私たちは中性化している。
圧巻の、歴史エンタメとしての実力。
壮大である!
その取材力と構成力には声も出ない。過去で言えば、ベルサイユのばらなどは史実を丹念に調べて描かれているそうだ。なるほど資料ドレスや時代風景など、フランスに行けば見られそうなものが多数。
しかし、BSARAはオリジナルである。仮想の未来で起こる戦国時代。
もちろん、全ての創作物にはモデルがある。作者もきっと、西洋問わず平安でない時代の資料を検証しまくったであろう。
しかし、オリジナルなのである。
そして、圧倒的説得力を持つ。
例えば砂漠の街で、水を止めることを城攻略のミッションとする。
例えば寒い国で、監獄に流れ込む水が恐怖と死の対象となる。
そこにいたのか!?と思わせるような、湿度、気温、環境を前提とした設定作り。五感から派生する特色や風俗はオーディエンスに共感をもたらす。その上、それ自体が話の山場になってるんだから面白くないわけがない。
文化の使い方で、ニヤリとしちゃう。
舞台の地理は日本を想定しているため、本当の文化を模した仮想文化が描かれている。それがしっかりとエンタメ的見せ場として活きてくる。沖縄では闘牛場で大変なことになり!関東平野で殺人レース!!私などは関東住まいだが、各地方に住んでいる方はニヤニヤしちゃうんじゃないだろうか。
またもう少し歴史モノとして見ると、戦国時代レベルに落ちたという庶民の生活レベルも納得できるものだし、王家の家族関係のエグさなんかもぐっとくる面白さ。
あと、性に関しても戦国的と言いますか、日本の戦国時代なんかも男子×男子はお手の物だったそうですし、ちょっぴり解釈が偏っている気がするもののそれがいい。
実際の歴史(日本)で言うと、いわゆる衆道、ゲイの歴史は女性が少ない環境で生処理の一方法として発達し、そして女性が増えると廃れていったとのこと。しかしBASARAの世界観は男女比率は普通そうだけど男色バリバリ。だがあえて!それは別に構わない!と言い切る大きいおともだち(特におねえさん)は多いだろう。
本当に歴史が好きな人からすると、エンタメに寄せすぎていてハナにつく部分も多いのかもしれない。しかし、これは仮想歴史モノにしてエンターテインメント。これだってひとつの正解だ。
モヤモヤどきどき、少女マンガ恋愛。
そしてこれは少女マンガ。
朱里と更紗のすれ違い恋愛、in日本各地。
ちょっと壮大すぎて笑っちゃうし、そんな旅ばっかしててちょいちょい再会ってないでしょ!?・・・なんてのは野暮のいうことである。だってこれは少女マンガなんだぜ?男と女が出会わなければすべて始まらないんだ!
見た目は普通の女の子、どちらかというとお兄ちゃんに似ているというボーイッシュスタイルの更紗が内外の男性たちにモテにモテきるのだって許す。我々はシンデレラになりたいんだ。正統派からちょい悪から、ヤンデレにだってモテたいんだ。
そして、そんな風に荒くれた戦国時代にモテてるくせに寸止めの更紗。どこのアイドルだ。でもいい。だって最初はあの人に捧げたいのが少女マンガなんだもの!
大人だって負けずに恋する
しかし、BASARAは大人たちもガンガン恋愛をする。当然エロ含む。少女マンガ的恋愛を貫く更紗がいるものだから、大人たちの苦み走った風味の余韻がすごい。ドロドロも達観も、主従関係もすでに夫婦もなんでもあり。恋愛ですら戦国だ!
また、揚羽をはじめとして男色もイケるクチの人々が多数出てくるのだが、そこに絡む歴史的要素がまた小憎らしい。幼い揚羽が貴族のお小姓さんやらされていたり、監獄の男子房で男色が盛ん設定だったり。ああ間違ってないよ。そういうのあったらしいね。でもみんな(主に大きいお姉さん)、その部分読み飛ばしてるぜ。主に揚羽の顔見てるぜ!
