モラトリアムを通して描かれる現代観 - いなくなれ、群青の感想

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いなくなれ、群青

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モラトリアムを通して描かれる現代観

5.05.0
文章力
4.5
ストーリー
4.0
キャラクター
5.0
設定
5.0
演出
5.0

目次

厭世的な現代観

語り手である七草は(その境遇はともかく、少なくとも性格においては)現代日本ならどこにでもいる普通の高校生である。

人生を諦めたように悲観することをデフォルトとし、それでも漠然とした淡い希望を胸に秘め、惰性に流されるまま日々を過ごしている。

人間だれしも、とりわけ『陰キャ』に分類されるような人間であれば、彼の生き方はリアルで生々しいものに映る。

例えば当たらないと分かっていながら宝くじを買ったり、叶わないと思いながら短冊に願いを書いたりするような、そんな感覚で七草は生きている。

僅かな希望を捨てきれず、生温い絶望の海を惰性で泳いでいるような七草とは対極に、真辺由宇は真っ直ぐに望みの実現だけを信じて行動する。

その性格はさながら勧善懲悪ハッピーエンドを信条とするスーパーヒーローのようで、けれどそれが成立するのは絵空事でしかないのだと、七草は思っている。

絵空事のような希望を愚直に信じ、何事をも恐れない真辺は鬱屈した現代の闇の中で異質の光明を放つ、希望の象徴とも言える存在だ。みんなが真辺のようであったなら、と物語の中で七草が思う場面があるが、これはそのまま作者の思いと考えられる。

しかし彼女は幼少期にその強すぎる正義感から孤立し、階段島でもそれに近い状態に陥りかけている。

同調圧力の強い日本において、多くの場合異彩を放つ者はコミュニティの間で阻害される。

正義が認められない悲哀、というより、正しい姿が異彩として認識されるこの世の中の鬱々とした様相が、本書の世界観の根底にはある。

それでいて表面上は平穏、というのも皮肉な表現だ。貧乏性を国民性のように扱えば、それによって受ける精神的なダメージは軽くなるし、クラスの誰かを陰でいじめることでクラスメイトの結束が高まり、一種の秩序ができるなら、学級崩壊を起こすよりは表面的にはずっと平和だ。

そういったあらゆる問題たちを、広く、全体的に、筆者は嘆いているのだろう。

陰鬱とした世の中に抗う青春

青春とは、若さを全力で生きることだと私は思う。

本作は青春小説だ。幼児のように世の中は夢と希望でできているとは信じられなくなって、けれど大人のようにそれを受け入れることもできない。でも、それを変えられる力がないことが分かる程度には大人で。

ピストルスターの落書きに希望を託す七草の行動は、モラトリアム特有の、行き場のない激情と不安定さの両方が現れたものだと思う。

落書きが現状を打破する直接的な力にならないことはおそらく彼も分かっていて、けれど他にできることもなくて、己の内側にある思いを吐き出したくて、壁にピストルスターを描く。そうやって何かしていないと、不安に押しつぶされそうになるのだろう。

モラトリアム期には不安を抱え込みがちだ。それが発生する原因は、おそらく子供の頃にはあった『大人たちによるバリア』がなくなるからだろう。

小さな子供のうちは、世間は暗い話や厳しい話を子供から遠ざけ、あるいはオブラートに包んで伝える。その防御フィルターがなくなり、世の中の暗部やシビアさをダイレクトに見聞きすることが急激に増えれば、精神も不安定になるだろう。いわば世の中への不信感が不安を生み出しているのだ。

階段島に子供が来ないというのは、子供がバリアによって守られた、『世の中は夢と希望に満ちている』という幻想の中で生きていられるからだろう。最年少で階段島に来た小学二年生の大地は、母親によってその幻想が壊されたことが示唆されている。

階段島にいるのは不要な自分を捨てた人間なのだが、そういった人間のすべてが階段島にいると考えるには、本作の描写ではあまりにも閑散としている。

おそらく階段島にいるのは、不要な自分を捨てて、けれど心のどこかでそれを捨て切れなかった人間なのだろう。

だから物語終盤、真っ直ぐさだけが残されたはずの真辺は不安を覗かせ、悲観だけのはずの七草は素直な喜びを示した。これは乖離された両者の性質が、完全な白黒として分かれたわけではないということになる。

階段島とは、何かを諦めた人間であると同時に、何かを諦め切れなかった人間の集まりなのだろう。

成長することとは

何かを捨てて進むことが成長だとは認めたくない。これは真辺の台詞であり、作者の主張でもあるように思える。

自分の弱さや非現実的な考え方、子供の頃の将来の夢や、幼い日の淡い初恋など、人は生きていく上で何かを捨てざるをえないことが多々ある。

一度離れ離れになった七草と真辺が再会したことで物語が始まるという点を見ても、作者が二人の別離を成長に必要なものと思いたくない、ということが見受けられる。その証拠に、二人が離れ離れになっている間に有意義で充実した日々を過ごしていたと思われる描写は一切ない。

何かを諦め切れないことは、しばしば『大人になれない』と表現される。

何かを諦めることが大人になることなのか。ならば成長するとはどういうことなのか。

その答えは本文の中にはない。真辺と七草が答えを見つけていないから。

この点は読者としても、非常に考えさせられるところである。

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