最初に謎を提示し、名探偵が縦横に張り巡らされた伏線を読み取り、データを集めて意外な犯人を突き止めるミステリーの王道をオールスターキャストで描いた 「オリエント急行殺人事件」
アガサ・クリスティー原作の「オリエント急行の殺人」は"異様な動機"をトリックにしたミステリーだ。題名から、時刻表などを利用した列車ミステリーかと早合点する人もいるだろうが、オリエント急行が主役になっているわけではない。オリエント急行の車室の中で、乗客のひとりが殺されるという趣向で、極端な話、別にオリエント急行でなければならない必然性は何もなく、イギリス急行でもフランス急行でもどこでもよかったのである。
もっとも、ヨーロッパを縦断するオリエント急行には、列車や食事の豪華さや、アジアとヨーロッパを結ぶという異国情緒、各国を経由していくという楽しみなど、鉄道の旅行としては他に類のない付加価値がある。そのへんを計算して、題名に取り入れたのはアガサ・クリスティーのネーミングのうまさだろう。
オリエント急行は、トルコのイスタンブール中央駅が起点である。真冬にもかかわらず、この国際列車は超満員で、ベルギー人で灰色の脳細胞を持つ名探偵エルキュール・ポワロは、一等寝台車に乗れそうもない。彼は、トルコでの難事件を解決して、ロンドンに帰ろうとしているのだが、駅で偶然出会った、古い友人で鉄道会社の重役の取り計らいで、ようやく一等寝台に落ち着くことができたのだった。
オリエント急行は発車した。パリ経由カレー行き。三日間の旅である。ポワロのセリフにあるように、「三日の間、おたがいに今までまったく知らなかった同士が、ひとつの運命に身を委ねることになる」のである。航空機の時代を迎えるまで、洋画・邦画を問わず列車は、映画の主役だった。見知らぬ同士が、偶然、列車に乗り合わせて、一定の時間、運命共同体になる。
そこから、さまざまなドラマが生まれるのだ。人間の運命劇の舞台として有効なのだが、ミステリーの舞台としても格好の場所である。列車の時刻表を自由自在に駆使した、列車利用のアリバイ崩しの名人に、クロフツという作家がいるけれども、同じイギリス人のアガサ・クリスティーは、列車をアリバイ崩しの道具ではなく"異様な動機"の舞台として、この作品で使っている。
二日目に入った夜、オリエント急行は突然、スピードを落とした。前の晩から降り続いた雪で線路が埋まり、立ち往生したのだ。その時、ポワロは目を覚ました。隣室で人が呻く声を耳にしたのである。同時に車掌を呼ぶベルが、通路に鳴り渡った-------。
次の朝、ポワロの隣のコンパートメントで、男の刺殺死体が発見された。男はアメリカの億万長者で、秘書と下男を連れて、この列車に乗り込んでいる。死体の創傷は、12カ所であった。滅多突きである。億万長者を刺殺した犯人は、よほど深い怨恨を抱いていたに違いない。犯人は、誰なのか? そしてその動機は? -------。
列車は、雪の山中に立ち往生した。犯人の脱出は不可能である。犯人は、必ず乗客の中にいるといってよい。一等寝台の乗客は、ポワロと被害者を除くと12人である。犯人は、この中にいるとみて間違いない。12人の乗客の内訳は、ハバート婦人、英語教師、ハンガリーの外交官夫妻、公爵夫人と彼女の召使い、英国人大佐、デベナム夫人、車のセールスマン、自称私立探偵、それに被害者の秘書と下男。
手がかりは、ひとつある。被害者のコンパートメントの灰皿に、5年前にアメリカで起きたアームストロング事件に関する文書が発見されたことである。このアームストロング事件というのは、アメリカの陸軍大佐のアームストロングの娘が誘拐され、身代金が奪われたうえに、人質が死体となって発見されたという、痛ましい事件である。
アガサ・クリスティーは、アームストロング事件と変えているが、実際にはリンドバーグ事件である。リンドバーグは、1927年、単身最初の大西洋横断無着陸飛行に成功し、世界的な人気者になった軍人飛行家で、愛娘が誘拐されて死体で発見されるという事件が、実際に起きたのだ。この誘拐事件の犯人は捕まり、解決したが、実際には多くの謎があり、いまだにその謎は解けていないのだ。推理作家としてのアガサ・クリスティーは、なんらかの事情で、現実に起こった事件の真相に近いものを知り、それをヒントにして、このミステリーを書いたのであろう。
シドニー・ルメット監督、主役のポワロ役をイギリスの名優アルバート・フィニーが演じ、映画化された「オリエント急行殺人事件」は、冒頭、モノクロームのドキュメンタリー手法で、手際よくアームストロング誘拐事件を紹介していくが、この手法は極めて映像的で、手際がよい。映画を支えている、"異様な動機"というトリックを解く伏線のほとんどすべては、集約的に紹介されていると思う。
この原作の「オリエント急行の殺人」は、アガサ・クリスティーの代表作ではないが、オリエント急行内の殺人という舞台設定が魅力的なためか、1945年にアメリカで一度映画化されていて、この作品が二度目の映画化作品で、さながらよくできた舞台劇をみているようである。
アガサ・クリスティーの前期の作品は、処女作の「スタイルズ荘の怪事件」以来、非常にオーソドックスなものだと思う。最初に謎を提示して、名探偵が縦横に張り巡らされた伏線を読み取り、データを集め、意外な犯人を突き止めるという、ミステリーの常套を踏んだものだった。
彼女の代表作の「アクロイド殺し」をみると、ポワロが事件の関係者を一堂に集め、推理の経過をこまごまと語り、犯人を指摘する。この手法をレクチュアと言うらしいが、「オリエント急行殺人事件」の場合にも、同じ手法が用いられている。歌舞伎でいう、一種の型のようなものだが、古い形のミステリーは、ほとんどこの形式をとっている。
殺人事件が発生すると、ポワロが関係者一同を個別的に尋問し、最後に関係者を一堂に集めて、長々と一席ぶつ。これを観客は、息を詰めて拝聴するという仕儀になる。シェークスピア劇で鍛えたイギリスの名優のアルバート・フィニーをポワロに起用したことが成功しており、彼の舞台劇的なセリフ回し、表現の素晴らしさが実に見事であったと思う。やはり、アルバート・フィニーは、ローレンス・オリヴィエの再来だと言われるだけあって、このお芝居を悠々と、実に楽しそうに演じていたと思う。
この映画の脚色は、ポール・ディーンだけれど、こういった古いミステリーの形式を忠実になぞっていて、原作の要領のいいダイジェストになっているが、新鮮味とかオリジナリティに若干乏しかったかなと思う。
後期のアガサ・クリスティーは、この形式を破り、個別訪問のわずらわしさ、煩雑さを避けるという新しい手法をとったが、この映画でのポワロによる12人の乗客及び車掌の個別尋問の退屈さをまぎらわしてくれるのは、乗客にイングリッド・バーグマン、ローレン・バコール、ヴァネッサ・レッドグレーヴ、ジャクリーン・ビセットらの絢爛たる女優陣と、ショーン・コネリー、アンソニー・パーキンス、リチャード・ウィドマーク、ジョン・ギールグッドらの個性派俳優を配したことだと思う。特に、イングリッド・バーグマンは、この映画の演技でアカデミー助演女優賞を受賞しているが、実にうまいキャスティングだったと思う。
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