みどりちゃんになれなかった主人公
タクシーに乗ったユタカ達。
それを追いかけるゆうこ。
「この恋愛は恋愛ですらない。」
このシーンは、それを物語っていると思う。
はじめて、ゆうことユタカが交わった時、それは同時に失恋であり、都合のいい女になってしまうスタートでもあった。
私は作品を見ながら腹立たしくて仕方がなかった。もちろん、いい意味で。
追われる側は、追いかける側がどれだけ辛いか分からない。
だが立場が変わりそうになると、途端に自分の方が立場が強いことを主張しようとしてくる。
突然家に来て、ゆうこをおそう場面なんてそうではないだろうか。
私自身は恋愛を遊びだなんて思ったことは一度もないため、主人公の気持ちが首がちぎれそうになる位共感できる。
もっと好きになって欲しい。
自分だけを見てほしい。
何故こんなに切実な思いを無碍にすることが出来るのだろうか、この男は...。
ユタカという人間は典型的なクズだ。
だが、ゆうこも、そんなクズを簡単に手放すことも出来ない、ダメ女である。
共感する半面、ゆうこには苛立った。
ダメな奴だと解っていながら突き放せない。
「自分は他の女より少しは優位に立ってる」、と思いたいのだろう。
憧れの人と体を交えた女なんです、と本人も気付かない内にステータスとなっていたのではないだろうか。
でも、そんな自分にも薄々気づき始め、更にどんどんと高まるユタカへの独占欲、人間関係、自分の気持ちに振り回されることに疲れたゆうこが、気持ちを伝えた時、その関係は崩れてしまった...。
タイトルの意味を自分なりに解釈すると、みどりちゃんというのは「本命の人」という意味ではないのだろうか。
ユタカにとって、ゆうこが「みどりちゃん」になれなかった。
だから関係を終えると共に、さよならみどりちゃん、という気持ちがゆうこに出てきたのではないだろうか。
関係を終わらせたことで、観終わった時はとても気持ちがよかった。
本心から好きと言い合えない恋愛はするものではない、という教訓の作品だ。
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