BASARAが魅せる人間たち
朱里の成長物語
物語冒頭から赤の王は残虐非道な人物として描かれる。白虎の村を焼き、逆らう村人は勿論、自身が気に食わない者も好き勝手に殺す。
そんな赤の王だが“ただの朱里”として趣味の温泉に通う時には残虐な面は影を潜め、動物に優しく、女の子とも会話する普通の男になる。更紗との初対面の場面でもまだお互い恋愛感情が生まれる前の場面であるにも関わらず、普通に会話している。二重人格と言っても良い程の変貌ぶりである。そんな朱里の変化が分かりやすく表れているのは2回目に更紗と出会った直後のシーンであろう。更紗に会いに来たと言いキスをする軽い男であるが、彼女が去った直後、ひとたびマントを羽織るとその瞬間、彼はただの朱里から赤の王へと変貌する。
残虐性と優しさ、赤の王と朱里という二面性を持った彼であるが、実は赤の王として優しさを発揮している部分もある。彼が統治する周防の都の様子を見れば一目瞭然であるが、砂漠の街であるにも関わらず街には物が溢れ、活気があり、人々は赤の王を慕っている。彼自身が真摯に取り組んでいる街づくりの為に発揮された惜しみない愛情が人々に伝わっているのであろう。
結局彼は残虐な男なのか、そうとは言い切れない優しさを垣間見て読者は混乱するが、そんなアンバランスな彼が芯の通った男になる大きなきっかけが2つある。1つは亜相を中心とした軍によるクーデター、そしてもう1つは浅葱により奴隷に売られた経験である。
沖縄で彼はユウナや今帰仁を通して沖縄の国の在り方を知る。沖縄では、選挙という今まで考えもしなかったシステムで国を運営しており、国民は自身が選んだ国のリーダーに政治を任せていた。また、その後奴隷に売られた事により支配する側から支配される側となり、今まで自身が虐げてきた人々を深く知る事になった。牢の中で出会ったたつみの死に涙を流した。
沖縄編と奴隷編、このとき“赤の王”、“朱里”どちらの立場と言えるだろうか。どちらでもあっただろうと感じる。沖縄で畑仕事をしていた時は朱里であっただろうし、幽霊船事件では赤の王として振舞っている。また、奴隷に売られ何もかも無くしたが王としての矜持は無くしていない様に見受けられる。このような経験により“王家を倒す”という目標に辿り着いた彼は、支配する赤の王としてではなく、“己のために生きる”新しい国を目指す一員として成長したと言えるだろう。
浅葱と朱里
浅葱は初登場時、蒼の王の親衛隊長として登場するが、実は真の蒼の王であると後に発覚する。真偽はともかく、この“蒼の王”という立場が浅葱のアイデンティティを支えているのは間違いないだろう。浅葱は子供のまま成長してしまった青年の様に見える。親衛隊長としての彼はまるで子供の様に残虐な行為に手を染める。単純に揚羽を慕う。朱里を憎む。その根底には幼い頃姉である白の王に愛されたいと渇望していながら叶わず、同じく弟である朱里ばかり愛されていた経験がある。タタラ(更紗)に近づいたのも最初は蒼の王と同じく寄生してしまおうという目的があったが、近づくにつれ彼はタタラに恋する様になる。ここで思うのは朱里に関しては更紗を愛しているが、浅葱に関してはタタラに恋しているという事だろう。幼い頃得られなかった愛情を求めるかのように浅葱はタタラを求める。しかしそれは淡路島でのセリフからも分かる様にタタラを守って生きていく、ではなく共に白の王の庇護下に入る事を求めている。朱里と決定的に違うのは“愛しているが故に自身で守る”ではなく、“好きだから一緒にいたい、誰かに守ってもらいたい”という所だろう。
そんな浅葱が変わったのは、タタラ軍との日々は勿論の事、腕を切られながらも懸命に立ち上がる朱里を見た事が大きな理由だろう。朱里を憎んでいると言いながら腕を切られた際には誰よりも絶叫する。誰よりも朱里に憧れていたのは浅葱ではなかったのだろうか。最後の王として自身が討たれる覚悟をし、信用できないとタタラやタタラ軍に思われていた彼が最終決戦に於いてタタラに「まかせた」と言われるまでに成長したのは、幼い頃から憎んできた朱里が大きく影響していたと言えるだろう。
更紗と朱里
更紗と朱里は互いの身分を隠して温泉で出会う。その後、数回の邂逅を経て恋仲となり結ばれるが、直後に互いが敵同士である事を知り、絶望する。敵同士だと分かった後の2人は互いに葛藤し、共闘し、最後には共に討たれる事を望む。さながら戦うロミオとジュリエットの様である。最期の覚悟を決めた2人の表情が印象的である。
田村先生はこの2人の関係をとても魅力的に描いている。何も知らなかった頃の2人は単純に幸せそうだ。芭蕉先生の言う様に沖縄のシーンが一番それを表しているだろう。読者も幸せな気分に読めるが、同時にいつ発覚するんだろうという読者だけに分かる不安が付き纏う。中盤からはお互い正体を知ってしまった為に単純に幸せなシーンはないが、互いに想い合っているシーンが所々に挿入される。読者としてはどのように決着を付けるのか気になるところである。終盤では共闘するシーンが出てくる。戦う版ロミジュリとしてはこの共闘シーンはやっと来たか!と言えるところ。更紗と朱里の物語を見てきた読者としては、そこからの赤の王を糾弾する流れには許してあげてという気持ちが強くなるが、実際に赤の王の被害にあった人々からしたらこの糾弾は尤もである。最後は今までタタラが出会ってきた人々が庇い、2人はひっそりと生きていく事になる。番外編で皆には会えないと2人の子供たちの口から語られるが、それでもこの双子を見ていれば2人が今幸せである事が見てとれる。読者としても幸せな気持ちで物語の終りを迎える事が出来るのである。
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