見どころは、あまりにもどん臭いスパイと美人の七変化だけ
スパイとしてはどうかという展開
この映画の主人公は英国の諜報員アイだ。妻と子に去られた彼は半病人のような状態で仕事をしている。そんな彼が、未来的なのかどうかよく分からないテレビ電話のようなもので指示を受けているのだが、その仕事がスパイというよりは探偵のような仕事で、冒頭から首をひねるものだった。
そもそもスパイが盗撮的なことをして相手を破滅させたりするのだろうか。指令として受けた資産家の息子を見張っているうちに(その仕事もスパイと言うよりは便利屋のような仕事だ)、美しい女性ジョアナと出会う。彼女はその男性を殺す一部始終を目撃したアイは動揺しながらもジョアナを追いかける。そして彼女を追ううちにどんどん惹かれていくという展開だ。このあたりでスパイの仕事はどうしたとなってくる。最初からスパイらしきことはまるっきりしていないのだから、そもそもこの設定はいらないんではという気がしてくるくらいだ。
またスパイと言う割りに尾行がへたくそだ。赤いダウンで尾行するとか、車で真後ろにつくとかあり得ない。しかも車で追いかける時、フェンダーをこすってかなり大きな音を立てるというあり得なさだ。
そもそも尾行に気づいていないのはジョアナだけだ。ホテルの受付にもばれている。プロというよりは下手なストーカーのようで、だんだん笑えてきてしまった。
しかも毎回盗聴用なのか大掛かりな荷物を持って歩いている。あんなものを持って、毎回殺しては下着にコートを羽織って素早く逃げるようなジョアナを追いかけられるわけがない。そしてその盗聴器の設置の仕方が毎回ドタバタしており、プロらしき動きは一切ない。
しかも毎回ジョアナを追いかけているから見ているから、彼女が危なくなったらすぐ助けられるだろうに、ゲイリーが彼女を殴る蹴るの暴行をした時はなぜか見ていない。助けに来るのは彼女が気絶し薬を打たれた後だ。遅すぎるだろうと観ている誰もが突っ込んだに違いない。
しかしこんな非常にどん臭く情けないスパイが、だんだん逆に愛すべき存在のようになってくるから不思議だ。
あまりにも簡単に殺しすぎる
ジョアナは偽名を使っては、お金のために人を殺しては逃げている。その殺し方や逃げ方はあまりにも雑で、そんな逃げ続けられるものではないだろうというものだった。ナイフやら銃やらで殺すならまだしも、列車での殺人は笑えた。客室全体に水をためて相手は溺れて死ぬのだけど、列車の客室にそこまで大量の水を閉じ込めるほどの密封性があるとは思えない。ここまできたらほとんどコメディの域だ。
またジョアナも毎回殺す度に慌てふためいて逃げている。ここまで殺人を重ねてきた人間とも思えない。その度、指紋やら証拠やらを気にせずにバタバタと逃げているので、余計犯行が雑に思えてくる。
またこんなジョアナをいつまでも捕まえることのできない警察もどうかと思う。指紋は薬で消しているらしいが、どうもリアリティのかけらも感じられなかった。
ユアン・マクレガーの妙な魅力
最近こそセクシー路線を目指しているような彼だけど、昔の作品ではぼんやりとしたどん臭い感じが妙に魅力的に感じた役が多かった。「トレインスポッティング」では少し病的ながらも人間臭さを感じる役だったし、「ビッグ・フィッシュ」では彼の人の良さがにじみ出るようだった。
今回のどん臭すぎるスパイもユアン・マクレガーだから出来るのかもしれない。ジョアナが泊まるホテルの隣の部屋を取り、なにやら妄想しながらうっとりしているところとか、証拠集めと称して陰毛を集め回るところとか、もう笑うしかなかった。だけどなんだか見てしまったのは、ユアン・マクレガーだったからかもしれない。
またテレビ電話の最中や、ジョアナを追いかける時など、時々彼の顔がアップで映ることがある。そのたびになにか笑ってしまいそうになるかわいらしさがあった。そこかしこで彼は「迷い犬」と言われていたけど、その表現が笑えるくらいぴったりだった。
アイのことをどうしても面倒を見てしまう女性上司のような人がいたけれど、こんな目で見られたらついつい助けてしまうのかもしれない。
今はさっぱりなくなってしまったけど、昔のユアン・マクレガーは母性本能をくすぐる何かを持っていたんだなと感じた。それは意外にもこの映画の見所なのかもしれない。