王道少女マンガ恋愛と大人の多種多様恋愛、すべてを包括したお腹いっぱいの恋愛模様。別コミの少女マンガとして大変正しい。
誰がこの、複合型漫画を読んでいるのか。
ところで、ウチの夫は三国志が好きだ。
夫はよく、仕事の話をする時に「勝手に三国志」モードに入ることがある。どこの派閥でどのような腹心がおり、組織としてはどうで、会社の動き的に社内政治をして・・・という、私が居眠りしかける話だ。
ただまあ、三国志が好きな人は男性では多いのだと思う。劉備タイプと孫権タイプ、上司にするならどっち?なんてサイトもよく見る。そして、自分の立ち位置を三国志の登場人物を当てはめてみたりする。
どうも、男性と言うのは乱世の国盗り物語に自分を重ね合わせすぎている気がする。キャーキャー言われている英雄たち、それをひっそり支える腹心たち、更に下にいる名もなき人たち。
花形に至るのはキャラじゃないし難しいけれど、それを脇でサポートすることはきっとできる。それが俺なりの三国志だ・・・!プロジェクトXの主題歌が聞こえてきそうである。
これがきっと、世に出ている歴史モノの本流なのであろう。
であれば、BASARAは歴史モノとしてはずいぶんと亜流と言わざるを得ない。そもそも仮想歴史なのだから時代考証などは愚問ではあるものの、やはり口当たりのいい娯楽要素を満載にした分、チャラチャラした印象を持たれてしまうことだろう。BASARAを良作と思っている私としても、夫に勧めることはない。絶対受け付けない。そもそもきっと絵からして読まない。
そして、普通の少女マンガを好む友達にBASARAをおススメするかと言えばそれもまたしない。勧めたところで「ちょっと難しいね、アハハー」とか言われてあんまり読まれずに返されることは明白だからだ。いくえみ綾とかを読んでいる人とは世界が違いすぎる。
しかし、だ。BASARAは小学館漫画賞受賞、発行部数1500万部。それこそベルサイユのばらと同程度の発行部数(ただしベルばらは10巻完結、BASARAは27巻完結)という超ヒット作である。ということはみんな買っていたのだ。誰か。
私のような、うんちく臭いオタク女だ!
目の前が明るくなるような思いである。お仲間がこんなにもいる。ザクっと言って1巻当たり50万部くらい買われているとしよう。すると50万人くらいのウンチク女子がいる。いや、正確には15万人くらいは揚羽のやおいシーンを見逃すまいと買ったのかもしれない、でもそれでもいい。私たちは仲間だ、50万人の同志たちよ。
また、これは私たちオタク女たちが男性側の娯楽に気づいたということでもあるのかもしれない。2018年現在は「歴女」が認知されているものの、BASARAが連載中の1990年~1998年にはまだ存在しない言葉だった。「天は赤い河のほとり」など、歴史の話が面白いというのは我々女も知っていたけれど、まさか戦国モノも面白いだなんて!男子だけに独占させるのはもったいない!
言い過ぎかもしれないが、BASARAは我々女子が抱いていた潜在的戦国好きの扉を開いてくれた、エポックメイキング的作品なのかもしれない。
しかし、すでに20年前の作品となった今作。それでも、その輝きは衰えることはない。
絵としてもあまり古さを感じさせる絵ではないし、その上少女恋愛もイケてホモもやれて、チャンバラあり戦艦あり、仮想の乱世と日本旅行記である。
要素の豊富さは、恋愛マンガや戦記マンガと言う言い方をせずに「複合型マンガ」と大変大雑把な言い方をしてしまってもいいのかもしれない。
できたら男性に読んでもらって、男性の中性化が進んでいる様も見てみたいのだが・・・そういう絵ではないんだよなあ。
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