家族の愛情が浮き彫りにされた、ドラマのようなストーリー
6人家族の平凡な日常
この作品は、4人姉妹とその両親の日々の日常が書かれている。取り立てて何が起こるでもなく、毎日を普通に生きているその描写は、何も起こらないからこそのリアルに溢れていた。
4人姉妹は、長女有子、次女寿子、三女素子、そして末っ子の里々子だ。この物語は末っ子の里々子の目線で語られる。里々子が語る姉たちの個性は地味なようで強烈だ。駆け落ち経験のある有子、作家志望の寿子、物干し台をルーフバルコニーと呼ぶ素子など、それぞれで一本の映画になるのではないかと思うくらい濃厚で、それは私に「若草物語」を思い出させた。メグやジョー、ベス、エイミーの生き生きとした感情描写がそのままこの作品だとは言わないけれど、どこかしら共通点があるように思ったのは事実だ。
里々子が抱える、大きくはないけれど小さくはない苦悩
里々子が小さな頃、庭でケガをした。出てきた血に驚き、泣いて母親を呼ぶのだが、里々子以上に驚いた当時身重だった母親は、階段を踏み外して転げ落ちた。結果失われた小さな命のことを自分のせいだと思う気持ちがぬぐいされないのだ。家族は皆その出来事は封印し、なかったことのように扱っているけれど、里々子だけはそのことを忘れられずにいた。恐らくは相当な痛みだったろう母親は、里々子を怯えさせないためにあえて笑顔で「お隣に救急車を呼んでって伝えて」と頼む。その実際の感情と真逆の表情がどれほど里々子を怯えさせたか、想像に難くない。なにしろ私も同じような経験をしたことがあるからだ。
もちろん私の場合、小さな命がなくなってしまうような深刻な事態ではなかったけれど、両親がよくそういう表情をした。怒っているのに笑うというその表情は今も私の心を重くさせる。
母親は里々子を怯えさせまいとしたその表情が幼かった彼女の心を傷つけてしまったのは、皮肉なことだと思う。
死んだ子供は弟だと里々子は直感で感じている。そして彼に「ぴょん吉」と名づけ、心の中で話しかけ拠り所にしているところが、受験生らしい年頃の大人になりかけの心と、思春期特有の甘酸っぱさが混ざり合ったような、切ない気持ちにさせられた。
ただ、大人と子供の境目にいるような里々子の恋愛が、さほどドラマティックでないのに違和感を感じた。バイト先の男性が好きなのは分かったけど、どれほど好きなのかが伝わってこない。相手の部屋に泊まりに行ってしまうくらい真剣なのだろうけど、読んでいてそこまで伝わってこなかったから、「いきなり部屋泊まっちゃうの?」と驚いたくらいだ。
あの年頃の恋愛感情はもっと深く読みたい。だからあまりにも淡々と書かれる里々子の恋愛感情は少し物足りなかったところだ。
叔母ミハルの突然の死
酒屋を営んでいるので、家族でどこかに行くということがなかなかできない4姉妹のため、ミハルはなにかと世話を焼いてくれていた。中でも里々子がミハルになついていたように思う。
結婚せず、どこか飄々として自由で、叔母というよりももう一人の姉のような存在のミハル。そんなミハルの性格は4姉妹の誰とも似ていないため、里々子は余計彼女に憧れたのではないだろうか。
また常識とか世間体といったものにとらわれない姿勢も好感が持てる。きっとそういう人間は、男性女性関わらず、自分と言うものをきちんと持っているからだと思う。世間のものさしを利用せずとも、自分の価値観を計れるから、そういうものが必要ないのだろう。このミハルが私は登場人物の中で一番好きだ。
そんなミハルが突然死んだ。この展開は驚いた。重要とまではいかずともそこそこの主要人物が突然死ぬのは、海外ドラマ「24」や、マンガ「HUNTER×HUNTER」でもよく見られたけど、その度にこんな面白くなりそうな人をあっさり死なせてしまう作者のいさぎよさに驚いたものだ。そしてそういう展開は、読者をストーリーにうまく引き込む。
今回もミハルが死んだことで家族は大きく動き、ストーリーのアクセントになっていた。
里々子も知らなかった父親の性格
父親はミハルの死によって、かなり動転する。動転しながら、どんどん自分の隠された我というか、父親の性格のコアな部分が浮き彫りにされていった。
