智恵子抄
智恵子抄、私がこの本と出会ったのは9年前、たまには小説なるものを読みたい!と思いまして、でも何故、智恵子抄なのか?それは姉が千恵子。漢字は違いますが(笑)姉の事を思い出しながら…急に読みたくなったのです。まず詩から始まるますよね…最初から良くわからないまま読んでましたね。発行は昭和31年ですから難しい言い回しで。先ず詩から入り、その後智恵子の半生へ入りますよね。早く本代へ入りたいな〜と思って先ずはそちらから読みました。単純かと思われるかも知れませんが、泣きました!著者である高村光太郎さんは妻である智恵子さんをとても大切な女性と、また智恵子さんも切なくなるくらい妻として女性として、高村光太郎さんを愛していた。と言う事実。結婚しているのだから当たり前だよ!と思いがちな夫婦の愛。だけど純粋で、その後の智恵子さんは病に侵されますが、それでも直向きな愛の物語りに心打たれました。この小説に「あどけない話」という詩がありますが、高村光太郎と妻、智恵子の何気ない日常がそこには描写されていて、またそれはこれから智恵子に起こるであろう不気味な前兆だっと言う事を、後々読み手は知ることになる。そして単に2人の半生を綴った物語りではなく「愛の物語り」ということを知っていく事に。また「レモン哀歌」は智恵子が今を生きている躍動ある描写が書かれていて、正に、生と死を見つめている歌になります。明治の年末から、昭和13年の別れまでを詳細に描かれた小説でありました。
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