ユミヨシさんに見る村上春樹作品唯一のヒロイン像 - ダンス・ダンス・ダンスの感想

理解が深まる小説レビューサイト

小説レビュー数 3,368件

ダンス・ダンス・ダンス

4.504.50
文章力
4.50
ストーリー
4.50
キャラクター
4.50
設定
4.25
演出
4.50
感想数
2
読んだ人
15

ユミヨシさんに見る村上春樹作品唯一のヒロイン像

4.04.0
文章力
4.0
ストーリー
4.5
キャラクター
4.5
設定
4.0
演出
4.0

目次

村上春樹長編作品のヒロイン像、ここに完成

村上春樹小説の長編作品は主人公が男性で話が進むため、協力者、理解者、愛の対象としてのヒロインがすべての作品に登場する。

しかし、村上氏特有の世界感があって「闇」「悪」「死」などが描かれ、暗い側(あるいは特殊な側)に存在するヒロインと現実社会側に普通の女性として生きるヒロインというダブルヒロイン体制で展開するケースが多い。

わかりやすい例が「ノルウェイの森」の直子と緑だ。

「闇」にとらわれた直子を愛し、守りたいと思うのだが、同時に通常社会に生きる緑にも惹かれていく。

「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」では太った娘と図書館の女の子、「国境の南、太陽の西」では島本さんと有紀子もそれに相当する。

 

ダンス・ダンス・ダンスでは特殊な力を持つユキと現実社会に生きるユミヨシさんという構図は他作品と同様にダブルヒロイン体制だが、ユミヨシさんにフォーカスすると、他の作品に無い、一つの完成形ヒロインの姿が見える。

以下にその詳細を語る。

2つの世界を認識している唯一のヒロイン:ユミヨシさん

上記の多数の作品のすべてで1つの作品に2つの世界が描かれるが、それぞれは並行しており、主人公(と特定の能力を持った協力者)が並行する空間を行き来する。

しかし唯一ユミヨシさんだけは、基本的に普通の女の子として描かれていながら、両方の世界を認識し遭遇もしている。

そして異世界におびえる姿は描かれるものの、その世界に取り込まれることはない、健全な存在のまま居続けている。

他作品ではダブルヒロインたちは顔を合わせない。

主人公を中心において対極の世界として描かれているものばかりなので、2人のヒロインがめぐりあう事は他作品にはない。それどころか存在も知らない場合もある。

しかし、ユミヨシさんとユキは遭遇しているだけではなく、会話すらしているのだ。

これは何を意味するか?

主人公だけが2つの世界に属し、Aの世界ではBの世界を、Bの世界ではAの世界を語り合う相手がいないため、常に孤独であるのに、ダンス・ダンス・ダンスのみはそうではないのだ。

また作中の登場シーンは少ないユミヨシさんだが、多数のエピソードの間に電話でコミュニケーションをとる、という描かれ方をしているため、常に主人公の側にいてくれる安心感があるのだ。

つまり主人公はどこにいてもユミヨシさんという存在を求める事ができるのだ。

ノルウェイの森では直子にも緑にもなかなか連絡すら取れない孤独が何度も書かれているし、国境の南、太陽の西では島本さんと会うにはただ待っている以外無い。

 

コミカルな会話が多く主人公と読者を安心させる。

異世界も体験しているユミヨシさんだが、それに怯えてはいるものの、闇に取り込まれる、といった描写は無く、常に通常社会の普通の女の子というポジションを守っていることもあり、彼女の登場シーンは常に会話中心でテンポが良くコミカルだ。

電話という媒体もテンポの良さを保つ道具になっている。

 

他作品同様失い続ける主人公、しかしその場面は共有しないユミヨシさん。

ノルウェイの森の緑、国境の南、太陽の西の有紀子は主人公が「なにか底知れない暗い世界」にとらわれていることを知っていながら、その実態が何か、という事は知らない。

そして二人とも「闇」から生還した主人公とともに生きる選択をしている。

一見ハッピーエンディングのようにも思えるが、おそらくまた主人公の周囲に「闇」が訪れるのではないか、という疑念を感じ続けながら生きていくことになるだろう。

ずっと「闇」を感じて生きてきた主人公と違い、この2人の女性は、苦労はしていても通常社会の住人だ。「いつかやってくるかもしれない闇」という恐怖に耐えきれるだろうか?

 一方ユミヨシさんは主人公と一緒に「異世界」を体感しているが、「それは邪悪なものではない」と教えられており、それ以外に主人公が「巨大な闇」と対峙していたことは知らないままだ。

また、主人公にとっても「緑を選ぶ、という選択の直後に直子を失った罪悪感、しかしその葛藤とは別に、そこに生きている緑」、「島本さんとすべてを失ってもいいという選択をしたのに、島本さんのみを失い、おめおめと生き返った自分、それに許しを与えてくれた有紀子」という、大変複雑な関係を生きていく必要が無い。

ユミヨシさんだけは、闇や異世界との「対比」として魅力を感じたのではなく、「ただともに生きる対象」として主人公が求めた相手なのだ。

この自点で村上春樹作品で唯一のヒロイン像を作りだしている。

つまり、彼女はこの作品後おびえる必要が無く、しかもちょっと不思議な主人公を知っており、そしてお互いが必要とするパートナーとして存在している。

言い換えればどちらかが一方的に許す、とか与えるとかではない、「対等」な人間関係だ。

また、村上作品で稀有と言ってもいい、「車でドライブに行く」などの日常の些末な幸せを二人で享受する未来を語ってもいる。

最終シーン、奇しくも国境の南、太陽の西とダンス・ダンス・ダンスでは主人公が朝を迎えるシーンで幕を閉じるのだが、その対比が興味深い。

前者では自分の都合だけで一方的に有紀子を傷つけ、それでも尚生きていく自分を考え眠れないまま迎える朝、

後者では「闇」を二人でともに抜けたあと、主人公が希望をもってユミヨシさんに「朝だ」と告げる。

後者ダンス・ダンス・ダンスのラストは最高に泣けるハッピーエンディングだ。

あなたも感想を書いてみませんか?
レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。
会員登録して感想を書く(無料)

他のレビュアーの感想・評価

村上春樹3部作のひとつ(とよぶべきもの)

「文化的雪かき」という言葉が印象的な前半部分物語は「羊をめぐる冒険」の続編といった形で進んでいく。フリーライターである主人公は決して怠惰な人物でなく、納期は守り丁寧な仕事をしているが、それでも自身の仕事に誇りをもてないようで、自分の仕事をあえて「文化的雪かき」と呼ぶ。好きでも嫌いでもないが、誰かがしなくてはならない仕事。(初めてこの本を読んだとき、この言葉をとても気に入ったことを覚えている。)さておき、その「雪かき」を放り出して、舞台は札幌の町に移り、そこで昔の知り合いである娼婦のキキに会うために(ちなみに彼女は「羊をめぐる冒険」でのキーパーソンで耳のモデルもしていた。)いるかホテルというホテルを探す(このいるかホテルは「羊をめぐる冒険」ででてきた。そこには羊男が住んでいる。)のだが、読み進めていくにつれ、この主人公が「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」の主人公と同一人物であるこ...この感想を読む

5.05.0
  • miyayokomiyayoko
  • 391view
  • 2159文字
PICKUP

関連するタグ

ダンス・ダンス・ダンスを読んだ人はこんな小説も読んでいます

ダンス・ダンス・ダンスが好きな人におすすめの小説

ページの先頭へ