函館と仙台、大阪の過去と現在が交差する深みのある恋愛小説
目次
母親の意外な過去から始まる物語
この物語の主人公は李恵という女性だ。18才で上京して以来、全てを捧げて尽くしてきた仕事と男性に捨てられ、故郷である函館に舞い戻ってきた。長い間それほど構わなかった母親は末期ガンで余命いくばくもない。せめてそれまでは一緒に静かに暮らそうと思っていたのに、母親から思いもかけない過去を聞かされる。妙齢で結婚をしていないひがみからか、余計なお小言をけん制するために、父親としか恋愛したことないだろうと無神経に言う娘に母親が静かに話し始めたその話は、まるで深い海に沈んだ宝箱が開くような静謐さと美しさに満ち溢れていた。
母親には父親と出会う前に付き合っていた恋人がいた。その恋人は、なんの前触れもなくいきなり目の前から姿を消してしまったというのだ。その話の間中、自身、恋人と別れたばかりの李恵は、いかにも母親は恋愛慣れしていないだろうという思い込みで話し答える。何か怒らせるようなことをしたんだろうと浅はかな返事をする娘に母親が我慢強くそうではないことを伝えていた。静かだけど必死なその様子が胸に強く迫ってきて、おそらく李恵もそう感じたのだろう、徐々に話を真剣に聞くようになっていた。
そもそも李恵自身、傷心の身で倒れるように故郷に帰ってきて、まだその傷を癒せてはいない。そんなところに母親の思い出話につきあえないという感じだったものが、なにやらそんな軽いものではないと興味を引かれ出すその様子が自然で、こちらもとても共感が持てた。
母親の元恋人の失踪
函館で当時まだ珍しかった託児所で働いていた李恵の母親美月は、ひょんなことで仙台からきた東北大学の学生と知り合う。その学生が美月の恋の相手藤一郎だ。暇を見つけては函館にやってくる彼と美月は急速に仲を深めていく。手紙をやり取りし、将来を誓い、にもかかわらず彼は急に消えてしまった。その藤一郎を探してほしいと、美月は李恵に頼んだのだ。またその頼み方がなんともリアルで、すがるように頼むわけでもなく、ドライに頼むでもなく、なんとなくこちらが探すよと言ってしまいそうなその持っていき方が、きっとすごく腹が立つ態度なのだけどいかにも世の多くの母親がやりそうな感じで、とてもリアリティがあった。
李恵もまた腹を立てながらも、そう言わざるを得なかった。その母娘の微妙な感じがお茶の間ドラマのようで、好きな場面のひとつだ。
ともあれ、ここから李恵の人探しが始まった。
現在と比べても色あせない50年前の二人と町並み
美月と藤一郎が恋愛していた50年前の描写は魅力に溢れていた。もちろん不便なところもたくさんあったろうけど、清潔で空気も澄んでいて、きっと食べ物もおいしかったのだろうのなといろいろなところで感じた。
それに対して、李恵が全てを置いてきた現在の東京にはあまり魅力を感じない。李恵がつきあっていた男にも、その彼の新しい恋人も。デザイナーとしてはセンスがある男性なのだろうけど、どこか粗雑でニセモノのような雰囲気を感じてしまった。
50年前の函館にあるものはすべてが本物な気がした。現在の函館にもそれは感じた。でも東京の底の浅さやイミテーション感はどうしても拭い去れなかった。
またその差の激しさも、読者の感情を煽ってそう感じさせるのではなく、淡々と書かれた文章でそう感じさせてくれることも好感が持てたところだ。そしてそのコントラストを際立たせることで、何が大事なのか気づかせようとしているのかもしれない。そんな作者の奥深さを感じた。
捜索の末、わかりだした事実の数々
あまりの手がかりのなさに、早々にあきらめようとしていた李恵だったけれど、一つの手がかりを見つける。藤一郎の親友の行方がわかったのだ。そこからストーリーは急展開を見せる。芋づる式に、真実が見え出してきたのだ。
