忘れていた感情を思い出させてくれる作品 - まる子だったの感想

理解が深まる小説レビューサイト

小説レビュー数 3,368件

まる子だった

4.834.83
文章力
4.83
ストーリー
4.83
キャラクター
4.83
設定
4.83
演出
4.83
感想数
3
読んだ人
4

忘れていた感情を思い出させてくれる作品

5.05.0
文章力
5.0
ストーリー
5.0
キャラクター
5.0
設定
5.0
演出
5.0

目次

前作に続き原作の元になった実体験が満載

この作品はシリーズ物で、三部作だと第一作目の「あのころ」で紹介されている。題名が、二作目の「まる子だった」と三作目の「ももこの話」と、一文になっているので、何となく三作全部気になって読みたくなるような趣向になっている。

二作目も前作同様、この話はあの回の元になってるんだと、ファンなら興味深く思い出せるエピソードが満載であるが、とにかく掘り下げ方が詳細で、さくらさんは日記でもつける癖があって、一日一日の家族や級友とのやり取り、その時の感情を記録していたのか?と思うほどである。

喜びや悲しみが全力だった日々

二作目の「まる子だった」の特徴として、基本は原作漫画の元ネタの裏話というスタンスは変わらないが、忘れてしまった感情を思い出させてくれるエピソードが多いという点がある。

小学生時代は、喜びや幸福感、悲しみや不安感に対し、誰しも全力だったのではないか。

この作品のエピソードでも、子供はちょっとしたことで全力で幸せになれることが描かれている。自分の部屋が欲しくて二段ベッドの上段を秘密基地のようにして楽しむだけで幸せだったりする話は、押し入れなどで疑似体験をした人も多いのではないだろうか。他にも、知らない遠方の同級生との文通や、家族とのささやかな七夕祭りのひととき、誕生日会に友達を呼ぶ楽しさなどは、毎日をわくわくさせてくれるような待ち遠しさや、嬉しくて駆け出してしまうような幸福感があったものだ。

一方、ノストラダムスの予言や地震のことを気にして不安になったり、両親の喧嘩や腹痛で授業どころじゃなかったり、夏休みのラジオ体操が非常に憂鬱だったりなども、本当に生活をつまらなくさせてしまう出来事だった。

不安感というのは、不安の質が変わるだけで大人になっても抱き続ける人が多い。しかし、大人になると、わくわくするような幸福感を忘れがちになるし、そういう経験を滅多にしなくなる。

不安や幸福感の質が変わり、あるかないかわからぬ災害より、上司や同僚との対人関係という現実に苦しめられたリ、誕生日が来てもパーティ自体をしなくなった挙句、年を取ることすら憂鬱になってくる。昔はわくわくした文通も、今はSNSで簡単に見知らぬどこかの誰かに話しかけることが可能になった。

しかも、不安に心を奪われること自体は大人になってもあまり変わらないのに、幸福感の持続や感じ方は、大人になると変わってしまい、かなり喜びのハードルが高くなってしまっていることに気づく。

さくらさんが、大人になっても子供のころのあの純粋な幸福感をここまで忠実に再現できることは、さくらさん自身が、当時の幸福感の感覚をいまだに持っている大人なのだと感じる。それは非常に幸せなことだと思うし、うらやましく思う。

個人情報が甘いかった時代ならではの思い出

さくらさんが小学3年生だった時代から、昭和の50年代までは、少女雑誌などの漫画の隅に文通コーナーがあり、簡単なプロフィールや自己PRと共に、文通を希望する子供の住所氏名が掲載されていた。

今の時代だと考えられぬことだが、それを見て趣味が合いそうな子に手紙を出したりするのは、一つのロマンのようなものだった。さくらさんも、雑誌を見て手紙を書き、返事が来るのを心待ちにしていたようだ。

当時はそういう情報を悪用しようという考えがなかったし、もしかしたら当時流行していた不幸の手紙の様なチェーンレター程度の迷惑は被ったかもしれないが、文通コーナーが元で児童が犯罪に巻き込まれたという話は聞いたことがない。

