智恵子抄のあらすじ・作品解説
智恵子抄は20世紀前半に活躍した詩人・彫刻家の高村光太郎による詩集である。智恵子とは光太郎の妻、高村智恵子のことで、彼女と結婚する以前からその死後に至るまで書き続けられた彼女への想いが編集されている。 高村智恵子(旧姓長沼)は酒造業を営む裕福な家庭に生まれた。福島高等女学校を卒業後、日本女子大学校に入学し、在学中は絵画を勉強した。そして卒業後も都内で制作活動を続けた。 知人の紹介で光太郎と出会い、1914年に結婚。だが、二人の生活は金銭的に苦しい日々が続き、その中での制作活動となった。また、父の死(1918年)や実家の破産(1929年)など様々な心労も追い討ちをかけて智恵子を苦しめた。こうしたストレスが続いたこと、もともと体があまり強くなかったことが原因となったのか、やがて智恵子に統合失調症の症状が現れる。 詩集では、心を病んだ智恵子と向き合う光太郎の苦悩、そしてそれでも変わらない妻への想いが描かれている。
智恵子抄の評価
智恵子抄の感想
智恵子抄
智恵子抄、私がこの本と出会ったのは9年前、たまには小説なるものを読みたい!と思いまして、でも何故、智恵子抄なのか?それは姉が千恵子。漢字は違いますが(笑)姉の事を思い出しながら…急に読みたくなったのです。まず詩から始まるますよね…最初から良くわからないまま読んでましたね。発行は昭和31年ですから難しい言い回しで。先ず詩から入り、その後智恵子の半生へ入りますよね。早く本代へ入りたいな〜と思って先ずはそちらから読みました。単純かと思われるかも知れませんが、泣きました!著者である高村光太郎さんは妻である智恵子さんをとても大切な女性と、また智恵子さんも切なくなるくらい妻として女性として、高村光太郎さんを愛していた。と言う事実。結婚しているのだから当たり前だよ!と思いがちな夫婦の愛。だけど純粋で、その後の智恵子さんは病に侵されますが、それでも直向きな愛の物語りに心打たれました。この小説に「あどけない...この感想を読む
愛しき人よ いつまでも
中学校2年生で習う作品。「レモン哀歌」は有名だろう。高村光太郎の妻「智恵子」の死に際と死後を詩にしている。光太郎は妻智恵子を強く愛していた。光太郎は智恵子と出会い人生を変えることができた。智恵子との出会いを光太郎はこのように語ったという。「私はこの世で智恵子にめぐり会った為、彼女の純愛によって清浄にされ、以前の退廃生活から救い出される事が出来た」智恵子は7年にわたる闘病の末、肺結核のため52歳で旅立つ。そして、千恵子他界から3年後に光太郎は30年に及ぶ2人の愛を綴った詩集『智恵子抄』を刊行した。 詩人が織りなす愛しき人へのメッセージ。愛情こそが人に詩作への意欲をわかせるのかもしれない。