四世紀のローマを舞台にした、辻邦生の壮大な叙事詩的小説「背教者ユリアヌス」
現代文学の作家の中でも、その独自の作風で、ひと際、燦然と輝く辻邦生。
「安土往還記」「回廊にて」「西行花伝」「嵯峨野明月記」などの作品を愛してやみませんが、「背教者ユリアヌス」は、著者の初期の最大の作品で、後に中公文庫(上・中・下巻)で出ていますが、文庫で三巻は確かに長いと思います。
毎日芸術賞を受賞した「背教者ユリアヌス」は、四世紀のローマを舞台にした、壮大な叙事詩的小説で、皇帝の子として生まれながらも、熾烈な権力争いのために、幽閉されていたユリアヌスが、運命に操られて皇帝になり、悲劇の生涯を終えるまでを描いています。
皇帝コンスタンティヌスは、その前の皇帝たちを殺して、帝位に就いた男だった。
野心や疑心のため、妻も息子も殺した冷酷さで恐れられている。
その皇帝の弟ユリウスに、先帝に仕えた貴族の娘であるバシリナは嫁いだ。
彼女は、胎内に子供が宿ったことを知ると、幼い頃、市場の雑踏で出会った老婆に「お前がどこの家の子供か知らないが、お前の子供はいつか皇帝になるだろう」と言われたことを思い出した。
だが、これから生まれる子供が、皇帝になる可能性はゼロに近い。
現在の皇帝には、三人の皇子がおり、その弟である夫ユリウスにも、先妻の息子が三人いる。
彼女の産む子が皇帝になるには、その六人が先に死ななければならない。
そんなことが起こり得るだろうか?
その後、バシリナは男の子を産んだが、産後の肥立ちが悪く、衰弱する一方だった。
彼女は、英雄アキレスの夢を見た後、我が子ユリアヌスの運命に不安を抱きながら、亡くなってしまう。
それから数年後、皇帝コンスタンティヌスが亡くなった。
弟ユリウスは、兄は暴虐非道な人物ではあったが、愛していたことを自覚した。
そして兄は、キリスト教を保護はしたが、自らは最後までキリスト教徒にはならずに、ローマ古来の神々のもとに帰ると信じていた。
だが、皇帝が死の間際に洗礼を受け、キリスト教徒として死んだという報せを聞いて、ユリウスは怒りに震えるのだった。
もはや意識のなかった兄が、自分の意思で洗礼を受けたいと言ったとは、思えなかったのだ。
だが、その既成事実は作られた。キリスト教徒に先手を打たれたのだ。
すべては手遅れなのか--------。壮大なドラマは、こうして始まります。
舞台は古代ローマ、主人公は皇帝。こう聞いただけで、少し前までなら、手が出ない読者も多かったに違いありません。
しかし、塩野七生の「ローマ人の物語」が広く読まれている現在、ローマものへの抵抗感は、かなり薄れてきていると思います。
この大作が、現在も文庫として版を重ねているのも、塩野版ローマ史のおかげかもしれません。
登場人物も、ユリアヌスとかコンスタンティヌスなどと、馴染みがない名前ばかりで、最初は確かにとっつきにくいかもしれませんが、最初の100ページを我慢して読めば、後はもう一気に読んでしまいます。
なにしろ、陰謀と謀略渦巻く、ローマの政治が背景で、その真ん中に生れた哲学者的な超真面目青年が、望むと望まざるとにかかわらず皇帝になり、数限りない陰謀の渦中に置かれる物語のため、面白くないはずがありません。
日本の戦国時代を描いた、歴史小説が好きな人ならば、その西洋的な拡大版として、面白く読めるはずです。
戦争もあり、魅力的な女性も登場し、極論すれば、小説の面白さのすべてが詰め込まれているのです。
さらに、当時の「新興宗教」でありながら、政治の中枢に影響力を持ちつつある、キリスト教との対立が絡んでいるので、現代政治と重ね合わせて読むこともできると思います。
ユリアヌスが「背教者」と呼ばれるのは、キリスト教を棄教し、ギリシャ古来の宗教を復興させようとしたからなのです。
つまり、キリスト教の信仰者から見た呼び方になっているわけです。
いずれにしろ、ローマものに、小説のあらゆる面白さを持ち込んだ、優れて知的な「背教者ユリアヌス」を、いつまでも読み継がれていって欲しいと思います。
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