アシュレイ・ジャッドの華麗なる変身ぶり
この映画のもう1つの見所は、アシュレイ・ジャッドだ。エキゾチックな美人で、彼女のことは「あなたのために」で知った。一人ぼっちになったノヴァリーの担当看護師で、後に親友となるレクシーを彼女がうまく演じている。子沢山でざっくばらんながらもセクシーなレクシーは、ノヴァリーと同様魅力的だった。
今回のアシュレイ・ジャッドは多くの変身ぶりを見せている。金髪になったり、黒髪長髪になったり、ボディスーツになったり、くたびれたずりおち眼鏡だったりと多種多様だ。そしてそれがどれも様になっている。
彼女の顔立ちは個人的にとても好みなので、それら全部をついつい見入ってしまった。
それにしてもそれに吸い寄せられる男性が皆ろくでなしなのが、見ていてだんだんつらくなってくるほどだった。だから、彼女の美しさが見えない盲目の男性だけが唯一まともだったの皮肉で、切なく思えた。
生かしきれていない設定の数々
この映画には中途半端で生かしきれていない設定が多くあった。
例えばアイの妻子は7年前に去ったけれど、娘の幻は常に出てきて話もする。だから死んだのかと思ったりもしたのだけど、なぜかその幻は写真にも写る。幻が写真にも写るのか、写真にも幻が見えるのか分からないけど、ややこしいことこの上ない。
あとジョアナが殺人を繰り返す理由が父親を失ったゆえの寂しさからだというのも動機が弱すぎる上に、まるでドラマティックではない。そんなどこにでもある話でここまで殺人を繰り返すはずもない。
また行きずりで出会った男性(この彼、「ビバリーヒルズ高校白書」のブランドンだった。出ているのを知らなかったのでちょっとうれしい驚き。チンピラ風で雰囲気がまたちょっと変わって、こちらの方がより役者らしい感じがした)に暴行され、挙句おなかの子供は生まれて15日ほどで死んだという場面がある。流産ならともかく、彼女のおなかがそこまで大きいのはまるでわからなかった。そこもなんだか消化不良なところだ。
あとアラスカまで逃げてきたジョアナが働いているレストランで、刑事が恐らくジョアナの顔確認のためだろう、母親らしき人を連れてきていた。母親はジョアナではないと言ったけど、離れながらもジョアナと母親が見つめあい涙を流す様子で、他人ではないということがわかってしまう。それでジョアナの身元が割れたのかもしれないが、その母親の存在もいきなりの登場だったため、どんな背景があるのかもわからない。ただあんなに優しげに見つめあう様子から見て、愛ある絆があるように見えた。それなら父親を失ったと連呼し悲しみ殺人を犯すのは、どうにもおかしい。だからこの母親の登場で余計ストーリーの軸がぶれたようにも思う。
もっと言うなら名前もアイなのかラッキーなのかもはっきりしない。なぜか時々ラッキーと呼ばれている理由もわからないし、アイとも呼ばれるし実にわかりにくい。
またアイが時計台で暮らしているのもよくわからない。だけどこれは面白い設定だから曖昧にせずもっとしっかり作ったらもっと面白くなるだろうにと思ってしまった。
ひどすぎる邦題
この映画の原題は「Eye of the beholder」だ。直訳したら見る人の目という感じか。主人公の名前のアイにもかけているのだろうと思う。それがどうして「氷の接吻」になるのかがわからない。殺人を犯した美人に男性がのめり込んでしまうというストーリーだから安易にシャロン・ストーン主演の「氷の微笑」を持ってきてつけたのか、それとも、これのシリーズと思わせるためなのか何なのか、ちょっと配給会社の意図を聞いてみたくなった。
邦題がまるっきり原題と違ってもそれはそれで味わい深いものもある。だけどこれはなんとなく商業的なものを感じて、映画のイメージを損なっているような気がした。
この映画は、ストーリーははっきり言って破綻してしまっていると思う。それよりも見るべきは、どんくさいスパイを演じているユアン・マクレガーの情けなさと、アシュレイ・ジャッドの変身ぶりだろう。
期待せずにそれだけ楽しむように見れば、見れなくもない映画かもしれない。
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