藤一郎の失踪は本格的なもので、生家はすでに彼は死んだものとして墓まで立っていた。仙台に訪れた美月と李恵はその親友に連れられ、いくつかの思い出の場所を回った。そしてそれらの描写は緻密で、仙台には行ったこともないのに、その土地の風景が目に浮かぶようだった。思い出に触れるように、当時もしかしたら藤一郎がここを歩いたかもしれないと思いを馳せながら、愛おしそうに周りを見る母親を李恵はどう思ったのだろう。恋さえ知らないと思い込んでいた母親が、実は自分よりも質のよい恋愛をしていたと知り、もしかしたら小さな嫉妬もあったかもしれない。函館にいるときよりもいささか口数の少ない李恵を見てそう思った。
そして李恵らは、藤一郎が大阪にいたのかもしれないという情報を手に入れる。
大阪での藤一郎からつながる洞爺丸事故へ
美月がしきりに気にしていた、藤一郎がこの遭難事故に巻き込まれたのではないかという予感は、不吉にストーリー上にいつも漂っていた。事故の知らせを受けた時、間違いなく藤一郎もそこにいたと美月が感じた、確信のような予知は当たっていたということになる。
親の決めた婚約者の待つ旧家に縛られることを嫌い、美月に愛を感じていても些細な感情の揺れで姿を消してしまう、昔の人にすればかなり自由人である藤一郎は、大阪で生きていた。でも美月への思いを忘れられず、函館に舞い戻ったのが、美月の前から姿を消した2年後だ。まさか美月が結婚して妻になったなど夢にも思わなかったところが、お坊ちゃんらしい無邪気なところなのかもしれないが、結局美月と会うこともなく傷心の末、仙台に戻ることになった。その時の船が洞爺丸だったのだ。
この物語は、李恵の目線からのストーリー、母親の目線からのストーリーが交互に書かれている。
最後だけが藤一郎からの目線で書かれているストーリーで、それがなぜか目頭を熱くさせた。
生々しい洞爺丸事故の描写
洞爺丸事故は日本最大の惨事である海難事故だ。1155人が死亡したというこの凄惨な海難事故の描写が、この物語のラストに描かれる。
この小説のその事故の描写を読んでいると、その圧倒的文章力のおかげで頭の中に映像的にその場面が流れ込んできて、こちらも辛すぎて一度本を閉じそうになったくらいだった。
特に、台風で翻弄されながらも出航を待つ船内で待機する乗客たちの不安げな表情や、船酔いの激しさ。だんだん揺れを増していく中で乗客たちが感じる恐怖などが手に取るように理解できて、どれほど恐ろしかっただろうかとここも涙腺が緩んでしまったところだ。
海難事故といえば誰もが映画「タイタニック」を思い浮かべると思う。あの映画も水が船内に入ってきたからの乗客のパニックさ加減、静かに死を待つ老夫婦、パニックを収めようとバイオリンを奏でた奏者たち。さまざまな人々がいた。バイオリン奏者たちは実際にその場にいて、助からなかったというエピソードがある。それと同じように今回の洞爺丸事故でも出てくる、宣教師たちが怯える子供らに手品を見せて笑わせたところとか、老人の救命具をつけたりしたのは実際の話だということだ。また藤一郎が船内から出した手紙がクラッシュカバーとして高値がついた話は、洞爺丸が郵便局員を同乗させ郵便物を積載していたことからも、事実に基づいた話だということが分かる。
藤一郎の行方が最後まで分からなかった原因にもなった、他人の名前の切符を安く譲ってもらったことも、きっと実際にそんなことがあったのだろうなという気にさせられた。
痛ましい話ながらも随所にちりばめられた事実に基づくエピソードが、ストーリーに深みとリアリティを与えているように思う。
最後、藤一郎の息がなくなっていくところはこちらも息苦しくなるほどだったけれど、どこか光を感じて美しさがあった。
それはちょうど、美月が藤一郎のことを李恵に話し始めたときに感じたあの美しさによく似ていた。
悲しいけれどこれ以上ないラスト
藤一郎が洞爺丸事故に巻き込まれて犠牲になったことがわかった美月は、自分なりに心にケリをつけることができたと思う。李恵がこの結果を美月の待つ病院に持ち帰った時、一瞬もう間に合わなかったのかと思ったけど、そこは大丈夫で本当によかった。
谷村志保はアンソロジーで出会って、もっと他の作品を読みたいと思った作家の一人だ。その直感は間違っていなかったと思える、読み応えのある作品だった。
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