価値観が今ほど多様化してない時代だったせいか、社会がそういうものを犯罪に使うという考えもなく、一定のモラルが保たれていたのだと思う。今ではSNSで知らない人と関わること自体は簡単になったものの、文通特有の返事が来るわくわく感はさほどないような気もする。しかも、匿名でも犯罪に巻き込まれる物騒さがある世の中になってしまった。

一方文通では、雑誌に掲載された文通相手というのは競争率が高く、返事が来ないことが多かった。まる子も結局は縁故という形でクラスメイトのつてから県外の文通相手を見つけるが、文通が続かなかったという寂しい思い出になっている。漫画版では地方の名産が送ってもらえるかもという邪な動機が描かれていたが、実際にはもうちょっと純粋に県外の友達が欲しかっただけのようだ。

今は、クラスメイトの住所もろくにわからないので年賀状も出せない子供が多く、ますますSNSにつながりを求めることが多くなった。さくらさんの思い出話を読むと、不便な時代だったからこその良さを、あらためて痛感し、無くなりつつある手紙文化が惜しまれる。

主観的だけどキートン山田並のツッコミも

さくらさんの文体の面白い所は、基本主観的でまる子目線で感情などが描かれているのだが、一方でアニメで言うところのナレーション、キートン山田氏のような視点で自分にツッコミを入れるような手法が取られている点にある。

思い出話だからこそ、自分の行動を俯瞰で見ることができるという点はあるが、自分を客観視するのが苦手な人は、たとえ思い出であってもなかなか自分にツッコミを入れることができる人はいないのではないだろうか。さくらさんの体験した思い出の数々は、よく読むと特別何か珍しい体験をしたわけでもない。この作品で強いて言うなら山口百恵さんのコンサートに行ったことくらいが珍しい体験だと言えるが、他は比較的凡庸なエピソードだ。

それをここまで面白く描けるというのは、子供のような感性と記憶力、そして、自分や自分を取り囲む人間を徹底的に客観視してツッコミを入れ、「思い出」に見事なボケを演じさせている点にあると言える。ちょっとしたコントを見ているような錯覚に陥るのだ。

自分はこう思ったけど傍から見たらなんとおかしなことだろうという振り返り方や、それを巧みな例えで表現しているため、主張に偏りがあるようで実は偏ってない、誰でも共感しやすい文章になっている。

以前さくらさんは、エッセイもものかんづめで、祖父友蔵さんが亡くなった時の話を、若干面白おかしく描いたら出版社に抗議が来たらしい。そのことについて、さくらさんは、自分が祖父に実は好意がなかったことに対し、馬鹿らしくデフォルメはできても美化はできないとしている。この「ももこだった」のキートン山田氏風ツッコミも、馬鹿らしいデフォルメであるのだろうけど、決して美化ではない。そういう意味では、どういう風に表現を盛るか?という手法に非常に長けた作家だと感じる。

あとがきの豪遊(?)ぶりに驚き

まる子が両親が倹約家だったために、幼少のころ色々なことで我慢を強いられたことは、各作品を通じて周知の事実である。しかしこの作品のあとがきの、恐ろしいくらいの現時点でのさくらさんの買い物の仕方には驚くばかりだ。これだけの成功を収めた方なので、何を買おうと自由なのだが、さくらさんの行動には、子供の頃思うように物が手に入らなかったので、大人になって所得を得るようになってから、物をやたら大人買いしてしまう反動に通じていて、理解できる部分がある。ファンの中には、貧乏なまるちゃんだからこそ共感できるところがあったのに、と現在のさくらさんの富豪ぶりをあまり知りたくないファンもいるようだ。しかし、コレクターズアイテムやこまごましたものなどに金を使ってしまうあたりは、漫画のこちら葛飾区亀有公園前派出所の主人公両津が言うところの、幼少時貧乏だったが故に大人になってから買ってしまうという、どこかもの悲しさも感じる。

そういう意味では、成功者になって変わってしまったのではなく、子供の頃から好奇心が異常に旺盛だったさくらさんと、何も変わっていないのかもしれない。

あなたも感想を書いてみませんか?
レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。
会員登録して感想を書く(無料)

他のレビュアーの感想・評価

関連するタグ

まる子だったを読んだ人はこんな小説も読んでいます

まる子だったが好きな人におすすめの小説

ページの先頭へ