もともとは世のお父さんたちと同じように、だらしなく仕事以外はテレビの前で寝転んでいるような印象だった彼が、ミハルの死によって、かなり強烈なキャラクターになっていったのが個人的には興味深かった。
ミハルの死を正月明けまで親族には隠そうとしたところなど、まるでそれだけで別の短編を読んでいるような読み応えで、だからこそもっと深く書いて欲しかったところでもある。ちょっとあっさりしすぎたかなとも感じた。
それでもミハルの家を里々子と父親で整理しに行ったところの描写などはとても映像的で、食器や食材やなんやかやをどんどんゴミ袋に放り込んでいく里々子と、部屋の真ん中で子供のようにうずくまり、ミハルに対する後悔などを語る父親が、まるで映画を観ているように頭に浮かんだ。
あの場面はこの作品でもっとも心に残っている。そして好きなところでもある。
有子、寿子、素子、里々子
この物語はこの4人姉妹が絡み合ってできあがっているのだけど、名前も漢字も似すぎなため、誰が誰だったか、読み始めた始めのころはとても分かりにくかった。それは、寿子が作家志望だったっけ?とか素子はなにしたっけ?とか、時々ページを戻さなければならないほどだった。しかも寿子と素子は字面というか漢字の作りも似ているので、ストーリーにのめりこんで勢いよく読んでいると、間違って読んだりもした。そしてなんとなく違和感を感じてよく読んでみると名前を間違って読んでいるので、またページを戻してという、そんなことを何度かしなくてはならなかった。そのたびに、せっかくストーリーにのめり込んでいる気持ちに水を差されたような気分になるので、残念だったところだ。
だから里々子はもちろん、有子のエピソードも分かりやすい。道を外さないようなしっかりして穏やかな長女という印象の彼女だったけど、駆け落ち経験があり、結婚後もまたその相手をよりが戻ったのか、いきなり離婚届を夫に送りつけるところなど、意外な感情の激しさを見せる。有子の場合は名前に戸惑ったりはしなかったので、彼女のそういう感情の浮き沈みをリアルに感じることができた。
逆に、寿子と素子はそのような個人的混乱があったため、あまり感情移入できなかった。特に素子は、いきなり酒屋改造計画を立て始め、急にソムリエの資格を取るなど、その行動の動機が理解できなかったので、すこしリアルではないなと感じたところでもある。
いい意味で、意味のないタイトル
この本を読んだのは、角田光代の作品が読みたかったのと、「夜をゆく飛行機」という、それだけで詩的なものを感じるタイトルに惹かれたというのもある。確かにこの物語では要所要所に、夜に飛ぶ飛行機が描写されている。真正面から向かってくる飛行機のライトは動いていないように見えるので、まるでUFOのように見えるんだと里々子が語るところは、わかるわかると思ったけれど、それだけで、タイトルにさほどの意味は感じられない。
里々子がよくいる物干し台(素子がルーフバルコニーと呼ぶところ)で、彼女はよく夜の飛行機を眺めている。そこで「ぴょん吉」のことを思ったり、好きな人のことを思ったりする、里々子にとっては大事な時間だということはわかるのだけど、ただそれだけで、それほど意味はないのだろうだと思う。
でもそれでいいのかもしれない。タイトルに意味を持たせずとも、詩的なタイトルであったからこそ私もこの本を手に取ったわけだし、読みたいなと思わせるタイトルであることは間違いないのだから。
この作品は、角田光代が書く小説の印象である、“月9ドラマ”のような感じがある作品だ。だからこそ角田光代らしいとも言える。
角田光代の作品は、個人的にはどうも軽すぎると感じる作品もあるにはあるが、この作品は軽さの中にも考えさせられる部分もあって、奥行きが感じられた。
特に、ミハルや祖母の死などは哀しいし避けられないものだったけれど、それを抱き込んで包み込みながら家族は生きていくのだなという、いわゆる生の中に死があるというような、そんなことを感じさせてくれた作品だった。
- あなたも感想を書いてみませんか?
- レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。 - 会員登録して感想を書く(無料)