三浦しをんの個性が詰まったエッセイ集 - しをんのしおりの感想

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しをんのしおり

4.174.17
文章力
4.33
ストーリー
4.00
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三浦しをんの個性が詰まったエッセイ集

3.53.5
文章力
4.0
ストーリー
3.0
キャラクター
3.0
設定
3.0
演出
3.0

目次

三浦しをんの日常が綴られるエッセイ集

『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞を、『舟を編む』で本屋大賞を受賞した作家・三浦しをん。

流れるような筆致もさることながら、独特の観察力には定評があり、三浦しをんの描くキャラクターたちは総じて個性豊かで面白い。また、なんでもない当たり前の「日常」を「物語」に転化する術に長けており、三浦しをんの手にかかればどんな退屈な日常も物語へ変貌する。

そんな才能あふれる女流作家・三浦しをんは、たびたび自らの日常を書き記し、エッセイ集として発表している。新潮社から出ている『しをんのしおり』も、その一冊だ。

三浦しをんのエッセイ集は『しをんのしおり』の新潮社だけでなく、光文社文庫や双葉文庫からも発行されている。昨今、文学界において女性作家の存在はとりたてて珍しいものでもないが、これほど多くの出版社でエッセイを連載・出版している作家はさほど多くはない。つまりはそれだけ、三浦しをんの文筆能力が出版業界に評価されているか知れるというものであろう(なお、エッセイ集であるため、本考察の文章力以外の評価項目は平均点の3とする)。

胸毛とBLと妄想と弟

本を読めば、その作家の人間性がおのずと把握できるという。文章、プロット、ストーリー、キャラクター。物語を構成する全てが、作者を映す鏡なのだ。

だが、三浦しをんの場合、作品を読むよりもエッセイを読んだほうが百倍速く彼女の人格がわかる。

『しをんのしおり』はまず、弟と買い物に出かけるエピソードから始まる。三浦しをんのエッセイにはお馴染みの、ちょっと偏屈な弟が登場する話だ。偏屈な弟との買い物があっさり終わる訳もなく、三浦しをんと弟はスーツのボタンの数で揉める。二つボタンか、三つボタンか、当人以外には本当にどうでもいい話だ。そこにオカマの店員が絡んできて、ちょっと買い物がややこしくなる、という展開。

普通、たったそれだけの日常的エピソードをエッセイの材料にしようとは思わないだろう。だが、そこは三浦しをん。「日常」をユーモアあふれる「物語」に変えるプロフェッショナルである。三浦しをんは独自の観察眼で、ナント店員さんの胸毛を発見し、挙句の果てに「巻き具合がイマイチ」とまでコメントしているではないか! 

恐るべし三浦しをん。三浦しをんにかかっては、一見普通の(オカマの店員さんは普通ではないが)通行人でさえ、エッセイの材料になってしまうのだ。

このたぐいまれなる観察眼・考察能力が三浦しをんのエッセイの命脈となっている。表参道を歩きながらフランス料理店の厨房の男性たちでBL妄想をするのなんて当たり前(しかも数えたら2ページ以上に亘って延々と妄想している…!)。漫画について独自の見解を述べる話も多く、三浦しをんの眼力の前にはどんな人気のあるメジャー作品だってブッダの手のひらの猿に過ぎないのである。

また、友人の腹ちゃんをナンパしてきたエチオ君の話だったり、人から聞いた話を面白おかしく書きつづれるのも素晴らしい。もともと三浦しをんの友人たちが面白いというのもあるのだろうが、普通ここまで人から聞いた話を加工できるものではない。

たかがエッセイ一つと侮るなかれ。『しをんのしおり』には、三浦しをんの才覚の全てが詰まっているのである。

比喩こそ三浦しをんの武器

また、エッセイでこそ輝く魅力というものがある。それは、三浦しをんの比喩表現のすばらしさだ。

これは、小説ではなかなか見えづらい部分である。そもそも比喩表現というのは、「作者が頭のなかで思い描いている文章をわかりやすく伝えるための表現技法」であるのだが、使いこなすのは思っているほど容易ではない。作者と読者の認知度に差があれば成立しないし、もし外せば相当な的外れになって作者離れすら引き起こしかねないからだ(たとえば、理系出身者が理系の人間にしか習ってこない単語を、文学作品のなかでホイホイ使ってしまえば、理解できない読者はなんて高慢な作者だと鼻白んでしまうリスクがある)。

しかし、三浦しをんの比喩はとてつもなく的確だ。「地に足がついている」というべきだろうか。三浦しをんの比喩は決して高慢でも、知識自慢でもなく、誰もが連想しうる単語を使って、読者の脳内に作者と同じ光景を映し出すことに成功している。

『しをんのしおり』で取り上げるならば、三浦しをんが友人から借りてきた、宝塚の「ベルサイユのばら フェルゼンとマリー・アントワネット編」のビデオを見たときのくだりが最適だろう。白バラに埋め尽くされた祭壇の前で、男役のスタア(おそらく、フェルゼン役)が歌うシーンだ。

その祭壇には、『ベルサイユのばら』原作者である池田理代子氏のフェルゼンとアントワネットの絵が飾られているらしい。

なんと三浦しをんはそれを「力石徹の葬式」と表現しているのである!!!

筆者は電撃が走る思いであった。なんと「力石徹の葬式」のわかりやすいことか! 全く宝塚のビデオを観たことない人間にも、一瞬で舞台を想像させるこの表現力! 三浦しをん風にいえば、「シャッポを何度も脱ぐ思い」というやつだ。

『ベルばら』と『あしたのジョー』の組み合わせ。高貴なベルサイユと汗したたる下町中心のボクシング漫画を一緒に取り上げるあたり、やっぱり三浦しをんのセンスはとびぬけているんだなぁ、と小学生のような感想を抱く筆者であった。

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