マネツグミを殺す
今じゃ映画において黒人差別問題はもはや副題で、自虐的なセリフとして現れるか、歴史物として表されるのが普通となってきているけど、これは差別を乗り越える前の、差別が当たり前だった時代の副題的描き方のように感じました。偏見があるのが普遍だという描き方。価値観や社会的偏見って50年でも随分変化するものだなあ、と考えさせられました。映画の楽しみって、監督の当たり前が映し出されるから地域を超えた価値観の違いがわかるというのもひとつだけど、時代差もまた楽しめるポイントのひとつだと思います。
「マネツグミを殺すのと一緒よ」という最後の女の子のセリフは、理不尽な世の中を変えていくには犠牲者が必要だということだったのだろうか、と考え込んでしまいました。なかなか深いセリフでした。マネツグミを殺すのと一緒よ、というのは、周りから犯人だと思われている者を犯人だとして(社会的に)殺して、それで物事を解決したように見せかけるということなのか、と。それまでお兄ちゃんについてまわってばかりという印象の女の子なのに、ラストで急にこんな大人びたセリフをいうなんて、反則です。
確かに邦題は原題を全く活かしてはいないけど、南部アメリカのほのぼのさを表しているものではあるような気もしました。
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