自尊心を超えた先にある大事な物 - 100万回生きたねこの感想

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100万回生きたねこ

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自尊心を超えた先にある大事な物

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目次

一見、猫の輪廻転生を楽しむ児童向けの絵本に見える

佐野洋子さんの独特の淡々として平易な語り口調と、海外の絵本を思わせる色鮮やかな絵が印象的である。序盤読み進めていると、タイトル通り何万回も輪廻転生を繰り返した主人公の「ねこ」の、多くの経験を楽しむ物語のように思える。

ねこは決してそれらの多くの人生に満足していたわけではない。いつだって飼い主に不満があり、飼い主の都合で命が絶たれる経験ばかりしている。

子供であれば、かわいそうだなぁと思うと同時に、次のねこの一生はどんなものかな?と興味がわく。タイトルから15ページにもわたり、ねこの不遇な輪廻転生の記録は続く。

絵本には、こう言った一定のパターンを楽しむだけのものもあるので、この本もその手の本かと思いきや、この本の優れたところは後半の展開にある。これだけたくさんのパターンの一生を繰り返しても、ねこは飼い主に好意を持てず、自分の環境にも満足できないことばかりだった。そのことが強く強調されるからこそ、この物語の真のテーマが、大きく浮き彫りになる。

100万回生まれ変わって手に入れた自尊心

100万回輪廻転生を繰り返しても、飼い主や自分の環境を一度たりとも満足できず、好きになれなかったねこは、のらねこという誰の所有物でもない環境を手に入れることで自尊心が芽生える。

ねこははじめて自分のねこになりました、という、自分自身が自分の所有者なのだという表現が非常にユニークである。

この書籍の初版は1977年だが、当時は日本もとても元気な時代だった。家庭や学校、職場のような個の集合体、集団においては、いつの時代でも全くもめごとがないということはなかったろう。それでも現代のように、集団内でのもめごとが、いじめ・パワハラ・モラハラ・DVといった固有名詞になり、社会問題となるような時代ではなかった。

戦後戦後の復興から高度経済成長期を経て、さらなる飛躍をしようとしていた時代、今より不便さはあっても、人は生き生きとして夢を持つことができ、自己肯定感が高い人が多かった時代と言える。

とても不思議なことだが、その時代に書かれた絵本に、誰かの所有から離れたことで初めて自尊心が芽生え、死ぬことすら関心がなかったねこに自己肯定感が生まれたという表現があることが興味深い。

当時と比較し、不況が続き、物質的には豊かになったが心に余裕がない現代の方が、所属する集団の理不尽によって自尊心を傷つけられ、自己肯定感が低い人が多いのだ。現代こそ、ねこが初めて得た自尊心や自己肯定感を、うらやましく思う人が多いのではないか。

自分が納得できない環境にいては自尊心や自己肯定感は育たない。そんな風にも受け止めることができ、平易な言葉であるが大人が読むと非常に考えさせられるメッセージ性を持っている。

児童にとっては、ねこはやっと自由になったのだと素直に喜べるシーンでもある。

理屈ではない愛情

自分大好きになったねこは、人間で言うとイケメンでモテまくり、何でも思い通りになる人生を手に入れたことで、世の中バカバカしくなってしまう。自己肯定感は高いが、自分以外の存在や価値観に興味が無くなったという感じである。

どういうわけか前世の記憶もすべて残っているようで、100万回死んだと自分の経験値を豪語する。その様子は現代で言うと、学歴などところ変われば価値をなさない自分だけの価値観に溺れ、人生を負け組か勝ち組か甲乙つけたがる若者にも似ている。

そんなねこが出会った一匹の白猫は、ねこの自慢に一切動じない。否定とも肯定ともつかない、「そう。」という返事しかしない。非常にミステリアスな女性、といったところだろうか。

ねこにとっては、前世では自分の思い通りにならない生涯が当たり前だったので、理不尽な死ですら、どうでもよくなっていた。しかし、自分の思い通りになる環境を得て、行き過ぎた自己肯定感と共に生活する中、今度は思い通りになりすぎるつまらなさを感じていたのかもしれない。

