キリシタン禁教と、それに伴う棄教や殉難の問題を、内面的に深く追求した、遠藤周作の第二回谷崎潤一郎賞受賞作「沈黙」
キリシタン禁教と、それに伴う棄教や殉難の問題を、内面的に深く追求した、遠藤周作の第二回谷崎潤一郎賞受賞作「沈黙」作家・遠藤周作は、キリシタン禁教と、それに伴う棄教や殉難の問題を、内面的に深く追求した「沈黙」を世に問いました。
カトリック信者でフランス留学の体験を持つ遠藤周作にとって、神や罪の問題、あるいはキリスト教が日本の精神風土に根を下ろすことができるのかという問題は、遠藤文学の大きなテーマになっていますが、この「沈黙」は、徳川時代のキリシタン殉教史に材をとりながら、その問題を厳しく追及した問題作になっていると思います。
キリスト教徒に対する迫害の結果、悲惨な処刑が相次ぐなかで、二十年間、布教を続けたフェレイラ教父も捕らえられ、拷問の末に棄教したという知らせがローマ教会にもたらされます。
司祭たちのショックは大きく、教会の名誉のためにも、迫害下の日本へ潜行し、布教を行なう計画が立てられます。
そして、フェレイラの弟子にあたる三人の司祭は、その真相を探り、同時に日本の信徒たちを救いたいという情熱に燃え、1638(寛永15)年3月、ポルトガルを出航し、インドのゴア経由で、日本へ向かいます。
この三人の内の一人は、途中でマラリアにかかったため、ロドリゴとガルべがマカオでジャンクを手に入れ、密航に成功するが、この作品は、主人公のロドリゴの書簡で始まっています。
そして、キチジローという男の案内で、長崎に近い漁村へ到着した二人の司祭は、信者の農民たちにかくまわれながら、布教を続けるが、危険が迫り、分かれて逃れるうちに逮捕され、ロドリゴは肉体的なものより心理的な拷問を受け、"神の沈黙"について苦悶したすえ、信者たちの苦難を見るに耐えかねて転宗するのです。
ロドリゴはその前に、沢野忠庵と名を改めたフェレイラと対面させられ、日本の国にはキリスト教は根を下ろせないという述懐を聞きます。
この国は沼地で、どんな苗も根が腐ってしまう。かつて信仰が、花開いたように見えていた時期にも、日本人が信仰していたものは、キリスト教の教える神ではなく、彼らの独自なものに屈折させてしまったのだとフェレイラは言うのです。
このフェレイラとロドリゴの会話は、作者である遠藤周作の問題意識を込めたものであり、幕府の役人の巧妙な弾圧の方法を描き出すと同時に、フェレイラの苦渋に満ちた述懐には、深い作者の追求がみられるのだと思います。
さらに、ユダの役割を果たすキチジローは、弱さを抱えた人間の典型でもあり、その矛盾した動きもまた、信仰の根本的な部分に触れる問いになっているのだと思います。
作者は、最後に監視されながら長崎で暮らすロドリゴに、キチジローと自分と、どれだけの違いがあるだろうかと考えさせていますが、そのあたりにも、一つの問題提起が感じられます。
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