重々しいながらも読み応えのあるエッセイ
「昭和を生きてきた」ということ
このエッセイ集はタイトル通り、昭和9年生まれの山田太一が生き抜いてきた時代を振り返って思うことが書かれている。かといって説教臭いとか、いわゆる“昔は良かった”的なことではなく、自分に起こった出来事、感じたこと、自分を形成したと思われる大きな記憶などが、山田太一らしい淡々とした実直な文章で描かれている。
山田太一を脚本家ではなく小説家として知ったのは、奥田英朗のエッセイからだ。時々出てくる山田太一の名前が気になって読んでみたのが始まりだった。結果、緻密に書かれた表現やリアルな心理描写が好みで、時々読んでいる作家だ。
だけどエッセイを読んだことはなかった。この本もタイトルに惹かれて手に取っただけで、エッセイとは思わなかった。大体エッセイというものは比較的軽めに読めるジャンルだと思う。だけどこの本は、深く考えさせられることも多く、エッセイとはいえかなり読み応えのあるものだった。
戦後の生活が彼に残したもの
山田太一がこのエッセイで、例えばアウシュビッツを生き抜いた人とか、戦争で家族を失った人とか、そういう人はそれを経験した以降それ抜きで物事を感じたり考えたりすることは難しいだろう、というようなことを書いていた。これは実に同感で、そういう強烈な経験をした人はいわばそれを時点に生まれ変わったと言っても差し支えないくらい、その経験は人生に根ざすと思う。私自身大きな震災を体験して、もしかしたら死ぬかもしれないと恐怖したことがある。その体験は時間が経ったら忘れるといったものではなく、それを内包したまま人は生きるのだと思う。そのようなことを山田太一が書いてくれていたのが何かとてもうれしかった。
山田太一自身は戦争時代子供で、子供なりに苦しい思いをたくさんしている。いつもお腹が空いていて、食べ物がなくて死んでいった人を多く見てきた。そんな悲惨な経験をした彼は、小説家でありながら食べ物の話が書けないと言う。これはとてもリアルだ。戦後少年時代を生き抜いた人が誰しもそうなるわけでないだろう。だけど山田太一はそうなのだということがとてもリアルに思えた。また食事に対して文句をつけるべきではないという刷り込みのせいで、食べ物を粗末に扱うような番組を見ることさえできない。しかもそんなことを言うのは今の世代に求められていないと分かっているせいで、いつもその不満や怒りを押し殺しているところが、なんともリアリティがあって感情移入してしまったところだ。
少し前にタイトルは忘れたけれど、吉村昭のエッセイを読んだことがある。吉村昭も昭和2年生まれだ。そしてどちらも戦争に影響を及ぼされたことは違いない。偶然吉村昭も同じようなことを書いていた。食べ物の話が好きではないと。吉村昭のエッセイでは旅先で食べたものとか書かれていたり、飲んだお酒のことも書かれていたから、食べ物の話が全く書けないというわけではないと思う。ただ食べ物の味をうんぬんすることに大きな抵抗があるというのだ。
この2人には他にも共通点があるような気がしてならない。
もらったバナナをどうするか
このエッセイには多くの気に入りの話があるけれど、特に「車中のバナナ」という話が好きだ。山田太一はある時伊豆に用事で出かけ、わざと鈍行で帰ってきたことがある。少しでも旅らしくのんびりしようという思惑だ。その向かい合わせになる席に相席した40代後半の中年男がなんともややこしい。2席同士の向かい合わせの席は山田太一とその中年、あとは老人を若い女性という風にすべて埋まった。その中年男は誰に話しかけるわけでもなく話し、それでいて相槌を自然に強要するような話し方で、人の良い老人と女性はなんとなく聞いてあげている。そこでかなり腹が立ってきた。私ならここで意地でも返事したくないようなものだけど、山田太一自身もそう感じていたようで、だんだん山田太一がその4席の中で心が狭いような立場になってきていた。その感じがとてもよく分かるのでちょっと笑ってしまったけどその反面、中年男の自己中心的な思惑にイライラしてしまった。
とどめはその中年男が皆に差し出したバナナだ。老人も女性も「ありがとう」とその場で食べるのだけど、山田太一はもらったものの目の前で食べることに抵抗があり、「お腹が空いてないから」といって食べない。すすめられ続けても食べない。次第に老人からも若干責め口調でたしなめられる。このリアルさが、ちょっとした映画のワンシーンのようでとても心に残った話だった。
