滅びゆく運命を諦観し、崩壊と頽廃の織りなす美学を描くルキノ・ヴィスコンティ監督の名作「ルートヴィヒ 神々の黄昏」 - ルートヴィヒの感想

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滅びゆく運命を諦観し、崩壊と頽廃の織りなす美学を描くルキノ・ヴィスコンティ監督の名作「ルートヴィヒ 神々の黄昏」

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映像
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脚本
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キャスト
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音楽
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演出
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この映画「ルートヴィヒ」は、イタリア北部のミラノの貴族出身であるルキノ・ヴィスコンティ監督の1972年の作品で、1969年の「地獄に墜ちた勇者ども」、1971年の「ベニスに死す」に続く、近代ドイツの歴史を描く"ドイツ三部作"の最終作品です。

ルキノ・ヴィスコンティ監督は、この映画の製作意図として、「私は絶えず際立った人物に惹かれてきた。 そして、私は常にドイツの歴史と文化に特別な関心を抱き続けてきた。 従って、ワーグナーの讃美者、ビスマルクの支持者となり、最後には臣下に侮られ、全く孤独で、精神異常を宣言された若く強健で、途方もなく美しいばかりの王、バイエルンのルートヴィヒ二世を私が選んだのは、全く必然的なことだった。 彼は40歳の時、ミステリアスな溺死を遂げた。 私の考えでは、ヘルムート・バーガー以上にこの役を理解して演じられる者は誰もいないだろう」と語っています。

ヴィスコンティ監督は、第二次世界大戦においてレジスタンス運動に加わり、死刑を宣告されたという特異な経験を持っている事で有名ですが、その生い立ちと思想から、特権階級が支えた欧州の伝統美が滅びゆく運命にある事を諦観し、そこに崩壊と頽廃の織りなす美学を見出しているかのように、その複雑な思いを映画に託してきた映画芸術家であると思います。

この映画のサブタイトルは、「神々の黄昏」ですが、彼は新しい思想が、芸術的には図式化された教条的なものである事に不満を持っていたようにも思えます。 それは、この映画の中で、従者に「魂の不滅を信じるか?」と問い、「私も信じる。魂の不滅と神の正義とを。 唯物論の本はよく読んだが、あれには満足できぬ。 人間は断じて動物とは違うのだ」と、王自ら、答えているセリフからも推測出来ます。

ルートヴィヒ二世(ヘルムート・バーガー)は、1864年に18歳でバイエルンの国王に即位し、リヒアルト・ワーグナーの熱烈なパトロンとなり、また、シェークスピア役者として有名なヨーゼフ・カインツの芸を堪能し、自らのロマンを実現するため三つの壮大な城を建設し、その厖大な負債のため国家財政を破綻させた事でも歴史的に有名な人物です。

このルートヴィヒ二世の際限のない芸術のための欲求に苦慮したミュンヘン政府は、当時、急速に発達してきた精神医学の助けを借りようと査問委員会を開催し、王自身の狂気についての多くの証言によって、精神科医グッテン教授は、王を偏執狂(パラノイア)と診断したため、国王の廃位が決定されました。 そして、廃位決定後、ベルク城に幽閉されたルートヴィヒは、グッテン教授に対して、「私は謎なのだ。永遠に謎でありたい。 他人にも、私自身にも」と語って、豪雨の中を二人で散歩に出たまま、城外のシュタベルク湖で溺死体となって発見されました。 歴史上、狂王が精神科医を道連れに自殺したとされていますが、死に至る経緯は今なお、多くの謎を残したままとなっています。

明治時代の文豪・森鷗外が、当時ドイツに留学中で、この事件に現地で接し、ある種の感銘を受け、国王及び彼と死を共にした医師グッテンの最後を現地に弔し、それぞれに漢詩を捧げており、後日、この事を題材にして「うたかたの記」という作品を書いたという事でも文学史上、有名な話です。

このルートヴィヒが最も心酔し、援助を惜しまなかったのは、音楽家のワーグナー(名優トレヴァー・ハワード)でした。 しかし、ワーグナーは、フランツ・リストの娘であり、指揮者ビュローの妻でもあった不倫の愛人コジマ(シルヴァーナ・マンガーノ)と共に、王に強欲な無心を続け、最後には王を裏切って離れていく俗臭紛々たる芸術家として描かれています。 つまり、このワーグナーという小賢しく、権力志向の強い音楽家との対比において、このルートヴィヒという狂王は、"純粋に、そして孤独に美を追求してやまなかった人間"として描かれているように思います。

通常、権力者は、世俗の富や名声を追い求め、芸術家は世俗的な価値というものを超越して美に殉じるというのが一般的ですが、この映画では、それが全く逆になっているというのも非常に面白く、権力の装飾でしかないような芸術というものは、ただ空しいだけですが、ワーグナーは権力者をとことん利用して自分の芸術を創り上げていきます。 つまり、ワーグナーは、権力の装飾になるどころか、更にその上を行って権力者を、その精神世界において自分にひざまづかせ、ひれ伏させているのです。

このワーグナーを演じている名優のトレバー・ハワードが、行っている事は卑しいのに、それを、実にふてぶてしく堂々としていて、悪びれてもいず、不思議な程それが俗物には見えないという人間像を完璧に演じていて、本物の演技の真髄を見せつけられる思いがしました。

そして、この映画を観る際に、特に重要な点として、ルートヴィヒ二世とヴィスコンティ監督が共にホモ・セクシュアルであるという事を抜きにしては理解し難いだろうと思います。 ヴィスコンティ監督が熱愛したと言われている、ヘルムート・バーガーが演じるルートヴィヒの生涯は、ヴィスコンティ監督自身の姿でもあるのです。

女性を愛する事の出来なかったルートヴィヒが、唯一人、精神的な純愛を捧げた8歳年上の従姉、オーストリア皇后エリザベート(ロミー・シュナイダー)の美しく明るい気品の中にも、どことなく虚無的な香りを漂わせている女性像は、ロミー・シュナイダーが演じている事もあいまって、実に魅力的な女性として描かれています。

そして、この映画の中で印象的だったのは、戦争を忌避する兄に代わって、普墺戦争に参加して、ルートヴィヒより先に狂っていく、凛々しい弟のオットー殿下(ジョン・モルダー・ブラウン)の運命も悲惨であり、映画の冒頭シーンでの戴冠式の場面が暗示的ですらありました。 ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画は、いつも芸術の香りに満ちていて、絢爛たる美術画を見ているようでもあり、私の心を豊饒にしてくれるのです。

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