村上春樹3部作のひとつ(とよぶべきもの)
「文化的雪かき」という言葉が印象的な前半部分
物語は「羊をめぐる冒険」の続編といった形で進んでいく。
フリーライターである主人公は決して怠惰な人物でなく、納期は守り丁寧な仕事をしているが、それでも自身の仕事に誇りをもてないようで、自分の仕事をあえて「文化的雪かき」と呼ぶ。好きでも嫌いでもないが、誰かがしなくてはならない仕事。(初めてこの本を読んだとき、この言葉をとても気に入ったことを覚えている。)
さておき、その「雪かき」を放り出して、舞台は札幌の町に移り、そこで昔の知り合いである娼婦のキキに会うために(ちなみに彼女は「羊をめぐる冒険」でのキーパーソンで耳のモデルもしていた。)いるかホテルというホテルを探す(このいるかホテルは「羊をめぐる冒険」ででてきた。そこには羊男が住んでいる。)のだが、読み進めていくにつれ、この主人公が「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」の主人公と同一人物であることがわかる。そのときも彼が「文化的雪かき」をしていたのかかはちょっと定かではないが。
羊男が登場するのも、昔の同級生の五反田君が登場するのも前半部分。羊男が意味するものや、その象徴は毎回彼が登場するたびにちょっと考えてみるのだけれど、そういう心が大事に感じる部分を文章化するのもよくない気がしてやめている。
ともあれ前半部分は物語が進んでいくのと同時に、主人公を取り巻く世界やその状況が無理なく説明されていて、物語に入り込みやすい。
また、この前半に登場する突拍子もなく変わった親子、アメとユキの個性が素晴らしく、特に娘のユキのほうは、私がこの小説を中学校のときに読んだこともあって、こんな風になりたいと仕草を真似たこともある架空の人物のひとりである。
物語のほうは、ここで過去の「いるかホテル」と現在の「ドルフィンホテル」がリンクする。小奇麗な都市のホテルのひとつである「ドルフィンホテル」の中に突如、過去の古びた「いるかホテル」が現れるのだ。16階に到着したエレベーターがドアを開いたとたん、向こうがわは古い空気のにおいの漂う「いるかホテル」の16階。このあたりの闇の恐怖や、待っているのになかなか来ないエレベーターの描写、また古い絨毯や空気の描写が秀逸で、完全に頭の中で映像化されてしまう。もちろん私と他の人との映像の違いはあるだろうが、村上春樹の小説のこれは醍醐味のひとつだ。またそこに登場する羊男。彼は村上春樹の本でよく登場するが、今回は多少シリアスで疲れたように描かれている。にもかかわらず、主人公に対する親愛は紛れもなく感じるところにいつも羊男が出てくるときに感じるユーモラスさもきちんと感じることができ、なにか安心感のようなものさえ感じることができる。
ハワイのビルで見つけた白骨とは?の後半部分
結局、五反田君の出る映画にキキが登場していた時以外にキキに会うことはできなかったが、ユキといったハワイの町並みで、キキそっくりの後姿をもつ女性に出会う。ユキを車におきざりにし(ロックして誰がきてもドアを開けちゃだめだ、とは言ったものの心はもうキキを追いかけていたであろう主人公に、いくら勝気なユキでもかなり不安だったと思う。)、迷い込んだビルの中で、「自分たちが気づかないうちに死んでしまって、そのまま肉体を失って骨だけになってしまったような」6体の骨に出会う。もちろん片手のないベッドに横たわっていた白骨は、アメの恋人ディックノースのものだろう。あとはだれか。五反田くん。キキ。メイ。でも子供のは?まさかユキではないだろう。このシーンはしばらく次のページにいけなかったくらい衝撃的だった。そして、もう何回読んだかわからないけれど、ここの謎はまだ解けない。ネットなどで調べるというのも手だろうけども、あくまで私の中の世界での「ダンスダンスダンス」だから、他の人の解釈もいれたくない。ここは衝撃的ではあるけども、どこか静謐ささえも漂う好きなシーンのひとつだ。
ダンスダンスダンスの意味とは
羊男との再会。そして彼が言う「踊るんだよ。それもとびっきり上手に」の言葉。そして象徴的に挿入される、すべてはつながっている。の言葉。この本だけでなく、完全に村上春樹の小説の世界を理解することは多分できない。理解できるように(現実的な文章として)書き換えられてしまうと、もうその魅力は台無しになってしまう。でも意味がわからないところでも、心地よい文章、表現がそれを乗り越えさせて、物語に入り込めるのを可能にしているのは、村上春樹ならではと思う。
この物語の最後に五反田君が自殺をするシーンがあるが、それはなんとなく少し前から感じ取ることができる。本来ならそれはあまりよくないストーリー展開なのだけど、それは作者がわざとそのように表現したようにさえ思える。なぜか悲しいのに涙もでないような、切ない死だった。
前述したようにこの本を初めて手にとったのは、中学生のときだった。周りのすべてのものにがっかりしてばっかりだった年頃に、この本は宝物のような存在だった。私もユキにとっての主人公のような、そんな庇護者がほしいとよく思った。
村上春樹の書く文章は、頭のなかで難なく像を結ぶ。それはまるで映画をみるように。こういった本は常に手元に置いておきたい。
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