私も食べたくもないものをもらわなくてはならない時は、お礼を言ってもらうけれど、その場では食べない。例え、おいしいよと言われても食べない。山田太一もその気持ちを描写しており、それは一つ一つよく理解できるものだった。
皆そんなに他人にもらったものを素直に口にするのだろうか。少し疑問に思った話でもあった。
闇米の取り締まりを逃がしてくれた警官
この話も好きな話の一つだ。この経験も山田太一の人格形成に大きく影響している経験だと思う。
山田太一は姉と時々米の買出しに出かけることがあった。時は終戦直後、いわゆる闇米を手に入れるということだ。闇米なだけに、途中で取り締まりに引っかかってしまうと全部没収されてしまう。その恐怖をくぐり抜けながら手にした白米のうまさは、どれほどのものだっただろう。山田太一が当時経験したこの米のうまさを、彼の文章でこちらもまた実感することができた。
ところでこの闇米見つかったら取り上げられてしまうので、駅に警官の姿が見えるだけで震え上がっていた姉弟だったけれど、やはりある日駅に着く前に電車が止められ、警官が乗客の荷物を調べ始めた。絶望的な気分で順番を待っていると、近くにいた警官が「逃げろ」と言って手を引いて逃がしてくれたのだ。この時期絶対的な立場だった警官がそのような規則を破ることが、この少年にどれほど強烈な印象を残したのか想像に難くない。以降山田太一は、規則からはみ出さない奴はだめだと思い始めたと言う。規則のみで成り立っているような組織に属する警察官が、自らその規則を犯して子供を助けたということは、当時でも相当なことだと思う。助けられた山田少年が、「大きくなったら警官になる」といったいわゆる“ありがち”なことが書かれていないことにいささかほっとしたけれど、規則からはみ出さない奴はだめだと思うようになった根底がこの経験だったというのがとてもリアリティがあった。
「差し入れ屋さん」という存在
この話を読むまで「差し入れ屋」というものを知らなかった。差し入れというのは、刑務所にいる人に面会に行くときに持っていくものという認識はあったけれど、みんな思い思いに好きなものを持っていくものだと思い込んでいたからだ。
よく考えたらそんなはずはない。なにを持ち込まれるか分からない以上、決まったところで購入した決まったものしか差し入れられないに決まっている。これはそんな差し入れ屋として店を構えている主人と山田太一が出会ったことが書かれている話だ。
この描写が実によい。暗く狭い店内には商品がところ狭しと置かれている。お金を払うカウンターにも商品が溢れている。そんな風景が、映像を見るように頭に浮かんできた。そして客としてくる人々。いかにも不幸そうに誰に会わす顔もないような婦人、何を差し入れるか細かく悩むヤクザ者、意外にあっけらかんとして笑う女性など、まさに人間ドラマあふれる作品だった。
こういう視線を持つのが脚本家ならではと感じた。何を見てもドラマになるか否かで判断している味気なさはあるかもしれないが、目のつけどころがやはり常人とは違うように思う。
また差し入れ屋の店内はそのように薄暗く古く狭いのだけど、少し奥にいた住居は段違いに豪華な作りだった。主人いわく、やはり人の不幸で食べているからとのこと。そのようないかにも映画のような展開がとても心温まる作品だった。
ちなみにこの体験を綴ったドラマの企画は意外にもどこのテレビ局も興味を持たなかったらしい。ようやく福岡のローカルで45分ドラマとして書くことができたらしいが、45分ではあの体験は書ききれないと今でも無念な思いを抱いているところがなんとなく山田太一らしいところだと思った。
ユーモラスな話もあるけど全体的には深みのある作品
このエッセイはエッセイらしく軽くユーモアのあるものもあるけれど、全体的には重々しく、時には深みも感じさせる仕上がりとなっている。ところどころ山田太一の小説の舞台にも通じるところがあり、彼の作品を深く知るのにも意味のあるエッセイ集だったと思う。だからこそ次はエッセイでは小説を読んでみよう。そんな気にさせてくれた作品だった。
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