そんな時にあらわれた、思い通りにならぬミステリアスな白猫は、最初のうちは愛情ではなく、興味深い、interestingという意味での興味は芽生えたろう。本能的にそれが恋や愛情になっても不思議ではない。人間も、そうなのではないだろうか。

ラッキーなことに、そばにいてもいいかいというねこの申し出に、「そう。」というつれない返事ばかりしていた白猫が初めて「ええ。」とやっと肯定的返事をくれる。

白猫が、自慢ばかりする嫌な男だなと思わなかったことが不思議であるが、子供じみた男性に母性本能がくすぐられたのか、ねこの輪廻転生自慢が単純に面白いと思ったのが、イケメンだったので惹かれたのか、両想いになれたのは確かなのである。一つ言えるのは、ねこの白猫への告白は、生きてきた中で初めて心から素直に発したセリフであったのだ。

もしかしたら白猫は、つまらない転生を100万回繰り返したねこが、初めて愛情を注ぐ相手に自分を選んでくれたことが、素直にうれしかったのかもしれない。

家族を持ち、そして気づいた大事な物

ねこは白猫と家族になり、多くの子供に恵まれる。

ここでリンクするのが、宮本輝氏の長編小説、流転の海シリーズにある、主人公松坂熊吾が息子に言い聞かせている言葉、「自尊心より大事なものを持て」である。

ねこは妻と子への愛情が、自分が自分を愛する心以上であることに気づくが、これこそ、自尊心より大事なものを持つという事なのではないだろうか。

意外な書籍とのリンクではあるが、豪胆な男性主人公が至った境地としては非常に似通っており、自分より大事だと思えるかけがえのない存在を得ることが、いかに人生を豊かにするか。それは何も結婚という形式でなくても、友情でも、何かに打ち込むことでもいいのかもしれない。

たまたまねこは、100万回という輪廻転生で、初めて家族を得て、自分よりいとおしい存在を得ることの幸せを実感した。自分を大事にし、周りを大事にし、人生を豊かにすることを会得したと言える。死ぬことを何とも思ってなかったねこが、白猫と共にずっと生きていたいと思うようになるのが、成長の証と言えるかもしれない。刹那的な無神経さが無くなり、自分と自分が愛する者の命を、大事だと思うこと。つまりは思いやりを得たのだ。

現代は家族関係も友情も、非常に利己的になり、価値観が多様化し、SNSの登場で人間らしくない原始的な感情から逸脱した煩雑さを伴う悩みで苦しむ人も多くなった。しかし、本来、愛情や思いやりというものは、もっと本能的な物でそんなに難しいものではないのかもしれない。現代人をまた、複雑な悩みに放り込み、原始的な愛情といったシンプルな感情を捻じ曲げているのも、現代の環境、ねこでいうところの納得した一生を送ることができなかった100万回の前世の環境と同じだと言える。

そして、自分以上に愛する者を失ったねこは、今までの輪廻転生分本来味わうべきだった感情を大爆発させて号泣し、後を追うように生涯を閉じる。ねこは、二度と輪廻転生することはなかった。

これは、すべての修行を終えた魂が、得るべきものを得て浄化されたような、宗教的感覚すら覚える。

タイトルから感じるねこの感情

また、非常に気になる点が一つ。作中ねこは自分を、100万回死んだ!と豪語するが、この絵本のタイトルは100万回生きたねこであるということ。確かに意味合いはイコールであるが、全く逆の言葉で表現されているのは興味深い。確かに、死んだねこより生きたねこの方が絵本のタイトルとしても前向きなので、単純に著者がタイトル向けに表現を変えたのかもしれない。しかし、考えようによっては、ねこ自身が、100万回「生きた」ことを「死んだ」方ばかりにフォーカスし、己の命を粗末に見ていたことを表しているように思う。こんな違いすら、奥深い。

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