三浦しをんの代表作
三浦しをんを一大スターダムに押し上げた作品
軽妙な切り口のエッセイや、『風が強く吹いている』などで人気がある三浦しをん。
その代表作が、『まほろ駅前多田便利軒(以下、まほろ便利軒)』だ。
同作品は2006年に直木賞を受賞。瑛太、松田龍平主演で、映画やドラマになっていることからも有名な作品だ。
三浦しをんは『私が語り始めた彼は』で山本周五郎賞候補、『むかしのはなし』で直木賞候補に挙がっていたが、『まほろ便利軒』が評価を得るに至った経緯を密に見ていきたい。
『まほろ便利軒』のストーリーはそれほど複雑なものではない。西東京の架空の都市・まほろ市で便利屋を営む多田が、同級生の行天と再会するというところから物語はスタートする。
勝手に居候になった行天と一緒に、便利屋としての依頼をこなしていく多田。二人に依頼をもたらすのは、どこかマイペースなまほろの住人たちだ。マイペースな住人の依頼に、多田と行天はマイペースに応えていく。やがて明らかになる二人の過去…というのが『まほろ便利軒』のメインストーリーとなっている。
飽和状態の「○○屋」界隈と一線を画す魅力とは何か
昨今、「店舗経営している主人(推理力があったり飛びぬけた観察力があったり、なんらかの特殊技能を持っている)のもとに、依頼人たちが訪れ、店主が問題を解決していく」という物語が、書店の棚の多くを占めるようになった。
需要があると言われれば聞こえがいいが、飽和状態となっているのが現実だろう。「○○店の○○な日々」「○○店の○○事件」というタイトルが、どの書店のどの棚にでも見受けられる。残念ながら内容もタイトルと一緒で右に倣えで、たとえばヒット作『ビブリア古書堂の事件手帖』を真似たような二番煎じ三番煎じばかりだ。売れている作家を模倣した作品だけでは、業界の盛況も右肩下がりになり、作者も使い捨てになるのは目に見えていると思うのだが……。
ともあれ、『まほろ便利軒』はこれらの類似作品群とは一線を画す。その理由は一体なんであろうか。
まず一つは、三浦しをんの最大の武器である巧みな比喩表現にあるだろう。
例えば、行天の寒い(と、本人は全く思っていないところがまた厄介なのだ)ギャグを聞き流す多田の心情を表すのに「冷酷にしなる鞭のごとき沈黙」である(ああ、天才か! すごいわかりやすいうえに笑ってしまう!)。
また、全く飾らないサブキャラクターたちも魅力的だ。
普通、こういった「○○店」ものの依頼者といえば、どこか美化されて語られがちだ。悩みや苦しみはあっても、物分かりがよくて問題が解決すればいつもの日常のなかにあっさりと帰っていく。いわば「童話のなかの世界」のキャラクターばかり。
だが、『まほろ便利軒』においては、依頼人である小学生やおじさんや娼婦たちも、その辺に転がっている「血肉の通ったキャラクター」ばかり。彼らが持ってくる問題も、サッシを直せだの椿の枝を切れだの本当に人間くさいリアルなものばかりだ(ちなみにドラマ版だと輪をかけて人間臭くなり、プロレスのやられ役だの拳銃の始末だの、面白い依頼が続出する)。
これを軽妙に操れるのが、三浦しをんという作家の魅力なのだろう。
『まほろ便利軒』が語りたかったこととは
小説というのは難しいものだ。作品の「テーマ」や「メッセージ性」というのを、勝手に読者が妄想し、それがあたかも作者の狙いであるかのように決めつけられてしまう。
実際はそんな意図などなかったのに、「この作品のこのシーンは~~を伝えたかったんだ!」などと後世の学者に決めつけられる気持ち悪さといったらないであろう(例えば国語のテストなんて最たるものだ。羅生門で婆が同じ言葉を二回繰り返す意味など、芥川龍之介は本当に考えていたのだろうか? あぁ気持ち悪い)。
ともあれ、後世の「物好き」たちは作品に意味を求めたがる。『まほろ便利軒』も、おそらくはその犠牲者になってしまうのだろう。これは三浦しをんがどうこうという問題ではなく、売れている作品の宿命なのである。
この作品を何度も読み返している筆者が思うに……『まほろ便利軒』に、メッセージ性などはない。
なぜならば、三浦しをんは文学小説家の皮を被ったBL作家だと筆者は思っているからである。
『まほろ便利軒』は多田と行天のほのかな絆が見どころのセミBL小説であって、「絆を失った男がうんぬんかんぬん」とかいう書評家諸兄の意見は実は的外れなのではないかなぁ……と思う次第だ。
そもそも三浦しをんは娯楽小説を書かせたら右に出るものがいない作家である。どうでもいい人間の、どうでもいい日常を、面白おかしく描く。それが三浦しをんの魅力であって、とってつけたような書評な意図などくっつけて売られてはたまったものではないだろう。
とかく、現在の文芸業界の「こじづけ」「露出」「売れ方」は各業界の斜陽期の特徴そのもので惨憺たるものだ。芸能人作家が異様にもてはやされることからも明らかであろう。出版社はもっと販売部門に優秀な人員を割り振るべきではないのだろうか?
時代や流行に流されず、三浦しをんは自分の路線を貫いてほしいものだ。
あ、実は意図してたんだよとか思ってたら本当に申し訳ございません、三浦先生。
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