーンはあるが、あくまでも遊び代の前提のようで、生活費を大きく心配する場面は無い。その上東京でも旅先でもお世話の女中付きだ。何てうらやましい身分だろう。
心も自由すぎるぞ、時任謙作
前項でも書いたが、朝寝、夜遊び、女遊びは当たり前の彼、ほかにもかなり自由過ぎる考え方が随所に垣間見える。
亡き母に関連した人物として登場する「愛子の母」への思慕は理解できなくもないが、だからと言ってその娘との結婚を望む、という冷静に読むとかなり強引な希望を持っている。
愛子にはある程度の愛情はあったようだが、兄信行に聞かれるとあきらめられないことはない、という程度だったようだ。大正時代という事で女性が所有物のような扱いなのだろうが、これも現代社会からすれば考えられない自由さだ。
更に、祖父の妾であったお栄との結婚を批判を覚悟の上で望む点も奔放と言えるだろう。年齢も20ほど違うというから実現すれば結構な年の差婚でもある。
思想、想像の中でも結構自由で、突然人類絶滅に供述してみたりもする。しかも2回も。一度は人類の栄華と地球の「コンディション」比例しており、いずれすべての人類が死に絶えてしまうとか日記に書いてみたり、巨大な像と人類の英知を結集した戦いを想像して「亢奮」(興奮?)したりもする。
他にも数えればキリがないが、思い立って無期限で尾道へ引っ越したり、古物商に売ろうとしたけどちょっと面倒なのでやめた品をそのまま選別として親しい友人にプレゼントしたり、やたらと他人に腹を立てたり、女郎屋(?)で目当ての女を待つ間、すずりを持ってくるよう命令していきなりお習字を始めたり(大正の世の中ではよくある事なのだろうか?)、買った女とは言え、1分程度話しただけで馬鹿呼ばわりしたり、やりたい放題だ。
この女に対しては「美しい女」と見て所望しておきながら、想像の世界では醜いが忠実で罪深い身の上を苦しんでいるようなあばたの女であれば気が休まりそうだ、などと想像する始末だ。更に前編の最終シーンなど買った女の乳房と戯れて嬌声を上げて喜んでいるシーンで終わっている。
このように書き上げてみるとかなり自由な思想と実生活ではなかろうか?
「暗夜行路」というより「割と自由な気まぐれ行路」と言ってもいい程だ。
おまけに、分庫本で240ページ程度の決して長くは無い小説だが、ひっきりなしに女性が出てくる。登喜子、愛子、お加代、千代子、お栄、名前は上がらないが尾道でもプロスティチュート=売春婦を買ったり、ほかにも「放蕩」したという記述もあるし、東京に戻ってからも時折女性を買っている気配がある。
恋愛としてうまくいかないまでも対象となる女性がいること、ほとんどが商売の女性とはえそこに行く金がある事などを考えると、「リア充」とは言えないまでも、さほど悪くない生活と言えるのではないだろうか。(女性読者から怒られそうなので念のため書くが、女性を買う事が「良い」と言っているのではなくあくまでもその余裕があるという点を「悪くない」と言っている)
実際のところ、彼の不幸のほとんどは気難しさと短気さ、そしてその屈折した性格から来ていると言える。
結局、志賀直哉の小説は話の内容はともかく、その文章の巧みさ、美しさが真髄なのだろう。後篇に関連してその表現の美しさに記述する
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