イタリアのシシリーの貴族の壮麗な挽歌であり、失われた貴族文化へのオマージュに満ちたノスタルジア、ルキノ・ヴィスコンティ監督の最高傑作「山猫」 - 山猫の感想

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イタリアのシシリーの貴族の壮麗な挽歌であり、失われた貴族文化へのオマージュに満ちたノスタルジア、ルキノ・ヴィスコンティ監督の最高傑作「山猫」

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この映画「山猫」は、イタリアの世界的な巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督の作品で、1963年度のカンヌ国際映画祭で最高賞であるグランプリを受賞している、映画史に燦然と輝く珠玉の名作です。

この映画の題名である「山猫」とは、イタリアのシシリー島で、アラゴン、スペイン、ブルボンなどの各王朝の下で栄えてきたファルコネーリ家の家紋であると共に、現在の当主サリーナ公爵(バート・ランカスター)の呼称でもあり、彼は旧家の権威と新時代への対応力と併せて、変革に不易な深い人間性をも備えている人物として描かれています。

それまでは、どちらかというと野卑でタフガイのイメージであったバート・ランカスターに、"貴族の家父長的な尊厳さ"を与えたヴィスコンティ監督は、その後も彼を自作の「家族の肖像」にも起用していて、ミラノの公爵の御曹子で、その思想的な背景から"赤い公爵"とも言われた自らの孤独な姿を、バート・ランカスターに投影しているものと思われます。

原作は、シシリーの貴族ランペドゥーサ公爵が、自らの没落過程を描いた唯一の作品であり、1958年に自著が公刊されるのを待たずに世を去っています。 このように、原作、映画の監督ともイタリアの旧貴族ですが、ヨーロッパの華麗な芸術を伝えてきた彼等の文化的な役割は、ルキノ・ヴィスコンティという偉大な芸術家を失った今日でも、彼等が残した作品は決して色褪せる事なく、永遠に輝き続けるのだと思います。

時は1860年、"復興"の波に乗ったガルバルディの率いる赤シャツの義勇軍は、シシリー島のマルサラに上陸しブルボン王朝軍を圧倒して、その後、破竹の勢いで進軍しパレルモを占領しましたが、映画はこの革命戦争の様相を生々しく描いていきます。

サリーナ公爵の甥タンクレディ(アラン・ドロン)は、野心に満ちた若い世代を代表する人物で、当初は赤シャツ隊に参加し獅子奮迅の活躍をした後、負傷し、新国王エマヌエーレ二世の国王正規軍に移り、ガルバルディの革命軍を反対に鎮圧する立場になりました。

イタリア王国が、ローマを首都と定めて統一を成し遂げたのは、1871年ですが、ガルバルディの市民戦争の翌年の1861年にアメリカで独立戦争が起こり、更にその7年後の1868年に日本では徳川幕府が崩壊しているという、大きな歴史の変革の時期に差し掛かっていました。 しかし、これらの変革は地主階級を温存するという、不徹底なものに終わった事で共通しています。

タンクレディが、愛情からだけではなく、政治的、財産上の欲望も絡んで結婚する美貌のアンジェリカ(クラウディア・カルディナーレ)は、新興ブルジョワ階級の代表である村長(パオロ・ストッパ)の娘であり、タンクレディと同様に新時代の息吹きと生気に満ち溢れています。 しかし、このアンジェリカは、サリーナ公爵の孤高な熟年の男に魅力を感じていきます。

一方のサリーナ公爵も、若い彼女に対して人生の終わりに近づきつつある自分を感じ、最後の炎を燃やします。 この映画のラストでサリーナ公爵が主催する舞踏会は、これまでに映画で描かれた中でも最も豪華な舞踏会ともいえるもので、スケールの大きさや見た目の派手さという事だけなら、他にもあったかも知れませんが、それがその細部に至るまで、徹底して本物にこだわった見事さは類を見ない素晴らしいものがありました。

この舞踏会での、このサリーナ公爵とアンジェリカの精神的に共感する老若二人の華麗なワルツは、この映画のラストを比類なく、美しくも悲しいノスタルジックなものにしているように思います。 そして、この映画の中では、まるでダイヤモンドの輝きを思わせるような、人生の深遠に迫るほどの奥深く心に残ったサリーナ公爵のセリフの数々がありました。

「何だ? 愛か? 愛もよかろう、炎と燃えて一年、後の三十年は灰だよ」、「現状を否定する者に向上は望めない。彼らシシリー人の自己満足はその悲惨さよりも強い」、「続くべきでないものが永遠に続く。人間の永遠など知れたものだが、しかも変わったところで良くなるはずもない」、「我々は山猫だった。獅子であった。やがて山犬やハイエナが我々にとって代わる。そして、山猫も獅子も山犬や羊すらも、自らを地の塩と信じ続ける」、「私達の願いは、忘却、忘れ去られたいのです。血なまぐさい事件の数々も、私達が身を委ねている甘い怠惰な時の流れも、全ては実は官能的な死への欲求の現れなのです」、「おお星よ。変わらざる星よ、はかなき現世を遠く離れ、汝の永遠の世界に我を迎えるのはいつの日か?」--------。

舞踏会という絢爛豪華な宴が終わった後、一人路地裏で膝まづいて、このように祈ったサリーナ公爵は、既に夜明けになっているにもかかわらず、なお仄暗い路地の奥へと淋しく消え去っていくのです。 ニーノ・ロータの優雅で甘美な音楽とは正反対に、赤茶けた自然と民衆の生活は苛酷であり、シシリー島は長年に渡って他国の植民地としての苦しみに耐えてきたのです。

サリーナ公爵が、「二十歳で島を出ては遅すぎる」という程の人間関係の繋がりが深いシシリーは、その後も映画「ゴッドファーザー」などに出てくるマフィアというギャング組織の故郷にもなっています。 このシシリーほどではないにしろ、"イタリアには人があって国がない"と言われており、アングラ的な裏の権力や経済が支配している背景とも見られているのです。

そして、イタリアでは納税に対する義務感が低いと言われていますが、その根本的な原因は、統一された国民共同のものとしての国家感がないからだという事なのかも知れません。 しかし、イタリア人及びイタリア移民の映画芸術というものへの貢献は、ルキノ・ヴィスコンティ監督やフランシス・フォード・コッポラ監督の如く世界的に素晴らしく、偉大なものであると痛切に感じます。

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